Let's 幽霊ing

朝倉 玲

Asakura, Ley

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3章 幽霊

 「そうだわ、面白いものを見せて上げる」

 街の上空を飛びながら、みっきがふいにくすくす笑いだした。

「ちょっと降りて……ほら、あそこ。あの信号の下に、何か見えない?」

 言われるままに20メートルくらい先の信号を見てみると、信号待ちをしている集団の中に、異様な人間がいた。若い女性だが、今は10月で、しかもかなり肌寒い日だというのに、ひとりだけ赤い花柄のノースリーブ姿。顔は異様に青白くて、しかも頭から血を流している。よく見ると、ワンピースの模様だと思っていたのも、実は赤い血の染みだった。

 ところが、その女性の回りに立つ人たちは、まるでそんなことなど気にする様子もなく、平然と信号が青に変わるのを待ち続けている。

 

 俺は思わず空中で一歩後ずさった。

「本物の……幽霊か?」

 みっきがまたくすくすと笑った。

「怖がらないでよ。あたしたちだって幽霊なんだから。あれはね、あの交差点で信号待ちをしているときに、事故に遭って死んだ人の魂。もう3年も経つのにね、まだ自分が死んだってことに気がついていないのよ。だから、ああしてずーっと信号を待ち続けてるの」

 信号が青に変わった。人々がいっせいに横断歩道を渡り始める。だが、女性の幽霊は信号の下から一歩も動かず、悲しげな、疲れた顔をしながら、ただ向かい側の信号を見つめ続けているだけだった。

 

「あの人には青信号は永遠に見えないんでしょうねぇ……。でも、ああいうのはまだ安全なのよ。あたしたちにも人間にも、ちょっかいは出してこないから。危ないのは、あっちみたいなヤツ」

 そういってみっきが指さしたのは、交差点から100メートルくらい離れた、ビルの間の横道だった。

「感じる? あそこには、とびきりたちの悪いヤツが潜んでいるのよ。もう何十年も前に何かの事件に巻き込まれて死んだ男なんだけどね、自分が殺されたのを恨んで恨んで、今じゃもう、自分が誰だったのかも、どうして殺されたのかも忘れてしまったっていうのに、恨んでいることだけはしっかり覚えていて、通りかかった人間を誰でもいいから捕まえようとしているのよ。あそこの路地では、今でもしょっちゅう傷害事件が起こるわ。あたしたちは霊体だから、近づいたりしたら、取り込まれるわよ」

「と、取り込まれる……?」

「食われて、ヤツの霊体エネルギーにされちゃうのよ」

 さらっとした口調で、みっきが答えた。

 

「霊体ってのはね、自分ではエネルギーの自己生産はできないの。肉体の中にいる間は、常に肉体からエネルギーの補給を受けているんだけれど、いったん肉体から離れると、その瞬間から少しずつエネルギーが失われていくのよ」

 とみっきが話し出した。

「飛んだり移動したりするだけでなく、ただ存在するためににだって、霊体エネルギーは使われるわ。だから、霊体になってユーレイングするのは、連続では12時間が限界。それ以上になると、霊体エネルギーが減りすぎて、魂が弱ってしまうのよ。ユーレイングに夢中になって肉体に帰る時間を無視したばっかりに、魂が消失しちゃった、なんて事故も過去には本当に起こっているわ。だから、正規のユーレイング会社では、必ずユレコンをガイドとしてつけるように取り決められてるんだけれど……こっそり行われてる裏ユーレイングでは、その辺が守られていないみたいね。今でもときどき事故が起きては、帰れなくなった霊魂がレスキューされてるわ」

 

 いきなり話が専門的になってきたものだから、俺は目を白黒させていた。みっきが、まるで普通の女の子みたいな話し方をするものだから、本当にユーレイング会社のユレコンなんだろうかと疑っていたんだが、こんな話もできるからには、やっぱり研修を受けた社員なんだろうか……。

 

 そんな俺の戸惑いにはおかまいなく、みっきはさらに話し続けていた。

「あの男の幽霊はね……ううん、ああなるともう怨霊って呼ばれるんだけど、消失してしまわないように、あそこの路地の消火栓にのりうつっているのよ。物質の中にいると、魂はエネルギーをほとんど消失しないですむから。……ああ、あんたも覚えておくといいわよ。もしも、ユーレイングやっていて、帰り時間を過ぎちゃったようなときには、何でもいいから手近なものにのりうつっておくの。……人間はダメよ。動物もダメ。すでに魂を持っているものの中に入るのは相当のエネルギーが必要だし、たいていは、肉体の中にいる魂の方が力が強いから、はじかれちゃうわ。乗り移るなら、動かない物質にしなさい。そうして、ソウル・レスキュー隊の救助を待つの。下手にジタバタしなければ、数十年はゆうに消えないでいられるわ。……ただし、記憶はどんどん消えて行くから、数十年後には、あの男みたいになっちゃうかもしれないけどね」

 そう言って、みっきはビルの間の薄暗い路地を、じっと見つめた。哀れみとも同情とも違う、妙に真剣な表情だった。

 

 が、次の瞬間、みっきはまた、いつもの口調に戻って言った。

「なんだかお腹すいてきたわねー。喫茶店に行ってみよっか、竜一郎」

「周一郎だってば。でも、幽体なのに喫茶店なんか行けるのか?」

「行けるわよ。ちゃーんとユーレイング専用の喫茶店もレストランもあるんだから。さっ、こっちよ」

 そういうと、みっきはひらりと空に舞い上がった。さっきまでの真面目な顔つきなどどこへやら。からかうようないつもの表情で、ケラケラとひとりで笑っていた。

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