俺がみっきのもとを訪ねたのは、それから1カ月後のことだった。
本当はもっと早く行きたかったのだが、クローンで作られた新しい体に魂と脳がなじみ、体を動かせるだけの筋力をつけるのに、それだけの時間がかかったんだ。
これでも、驚異的な回復の早さだと、医者には驚かれていた。そりゃそうさ。だって、俺には元気になってみっきに会うという目標があったんだから。
病院から外出許可をもらって、久しぶりに私服に着替えた俺を、みっきの友人の鈴木麻美が迎えに来た。
空は抜けるような青空。風もない小春日和で、外出にはうってつけの午後だった。
俺はうきうきと彼女の車に乗り込みながら尋ねた。
「みっきは元気ですか? 俺、なかなか会いに行けなかったけど、ちゃんとやってますか?」
すると、鈴木麻美が沈んだ笑顔を見せた。
「あの子は元気よ……。まだ病院にいるけどね」
「病院!? 病気だったんですか!?」
俺が驚くと、鈴木麻美は笑顔を消し、目をそらすようにうつむいた。
「原くん……あの子は……みっきは、もういないのよ……。ううん。あの子は元気になったわ。でも、みっきはもうこの世のどこにもいないの……」
俺はショックを受け、混乱した。
みっきがもうこの世にいない? どういうことだ? まさか、みっきが死んでしまったっていうのか……!? でも、みっきは元気だって、今、言ったばかりじゃないか!
すると、鈴木麻美は車を発進させ、オートドライブに切り替えてから、俺に向き直った。
「今から3年以上も前のことよ……」
と鈴木麻美は話し始めた。
「ユーレイング・トレベル社で突然の火事が起きてね、たった一人のお客様の肉体だけが、運び遅れて焼失してしまう事故があったのよ。それがみっき。まだ、肉体の安全保管が徹底していなかった頃の話だから……。戻る肉体がなくなって、みっきは魂だけの存在になってしまったわ。でも、まだ死神リストに載っていなかったから、黄泉の門もくぐれない。肉体は完全に燃えてしまったから、細胞から肉体をクローン再生させることもできない。そこで、ユーレイング・トラベル社では全責任を負って、みっきの魂を保護することにしたの。社内の部屋にみっきの魂を住まわせて、定期的に献魂でエネルギーを補給してあげて……。私はみっきの高校時代の同級生よ。みっきが幽霊になってしまってから、ユーレイング・トラベル社に就職して、ずっとあの子のそばにいたの」
そこで、鈴木麻美はちょっと話やめて、俺の顔をじっと見た。
「あなたは、どうやってあの子にまた生きる決心をさせたのかしら? みっきはあの通りの性格だったから、あくせく生きるよりユーレイングやっているほうが気楽だと言って、毎日あちこち飛び回っていたわ。ユレコンになりすまして、会社のお客様を連れだしたのだって、あなたが初めてじゃなかったのよ。とにかく自由で気ままで……。ただ、最近はずいぶん物忘れがひどくなってきていて、自分でもそれは気にしていたわ。肉体から記憶のフィードバックを受けられなかったから」
それを聞いて、俺は、みっきがなかなか俺の名前を覚えなかったことを思い出した。それ以外にも、彼女はしょっちゅう、いろんなことを「忘れて」いた。
そうか……そういうわけだったのか……。
車の窓の外を町の景色が流れていく。それを見るともなく眺めながら、鈴木麻美は話し続けていた。
「1年前、一人の少女がユーレイング中に事故にあったわ。それはうちの会社の話ではなくて、無認可のユーレイング会社でのことだけれど。そこはお客様にガイドがつかないところでね、その子はひとりでユーレイングするうちに迷子になってしまって、帰れなくなってしまったのよ。物体に乗り移ればソウル・レスキュー隊が来るということも知らなくて……説明されていなかったのよ……焦って探し回っているうちに、魂自体が消失してしまったの。後には、魂が消えた肉体だけが残されたわ」
そこで、鈴木麻美はまたため息をついた。
俺は、なんとなく話の筋が読めてきて……それでも、信じたくはなくて、息を詰めて彼女の話に耳を傾けていた。
「魂が消失した後の肉体は、病気や事故などで死んだわけではないから、すぐには死なないの。植物人間とは厳密には違うんだけれど、まあ似たような状態ね。魂がなくなった肉体は、徐々に弱っていって、やがてゆっくりと死んでいくのよ。少女のご両親は、それが耐えられなかったのね。誰のでもいいから、娘の肉体に魂を入れて欲しい、そして、肉体を生き返らせて欲しい、と……すべてのユーレイング会社に申し込んできたのよ」
俺はびっくりして、思わず声を上げた。
「そんな! ……だって、そんなのはもう、自分の娘じゃないだろう!?」
鈴木麻美はうなづいた。
「そう。別人の魂が入るんですものね。でも、目の前で眠り続けている娘を、何とかもう一度生き返らせたい、と考える親心も、分からないではないわ……。それに、記憶は肉体の脳に刻まれているから、うまくすればそれもよみがえるかもしれない。ご両親はそれに賭けたのね」
「でも……」
俺はからからになった口で言った。
「でも、それじゃ、魂のほうの記憶はどうなるんだ? ……魂だって、記憶を持っているんだろ?」
少女の肉体に入った魂が誰なのかは、俺にももう分かった。分かっていたけれど、名前を出すのが怖かった。
鈴木麻美がまた、ため息をついた。
「確率は半々だったのよ。肉体のほうの記憶がよみがえるのか、魂のほうの記憶がよみがえるのか……。事故で魂だけになっている人は、他にも何人もいたわ。でも、みんな、自分の記憶が他人のものになるのを怖がったわ……もちろん、みっきもね」
そして、彼女は穴があくほどじっと俺の顔を見つめてきた。
「みっきに、何を言ったの? あの子はずぅっと、他人になるのは嫌だと言い続けていたのに。たとえ幽霊でも、自分らしく生きていきたいんだと言っていたのに……」
俺は何と答えていいのか分からなかった。
すると、鈴木麻美は急に目を伏せ、ごめんなさい、と小さな声で言った。
「あなたを責めるつもりはないのよ。みっきが自分で決めたことですものね。……でも……」
「どっちの記憶がよみがえったんです!? その少女の? それとも、みっきの!?」
俺は座席から身を乗り出して尋ねていた。
「どちらの記憶も戻らなかったのよ」
と鈴木麻美が答えた。
「二人の人間の記憶が肉体の中でぶつかり合って、自己防衛をしたんだろう、ってお医者さまは言うわ。あの子は……記憶喪失よ。もう、私のことも、自分のことも、なにも分からない。向こうの両親や家族のことも覚えていない。完全に、全部忘れてしまっているのよ……」
鈴木麻美の声がかすれた。彼女は顔をそむけるように前に向き直ると、そのまま声を殺して泣き出した。
俺は茫然としていた。
必ず会いに来てね、とみっきは言った。約束よ、忘れないでね……と。
でも、忘れてしまったのは、みっきのほうだ。俺がこうして会いに行っても、もう彼女には分からないんだ……。
みっきとユーレイングした記憶が頭の中を駆けめぐっていく。
彼女の言ったことばのひとつひとつまでが、鮮やかによみがえってくる。
「あたし、生きる。ユーレイングはもう卒業よ」と言った、彼女の目の輝きと、しっかりした横顔も……。
「俺、それでもみっきに会いに行きます」
長い沈黙の後、俺はそう言って、振り返った鈴木麻美にうなづいて見せた。
「だって、みっきがそうしてほしがっていたから……約束したから……」