誰もいなくなって静かになった池で、カエルが鳴きだした。ケロケロケロケロ……。白い花が咲く岸辺の茂みで、のんびり歌っている。
それを眺めていたみゅうが、ぽつんと言った。
「カエルは何のために生きてるのかなぁ」
はぁ? なんだ、その唐突な哲学的命題は?
すると、みゅうはカエルを見ながら言った。
「だってそうでしょ? カエルって何年生きるのかしらないけど、きっと人間より寿命は短いし、生きて何ができるわけでもないし、何かの役に立つわけでもないし。ただ毎日餌をとって、生きている間に卵をたくさん残して――で、死んでいくだけなのよね。何のために生きているのかなぁ、って思ったのよ。誰もカエルが生きていたって死んでいたって、全然気にしないのにね」
ちぇ、知らないよ、そんなの。カエルぐらいで大げさだな――
そう言おうとして、俺はやめた。みゅうはひどく淋しそうな顔をしている。カエルのことを言ってるようで、本当は別のことを考えているんだ。
なんの話をしてるんだよ? そう聞こうとして、やっぱり聞けなかった。みゅうはカエルを見つめ続けている――。
その時、黒い影が俺たちの目の前を横切っていった。カラスだ。茂みの上のカエルに襲いかかる。
驚いたカエルは、池とは反対側に落ちてしまった。コンクリートで舗装された場所だ。必死で逃げる後を、カラスが追いかけてつつこうとする。
あっ、とみゅうが悲鳴を上げた。つないだ俺の手を、ぎゅっと握りしめる。
ああ、そうだ。みゅうは、この世のものにはさわれない。何もすることができないんだ。
カラスがカエルの後を追う。カエルが逃げ場をさがしてはね回る。白く乾いたコンクリートの上。大きな影のような鳥と、逃げまどう小さな緑色。
みゅうがいっそう強く俺の手を握る。この世界の中で、たったひとつ、みゅうがつかめるもの――。
俺は足下から小石を拾って投げた。狙いははずれたけれど、カラスは仰天して舞い上がった。俺の姿はカラスにも見えない。どこかから石が突然飛んできたように思えただろう。そのまま空を飛び去っていった。
みゅうが俺を見た。
「舜、やさしい! ありがとう!」
ものすごく嬉しそうにそう言われて、俺はしかめっ面を返した。
「ちぇ、こんなの全然たいしたことじゃないって。大げさだぞ」
――みゅうが笑顔になったのが、とても嬉しかった。
すると、カエルがまた鳴きだした。
ケロケロケロケロ……。
食われかかったってのに、のんきだなぁ。そう考えていたら、みゅうが言った。
「カエル、嬉しそうね。生きていられたから嬉しいのよね」
また淋しそうな目に戻っている。
なんだよ、本当に。俺はとまどって、みゅうを見つめ続けた。
カエルはまた池のほとりの茂みに戻っていった。ちっぽけな体なのに、あたりいっぱいに響く声で鳴き続ける。それを聞きながら、みゅうも話し続ける。
「生きているっていうのは、きっと、それだけでステキなことなのよね。小さなカエルだって、それを知ってるんだわ。だから、あんなに嬉しそうにしてるのよ」
うーん、そうかぁ? ただのカエルが、そんな哲学的なことを考えるとは思えないけどな。
それでも、みゅうを見ていると、俺はやっぱり何も言えなかった。本当に、なんでそんなに淋しそうな顔をするんだよ?
その時、すぐ近くでものすごい悲鳴が上がった。
俺とみゅうは驚いてそちらを見た。若い女の人が真っ青になって金切り声を上げていた。公園にいた人たちがいっせいに駆けつけてくる。そのくらい、女の人の声はものすごかった。
どうしたんだ、いったい?
すると、女の人が手にしていたカメラを指さして叫んだ。
「しゃ、写真を撮っていたのよ! 池の花の――! そしたら――そしたら、今撮ったばかりのに、これが――!!」
また、きゃーっと叫んで、恐ろしいもののようにカメラを遠ざける。人々がカメラをのぞき込む。
みゅうが顔色を変えた。
「いけない! あたしたち、写真に撮られちゃったんだわ!」
は? 俺たちが?
なんだこれは、と人々のどよめく声が聞こえた。いっせいに俺たちがいるほうを見る。
「誰もいないぞ!?」
一人がカメラを取り上げて、俺たちに向けた。とたんにまた、どよめきが起きる。
「いた!」
「幽霊だ――!!」
俺にもようやく状況がわかった。あの女の人は花の写真を撮るうちに、池のほとりにいた俺たちまで撮ってしまったんだ。そして、そこに、俺とみゅうの姿を見つけて、心霊写真を撮ってしまったと思ったんだ。
誰にも見えなくなっているはずの俺たちを、カメラが見つめ続けていた。人々がいっせいに自分のスマホを構えた。たまたま持っていたビデオカメラを取り出すヤツもいる。
やばいぞ、俺たちを撮影するつもりだ。
「逃げよう、舜!」
みゅうが駆け出した。俺も一緒に走り出した。
ほんと、冗談じゃないぞ。このままじゃ、テレビの心霊番組のネタにされちまう。
逃げる俺たちの後ろをカメラやスマホを持った人々が追いかけてきた。
ちくしょう。幽霊だと思うんなら、もう少し怖がったりしたらどうなんだよ――!?
俺とみゅうは公園を飛び出し、大通りを走り続けた。まだ追いかけてくるヤツがいる。すごいぞ、と喜ぶ声が聞こえる。
いい加減にしろ!
そう考えたとき、行く手に大きな建物が見えた。
「あそこに入るぞ!」
俺はみゅうの手を引いて、建物の中に飛び込んだ――。