Let's 幽霊ing

朝倉 玲

Asakura, Ley

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11章 再会

 病棟の廊下から張り出したサンルームに、彼女はいた。

 長い髪、小柄な体、大きな黒い瞳……年の頃は14,5歳というところだろうか……とても華奢な姿になってしまったみっきが、ひっそりと日溜まりの中に座っていた。

「じゃ、私は車で待っているから」

 といって、鈴木麻美は引き返していった。記憶を失い、姿も変わってしまったみっきと会うのが辛いんだろう。

 

 俺も、心中はひどく複雑だったが、大きく息をひとつ吸うと、思い切って歩き出した。

 サンルームに入っていって、彼女の向かい側の椅子に腰を下ろす。

 少女はパジャマの上にピンクのガウンを羽織り、膝に置いた本を読んでいた。とてもかわいらしい。かわいらしいけれど……みっきとは、似ても似つかない。

 

 そのまま黙って見ていると、彼女のほうで目を上げ、戸惑ったように俺の顔を見つめて、やがて、おずおずと話しかけてきた。

「あの……すみません……あたしをご存じの方ですか?」

 不安そうな黒い瞳が、なんだかひどく痛々しかった。

「いいえ」

 と俺が答えると、彼女はホッとしたような顔をし、すぐに真っ赤になった。

「……ごめんなさい、変なこと聞いてしまって。……あたし、記憶喪失なんです。だから、あたしのことを知っている方がいらっしゃっても、あたし、思い出せなくて、それで……」

 うつむいた肩の線が、ひどく細く頼りなげで、俺はまた胸が痛くなった。本当のことは、とても言えなかった。

「俺はここに入院している友だちを見舞いに来たんです。あなたとは初めてお会いしますよね」

 と作り笑いで言うと、彼女は本当に安心したような表情で、また顔を上げた。

 

 彼女の膝の上には、数学の教科書が広げられていた。俺は作り笑顔のままで尋ねた。

「勉強してたんですか? 中学校の?」

 彼女はまた赤くなると、はにかむようにうなづいた。

「あたし、再来週には学校に戻れるんです。ホントはもう3年生なんだけど、1年以上休学したから、もう一度2年生になります。ずっと勉強してなかったから、こうやって教科書読んでいても、意味が全然わかんなくて……」

「教えてあげよ――あげましょうか? 俺も勉強はあまり得意じゃないけど、中学の数学くらいなら、なんとか教えられると思うな」

 すると、彼女は驚いたように俺を見つめ、それから、大きくこっくりとうなづいた。

「ぜひ、お願いします! ……ええと……」

「俺は、原です」

「原さん……あたしは立川沙也香って言います。よろしくお願いします」

 篠崎みゆき、というもう一つの名前は、本当に全く覚えていないようだった。

 

 俺たち二人は、そのままサンルームで一時間ほど数学の勉強をした。図形、グラフ、連立方程式まで説明したところで、看護婦が彼女を呼びに来た。回診の時間だという。

 それじゃ、と俺が立ち上がると、立原沙也香が急に俺の上着をつかんだ。まるで、俺を引き止めようとするように。

 そして、そんな自分を恥じるように真っ赤になると、うつむきながら言った。

「あの……今日はありがとうございました。おかげですごくよく分かりました。……あの……また来て、勉強を教えていただけますか?」

 礼儀正しい、本当に良い娘だ。

 素直で、行儀が良くて、控えめで……みっきとは本当に性格が違っている。

 俺は心の中に抑えようのない寂しさを感じながらも、笑顔でうなづいて見せた。

「いいですよ。来週にでも、また来ます。今度は俺が昔使った参考書も探して持ってきますから」

 すると、彼女はぱぁっと嬉しそうに顔を輝かせた。

「本当ですか? きっとですよ、周一郎さん。約束ですよ」

 ――必ずあたしに会いに来て。約束よ。忘れないでね……。遠い日の約束が、彼女のことばに重なって聞こえてきた。

 みっきはこの娘の中にいるんだ。

 姿はもう見えないけれど、でも、どこかで俺を覚えていてくれているのかもしれない。

 ……いや、俺がそう思いたいだけなのかもしれないけれど……

 俺は、そんな自分自身に苦笑いすると、立川沙也香にうなづいてみせた。

「うん、会いに来ますよ。約束します」

 

 

