もう帰ろう、と俺が言うと、みゅうは素直に同意した。俺が波でずぶ濡れになっていたからだ。
風邪をひくんじゃ、と心配するみゅうに生返事をしながら、俺は足早に歩き出した。翼が飛んできた海から急いで遠ざかる――。
うまくバスに乗れそうな場所を探して歩き続けていると、みゅうが急に声を上げた。
「ここ、お姉ちゃんが結婚式を挙げたところ!」
俺たちはいつの間にか賑やかな町の通りに来ていた。西洋の城みたいな結婚式場が建っている。
「うわぁ、なつかしい。入りたいなぁ」
とみゅうが言った。
手をつないでいるから、俺たちの姿は誰にも見えない。暇そうにアクビしている警備員のわきを通って中に忍び込んだ。
平日の結婚式場は人気がなくて静かだった。こっちよ、と勝手知った様子でみゅうが俺を引っ張っていく。
案内されたのは、結婚式の衣装を展示してある部屋だった。色とりどりのドレスがずらりと並んでいる。ベールやブーケ、和服の花嫁衣装なんかもあって、部屋全体が本当に華やかだ。
目を輝かせてそれを眺めていたみゅうが、急に足を止めて言った。
「うん、ステキ。これにしようっと」
俺の手の下でくるりと回ると、そこに花嫁が現れた。純白のウエディングドレスを着て、白い長いベールをかぶり、手には花束を持っている。みゅうだ。
驚く俺に、えへっ、と舌を出して笑ってみせる。
「似合うかな? ベールのつけ方はよくわかんないから、適当なんだけど」
俺はすぐには返事ができなかった。花嫁姿のみゅうが、まぶしいくらい綺麗に見えたから――。
「あれ? だけど、その耳につけてる、てんとう虫のピアス。なんかウェディングドレスには合わないんじゃないのか?」
照れ隠しにそんなことを言うと、みゅうが笑った。
「これでいいのよ。だって、このピアスだったら、舜も悲しいこと思い出さないでしょ?」
俺はまた返事ができなくなった。なんだか本当に胸がいっぱいになる――。
すると、みゅうがまた言った。
「さ、じゃあ、舜も着替えてね。男性用の衣装はあっちよ」
「え!? 俺にも花婿の格好をしろって言うのか!?」
「もちろん。花嫁だけじゃ全然さまにならないじゃない。ねえ、早く」
は、早くって――おまえな――!!!
結局、俺も花婿の衣装を着た。
弱いんだよな、みゅうに願い事をされると。笑い顔が見たくて、つい聞いてやりたくなる……。
「おかしくても絶対笑うなよ! 白いタキシードなんて、着るの生まれて初めてなんだからな!」
言い訳して自己防衛していると、みゅうがほほえんだ。
「ううん、すごくステキだよ。来て、舜。チャペルはこっちだから」
……ああもう、好きにしてくれ。
みゅうに手を引かれるまま、俺はチャペルへ向かった――。
同じ結婚式場の中にチャペルはあった。赤いバージンロードの果ての祭壇で、花嫁姿のみゅうが俺の両手を取る。
「結婚式では、ここで神様に誓うのよ。健やかなるときも病めるときも、生涯二人で助け合って生きていきます、って。そして、指輪をかわして、誓いのキスをするの――」
おごそかなくらい静かな声で言う。
でも、俺が思わず赤くなると、みゅうはすぐに笑った。
「大丈夫よぉ、そこまで舜にやってなんて言わないから! ただ気分を味わいたかっただけ。夢だったんだ。この式場のこの場所で花嫁さんになるのが。お姉ちゃんの結婚式の時に決めてたのよ」
純白のウェディングドレスで身を包んだみゅうは、いつもより大人びて見えた。祭壇の十字架をほほえみながら見上げて言う。
「あたし、自分が死んでしまったってわかったときに思ったのよね。あんなこともこんなこともしたかったのに、全部できなくなっちゃったんだぁ、って。すごく悲しかったんだけど……。でも、舜のおかげで、もう一度海に行けたし、こんなステキな花嫁さんにもなれた。あたし、今すごく幸せよ。なんかもう思い残すことがない感じ」
俺はぎくりとした。思わずみゅうを見る。
みゅうはまだ十字架を見ていた。大きな瞳が何故かいっそう大きくなる。
視線を追った俺の背筋を、冷たいものが走った。
翼だ!
金の十字架から抜け出そうとするように、白い翼が羽ばたいている――!
みゅうがまたほほえみを浮かべた。俺の手を離し、両手を翼に差し伸べる。
翼が十字架を飛びたつ。みゅうに向かって舞い下りてくる。
俺はみゅうの両肩をつかみ、翼とみゅうの間を体でさえぎった。それでもみゅうは見つめ続ける。迫る翼が瞳に映る。
俺はみゅうを抱いて全身でかばった。翼が俺の背中を打って、ばさばさと羽音を立てる。
それを聞きながら、俺は唇に唇を重ねた。
柔らかなみゅうの唇には、少しもぬくもりがない――。
すると、ふいに羽音が消えて、背中に翼が当たらなくなった。
唇を離すと、みゅうが真っ赤な顔で俺を見ていた。
「やだ、舜ったら……。ホントにはやらないよって言ったのに……」
その瞳はもう翼を映していなかった。翼はまた消えていたんだ。
俺はみゅうの肩をつかんだまま夢中で言った。
「行くな、みゅう! 俺のそばにいてくれ! おまえが天使でも幽霊でもかまわないから! ――おまえが好きなんだよ!」
みゅうはまた目を見張った。その瞳にふいに大粒の涙が浮かぶ。
「ダメ――それはダメだよ。舜は好きだけど――ホントは、ものすごく好きだけど――だけど――あたし、もう死んじゃってるんだもん!」
泣いて逃げ出したみゅうを、俺は追った。
「待て、みゅう! 待てったら――!」
その声に警備員が駆けつけてきた。俺の姿はもう見えるようになっていた。
「待て、君! それはうちの衣装じゃないか!」
警備員が俺を捕まえる。
「みゅう! みゅう!!」
呼び続ける俺の視界から、みゅうは走り去っていった――。