「やれやれ、とんだ邪魔をしてくれましたね。おかげで仕事の予定が狂ってしまいましたよ」
突然、すぐそばでそんな声がしたので、俺は驚いて目を覚ました。みっきに押し込められた標識の中で、いつの間にか居眠りをしていたらしい。
見ると、すぐ目の前に、小太りの中年男がふわふわと立っていた。足が地面についていないところをみると、やっぱり霊体らしい。背広をきちんと着込み、ネクタイを締め、眼鏡をかけている。眼鏡の奥の目は、意外に人の良さそうな表情を浮かべていた。
「キミ、原田周一郎くんでしょう? ユーレイング・トラベル社の職員が血眼で探していましたよ。やっぱり、みっきに連れ出されていたんだ」
と中年男に言われて、俺は目を丸くした。
「連れ出されていた? いったい……あなたは誰ですか?」
「僕はね、死神ですよ」
おっとりと男が言った。その口調があまりに穏やかだったので、俺は言われた意味を理解するのに少し時間がかかってしまった。
「……死神って……あの死神!? まさか!!」
「死神は黒い服を着て、大きな鎌を持っているとでも思っていましたか?」
男の口調はあくまでも穏やかで優しかった。俺は何とも返事のしようがなくなって、ただただ、死神だという男を見つめていた。
すると、男は俺のいる標識の隣に腰を下ろし、ふわふわ宙を漂いながら話し始めた。
「死神というのは、もともとは普通の人間なんですよ。自分が死ぬ予定でなかったときに死んでしまって、黄泉(よみ)の門が見つけられない魂が、死神に就職するんです」
「黄泉の門? ……就職って……」
俺がますます戸惑っていると、死神は静かに笑いながら、噛んで含めるような調子で話し続けた。
「黄泉の門というのは、いわゆる、天国への門のことです。でも、その先に本当に天国があるのか、あるいは地獄があるのか、それとも、まったく違う世界があるのか、それは僕にも分かりません。僕はまだ、門の向こう側をのぞいたことがありませんからね。黄泉の門は、ひとりにひとつずつ。その人の魂がくぐり抜けると、門は閉じて消えてしまいます。我々死神の仕事は、死んで肉体を離れた魂を、その人の黄泉の門まで間違いなく送り届けることです。中には、自分が死んだことを認めないで地上に残ろうとする魂もありますからね、結構大変なこともありますよ」
そういうと、死神は目の前のアパートに目を向けた。
消防車はまだ放水を続けているが、炎はもうほとんど消えて、白い煙がもうもうと空に立ち上っていた。
「本当は、この火事でひとりが死亡する予定でした」
と死神が言った。俺ははっとして、思わず身構えた。誰が死ぬことになっていたか分かったからだ。
すると、死神はまた優しい目で笑った。
「安心してください。別にあの子の命を奪ったりはしませんよ。……そんな力は、死神にはありません。死神はただ、道案内をするだけです。私はこのあたりで死んだ人の魂の担当なんですけれどね、たまに、こんなふうにリスト通りに行かなくなることがあるんです。逆に、リストに載っていない人が死ぬこともある。あの子は、キミが助けたおかげで命拾いしましたからね。この後何十年かは生きながらえることでしょう。次にリストに名前が上がるまではね」
俺は思わずうなり、イメージはずれの死神から聞かされた話を、何とか整理しようと、頭をフル回転させていた。
「う~ん、つまり……あなたはもとは人間で……リストに載っていないときに死んだから、死神になったってこと? なんで死んだんですか?」
「自殺したんですよ。リストラ、って言っても、君たちにはもう分からないかなぁ。当時、日本はものすごい不況のどん底でね、会社が生き残るために社員を大量にクビにしたんです。私は典型的な会社人間で、仕事が自分の生き甲斐だったから、突然リストラされて、生きる目標をなくしてしまったんですよ。今思うと、なんてつまらないことをしたんだろうと思いますがね……。死んでみたら、自分の黄泉の門がどこにあるのか分からない。迷子になっているところを、先輩の死神にスカウトされました。死神をやってる連中は、ほとんどみんな、このパターンです。長年死神をやっていると、そのうち、自分の黄泉の門が見つかることがある。そうすると、やっとこの仕事から解放されるんですが……」
そう言って、死神はまたちょっと笑った。今度は少し寂しそうな笑いだった。
「もう50年以上もこの仕事をしていますよ。その間に、知人も家族もみんな死んで、自分の門をくぐっていってしまいました。私だけがまだ門を見つけられなくて、こうして地上をさまよっているんです……」
火事の炎は完全に消え、白い煙と水蒸気だけが空に上り続けていた。死神は口をつぐんで空を見上げた。その先に、探し求める門があるかのように……。
「ところで、このユーレイング・システムというのには泣かされますねぇ」
突然、死神が口調を変えてそんなことを言い出した。
「このシステムが実用化されたのは今から6年前のことでしたがね、最近じゃ、ユーレイングがすっかりブームになってしまって、どこにいってもユーレイング中の魂がふわふわしている。おかげで、リストに載ってる人の魂を迎えに行っても、どれが私のお客さんか分からない始末ですよ。ユーレイング連盟加入会社には、こちらからも要望は出しているんですがね。せめて、胸に名札をつけるとか、なにか目印を付けてもらわないと、やりにくくてやりにくくて……」
死神はすっかり営業サラリーマンの顔になっていた。
俺がなんと返事をしたものか困惑していると、突然、とんがった声が後ろから上がった。
「やだ、死神さんじゃないの! なんの用なの!?」
みっきが戻ってきたのだ。
死神は苦笑いしながら、ゆっくりと浮上して、ふくれっ面のみっきと向かい合った。
「なんの用じゃないよ、みっき。君たちのおかげで私のお客さんをお迎えしそこねたよ。後始末が大変だ」
「はぁん。あの子、死ぬ予定だったんだ。でも、あたしのせいじゃないわよ。そこの周一郎が勝手にお節介焼いたんだもん」
「まぁ、やってしまったものはしかたないがね。それよりみっき、ユーレイング・トラベル社が大騒ぎだぞ。君が勝手に彼を連れだしたから……」
とたんに、みっきは口をとがらせた。
「それも周一郎に話したわけね。いいからほっといてよ。大丈夫、ちゃんとやってみせるから」
「ユレコンをするくらいなら、僕の仕事を手伝う気はないかい?」
とても優しい口調で死神が言った。
が、みっきは思いっきり顔をしかめると、死神に向かってあかんべーをして見せた。
「やぁよ! あたしは死んでませんからね。死神の手伝いなんて、まっぴらゴメンよ。……行きましょ、周一郎!」
みっきは俺の手をつかんで標識の中から引っぱり出すと、そのまま、ものすごい勢いで空を飛び始めた。
ところが、そんな俺の耳に、死神の声が追いかけてくるように響いてきた。
「悪いことは言わない……その子には深入りしないほうがいいよ……」
その声はあくまでも穏やかで深く、どこか悲しげだった。