ずっと降り続ければいいと思ったのに、雨は間もなくやんでしまった。
みゅうが傘を閉じた。
ちぇ。
すると、みゅうが急に俺の手を放して駆け出した。俺の姿が通りに現れる。一瞬あせったけれど、通行人はまだ傘をさしていて、誰も気がつかなかった。
みゅうは一人の女性に駆け寄って服を眺めていた。その場でくるりと回ると、青い振り袖がシックな黒いワンピースに変わる。
「ねえ見て見て。また真似しちゃった。大人っぽくなったでしょ?」
そう言いながら無邪気に笑うみゅうの耳に、クリスタルのピアスが揺れていた――。
俺は何も言わずに歩き出した。足早に歩いて、みゅうを追い越す。みゅうが驚いた顔をしたけれど、それも無視してずんずん行く。
「急にどうしちゃったの、舜? ねえ、舜。舜ったら――!」
みゅうが追いかけてくる。その声が次第に泣き声になってきて、俺は足を止めた。雨上がりの歩道。水たまりに灰色の空が映る。
「……そのピアスをはずしたら話すよ」
「え、これ?」
みゅうが俺の前に来た。その耳たぶから、たちまちピアスが消える。
俺は溜息をつくと、また歩きながら、小声でみゅうに話し出した。
「そのピアス、けっこう流行ってるんだよな。ニコリータってブランド品でさ。ちょっと高いから、一ヵ月本気でバイトして、彼女に買ってやったんだ」
「え、舜、恋人いるんだ!?」
みゅうがまた目を丸くして驚く。けっこう大きな声を出したけど、もちろん通行人には聞こえない。
「いた――過去形だよ」
俺はいっそう足早になっていた。
ちくしょう。もうあいつのことなんか思い出したくなかったのに。
一生懸命やったんだぞ。デートしたいって言うから、無理してバイトをやりくりしたり、夜中の長電話につき合ってやったり。
あいつの行きたいって言うところには連れてってやったし、あいつが欲しいってものはがんばってプレゼントしたし。それなのに――
「舜って、結局自分のことしか考えてないのよね。もうあなたにはついていけないわ」
なんだよ、それ! どうしてそういうことになるんだよ!? あんなに一生懸命やってやったじゃないか!!!
彼女が返してきたピアスやプレゼントは全部捨てた。一緒に何もかも捨てたはずだったのに……
みゅうの耳許に同じピアスを見たとたん戻ってきやがった。
すると、みゅうが言った。
「ごめんね、舜。イヤなこと思い出させて――。あたしが普通の女の子だったら、舜にもう一度ピアスをもらうんだけどなぁ。そうしたら、思い出も悲しくなくなるのにね」
笑いかけてきたみゅうの顔は淋しそうだった。それを見たとたん、俺の頭が一気に冷えた。
まただ。みゅうはいつも、自分に何かができないときにこんな顔をする。まだ半人前の天使で、力になれないのを悲しんでいるのか? なんだかそれとも違う気がする――。
思い切って尋ねようとすると、みゅうのほうが先に話しかけてきた。
「ねえ。舜はラブレターって書いたことあった?」
「は? ラブレター? 誰に」
「その別れた彼女によ。ラブレターをあげたことってある?」
「ないよ。いつも電話かLINEだったから。だいたい、今時手紙なんて書くヤツいるのか? みんなLINEだぞ」
「どうしてかなぁ。手紙ってステキだと思うのに。電話は切れば終わっちゃうし、LINEも保存に失敗したら跡形もなく消えちゃう。でも、手紙はいつまでも後に残るのよ。ねぇ、舜。あたしにラブレターちょうだい」
な……ななな……なに!? なんだよ、その唐突な話は!?? 全然意味わかんねえだろうが!!
俺があせると、みゅうが笑った。
「だって、あたし、ずっと憧れてたんだもん。男の人からラブレターもらいたいなぁって。あたし、舜からピアスを買ってもらうことはできないから、代わりにラブレターもらいたいんだ。ね、いいでしょう?」
結局俺はみゅうに負けた。
コンビニでレターセットと筆記用具を買って、人気のない公園のベンチで手紙を書く。なんて馬鹿みたいなこと、とは思うけれど――
並んで座るみゅうは、嬉しそうな顔をしてた。目をきらきらさせて俺の手元を見ている。あの淋しそうな顔をしてないんだ。
それなら、ラブレターぐらい書いてやってもいいかも、と思った。もちろんお遊びだけどさ……。馬鹿、のぞくなよ! まだ書いてる途中だったら! わかった! ちゃんとハートのシールも貼ってやるから!
「ねえ、舜。なんて書いたの? 読んで」
みゅうに言われて、俺は書き上がった手紙を広げた。あたりに聞いてるヤツがいないのを確かめてから、声に出して読む。
「みゅうへ。俺を励ましてくれてありがとうな。みゅうの笑顔を見ると元気が出てくるよ。みゅうに会えて良かったと思う。 舜」
うあぁぁ――むちゃくちゃ恥ずかしい文面だ!!!
でも、みゅうはものすごく喜んだ。宛名も住所もない手紙を俺に投函させて、ポストの前でくるりと回る。服が変わって、手にはラブレターが現れた。
「ありがとう、舜。あたしこれ、宝物にするね。翼が見つかって天国に行っても、これは一緒に持っていくから」
みゅうにそう言われて、俺は、どきりとした。
ああ、そうだ。みゅうは行ってしまうんだ。翼が見つかったら、天国と呼ばれる場所に――。
幻の手紙を大切に抱いて笑っているみゅう。その姿を見ながら、俺は何も言えなくなっていた。