 病院の建物を出て、鈴木麻美の待つ駐車場へと歩きながら、俺は長いため息をついた。

 立川沙也香は、そのままで見れば、本当にいい娘だ。顔はかわいいし、性格もいいし、礼儀正しいし。彼女にでもしたら誰からもうらやましがられそうな、ホントにとびきりの娘だ。

 だが、みっきじゃない。

 俺は彼女に勉強を教えながら、必死でみっきを彼女の中に探したのだが、どこにも、片鱗さえもみっきは見つからなかった。

 みっきの魂は立川沙也香にすっかり吸収されて、同化されてしまったらしい。もう、まったくの別人なんだ……

 

 俺は立ち止まった。目頭が熱い。

 みっきは、これで本当に良かったんだろうか? 全てを忘れてしまって、自分自身が誰かさえも無くしてしまって、それでも、彼女は生きることのほうを選んだ。

 でも、本当にこれで良かったんだろうか……?

 

 俺は、また長い大きなため息をついて、重くのしかかってくるものを払うように、頭を振った。

「きっとですよ、周一郎さん……かぁ……」

 わざと声に出してつぶやいてみる。何か考えていなければ、今にも声を上げて泣き出しそうな気分だった。

 みっきは、なかなか俺の名前を覚えなかったけど、でも、絶対に「さん」はつけなかったよなぁ。正一郎とか、誠一郎とか、竜一郎とか、ホントいろいろ呼ばれたけれど、「周一郎さん」とは一度も呼ばれなかったもんな。

 みっきはホントに相当失礼なヤツだった。でも、なぁんか憎めなかったんだよなぁ……

 

 そのとき、俺は突然あることに気がついた。

 周一郎さん?

  周一郎、さん……?

   周一郎――

 

 ……俺……彼女に、自分の名前を教えていたっけか……?

 

 俺は必死で立川沙也香との会話を思い返した。

 ……言ってない!  俺は「周一郎」という名前のほうを、彼女には教えていない!

 俺は、ただ「原です」と名乗っただけだ。

 でも、彼女は俺を名前で呼んだ……

 

「みっき!」

 俺は思わず声を上げた。

 やっぱりみっきだ!

 どんなに姿は変わっていても、彼女はやっぱり、みっきだったんだ!!

 俺は嬉しくて嬉しくて、歓声を上げて踊りだしたいくらいだった。

 

 だが、病院に駆け戻ろうとして、俺は足を止めた。

 やめておこう。彼女に「きみは本当はみっきなんだ」と言ったって、彼女は混乱して不安になるだけだ。

 今はただ、彼女の中にみっきが生きていたと分かっただけでいい。

 みっきは彼女の中に息づいていて、彼女と一緒に新しい人生を生き始めている。そのことが確かめられただけで、今はもう十分だ。

 

 俺は病院の建物を見上げた。

 彼女が最終的にみっきの記憶を取り戻して、俺のことを思い出せるかどうか、そこまでは分からない。同じように、彼女が立川沙也香の方の記憶を取り戻していく可能性だってある。

 でも、もういい。

 みっきは自分で新しい人生を選んだ。そして、また確実に自分の人生を歩き始めた。きっと、彼女の中のみっきの魂も、そんな自分に満足しているんだろう。

「ほらね、周一郎。あたしだって、ちゃあんと前向きに生きられるのよ」

 そんなみっきの声が聞こえてくるような気がした。

 

 うん、生きるといい、みっき。

 俺は心の中でつぶやいた。

 あんたがどんなふうに新しい命を生きていくのか、俺はしっかり見ていてやるから。

 たとえ、あんたが生涯俺のことを思い出せなかったとしても、それでも、俺はずっとあんたを見守っていてやるから……。

 俺は拳でぐいと涙を拭った。悲しい涙じゃない。嬉し涙だ……たぶん。

 

 俺は頭を巡らすと、頭上の青空を見上げた。

 青い青い空……薄い絹糸のような雲が空に白い筋を引いている。

 こうして見上げているこの瞬間にも、空にはユーレイングしている誰かの魂が漂っているのかもしれない。

 でも、俺の目にそれは見えない。俺も今、自分自身の体の中にいて、自分の人生を歩いているから。

 俺は自分の両手を見つめると、ぎゅっと握りしめ、空に向かって拳を思い切り突き出した。

 幽霊なんて、幽霊なんて……

「くそったれっ!!」

 

 青い空の中から、小さく誰かの笑い声がしたような気がした。

 ……空耳だったのかもしれない。

 

―― The End ――

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