みっきにぐいぐい手を引かれて空を飛ぶうちに、俺はだんだん苦しさを感じるようになってきた。
霊の体が重くなってきて、沈むように空から落ち始める。
「ちょっと、ちゃんと飛んでよ!」
とみっきが怒ったように振り返って、すぐに目を丸くして立ち止まった。
「やだ。あんた、どうしちゃったの? 姿が薄くなってるわよ」
俺は宙に漂いながら、ゼイゼイと息を継いだ。だが、いくら呼吸をしてみても、少しも楽にならない。いや、ますます苦しさが募ってくるばかりだった。
「さっきポルターガイストで……霊体エネルギーを使い果たしたんだよ……知ってるはずだろ……」
みっきに答えるのさえ、やっとのことだった。
みっきは、本当にびっくりしたような顔をして、パンと両手を打ち合わせた。
「そう言えばそうだったわね。ダメよぉ、そんな状態で空を飛んだりしちゃ。消失しちゃうわ。ホント馬鹿ね、周一郎」
おい。
俺は心底腹が立った。
無理矢理俺を引きずり出して、空を突っ走ったのはあんたじゃないか。それを、馬鹿とはなんだ馬鹿とは……。
そう言ってやりたかったが、もう苦しくて苦しくて、文句を言う元気さえ出なかった。
そんな俺の様子を見ていたみっきが、また、パンと両手を打った。
「そうよ。あたし、だから部屋までバイタル・シートを取りに行ったんだわ。やぁね、すっかり忘れてた」
忘れないでくれ。こっちはもう、息も絶え絶え、今にも死にそうなくらいだって言うのに。なんでもいいから、早く何とかしてくれ……
すると、みっきがドレスのポケットからガムのようなものを取り出した。
「ほら、これを食べて。早く」
言われるままに、小さなシート状のものを口に入れると、それは口の中ですーっと溶けてたちまち全身に広がっていった。さらにもう2枚。すると、体中にまた力が満ちあふれてきた。もう、全然苦しくない。
驚いている俺に、みっきが言った。
「バイタル・シート。献魂で集めた霊体エネルギーを薄いタンパク質の膜で包んで、シート状にしたものよ。口に入れただけでエネルギー補給できるし、すごく軽いから霊体でも持ち歩けるの。まだあるから上げるわ」
みっきがもう2枚、シートを手渡してきた。見れば見るほど板ガムにそっくりで、薄い虹色にぼんやり光っている。俺はそれを大切にポケットの中にしまい込んだ。……霊体だから服のポケットが使えるだろうかと思ったが、なんということもなくおさまってしまった。
あたりはもう夕暮れだった。
雲が真っ赤に燃え、西の空が金色に輝いている。
東の空からは、青暗い夜がひたひたと押し寄せてくる……
巨大な観覧車のてっぺんに止まって、俺たちはそんな日暮れの景色を眺めていた。
みっきは白いドレスの上から膝を抱え、じっと夕日を見つめている。燃えるような赤い光も、みっきの顔や髪を染めることはない。抜けるように白くて……とても、綺麗だ。
俺は、ちょっとためらってから、思い切って話しかけた。
「なぁ、みっき……あんた、本当はユーレイング・トラベル社のユレコンじゃないんだろう?」
すると、みっきは横目で俺を見て、ふん、と鼻で笑った。
「社員じゃないわ。特別会員よ。でもね、そこらの新人ユレコンより、あたしの方がずっと経験豊富よ」
「やっぱりな。……でも、特別会員ってのは? しょっちゅうユーレイングやってる常連ってことか?」
「そうね、そういうこと。毎日ユーレイングしてるわよ。あんたのユレコンやるはずだった鈴木麻子は、あたしの友だち。面白い男の子がユーレイングを初体験するって聞いたから、彼女の代わりをやってみたわけ。でも、あたしのガイドだって悪くなかったでしょ? 穴場をいくつも回ってあげたんだから」
俺はうなづいた。確かにけっこう楽しかった。いや、とても楽しかった。いつの間にか、俺はみっきとデートしているような気分になっていたもんな……。
俺は、改めてみっきの顔を見つめた。
「あのさ、みっき……あのな、俺がユーレイングできるのも、あと30分くらいだろう……そしたら、俺は自分の体に帰らなくちゃならないんだけどさ……」
俺は、なんとかして自分の気持ちに一番近いことばを見つけようと、心の中でじたばたしていた。
「その、ホントの俺は、ベッドに寝たきりの病人なんだけどさ……それでも、こんな幽体よりは生きてる体の方がずっといいと思うんだよな。で、みっきだって、今の恰好も確かに綺麗なんだけど、きっと、肉体に戻った方がもっと綺麗だろうな、と思うんだ。だから……えっと、その……つまり……」
肝心の一言が、どうしても口から出てこなかった。
たった一言――ユーレイングが終わって生身の体に戻っても、またキミと会いたい――そう言いたいだけなのに。
すると、突然みっきが立ち上がった。
「行きましょ。いいもの見せたげる」
そう言うなり、空に飛び上がり、一直線に飛び始めた。俺はあわてて後を追った。
「ど……どこに行くんだい……?」
「いいところよ」
そう言いながらも、みっきの顔つきは険しかった。まるで、怒っているような顔つきだ。
俺は戸惑いながら後についていった。どうして怒ってるんだ? 俺、そんなにまずいこと言ったかな。俺が告白しようとしたんで、迷惑に思ったんだろうか……?
みっきが俺を連れていったのは、俺が入院している病院だった。
今日の朝早く、俺は救急車でここからユーレイング・トラベル社まで運ばれたんだ。ユーレイングがすんだら、またここに戻ってくることになっている。
俺はますます戸惑って、みっきを見つめた。どうして、ここが「いいところ」なのか、さっぱりわけが分からない。
すると、みっきがひどく意地の悪い顔で俺に笑いかけてきた。そんな表情でさえ、彼女はとても美しい。
「真実を見せてあげるわ。あんたがどうしてユーレイングさせられたのか。あんたの両親が何を考えていたのか」
言うなり、みっきは身を翻して、病院に急降下していった。
そのまま建物の天井を突き抜け、廊下を通り抜け、階段を下っていく。下へ下へ……病院の地下へ……
地下3階にある霊安室の中にくると、みっきはようやく立ち止まった。勝ち誇ったような顔で、俺を振り返ってくる。
薄暗い霊安室の中には、線香の匂いと静けさ。そして、真ん中のベッドにぽつんと横たわっている遺体がひとつ……。
俺は、思わず後ずさりしそうになった。
遺体は、顔を白い布で覆われているが、その体つきにはなんだか見覚えがあった。若い男の遺体だ……。若い……
俺は、おそるおそる遺体に近づいて、上からのぞき込んでみた。
顔をおおっている布を、ポルターガイストの力で、そっとめくってみる……
それは、俺の顔だった。