サンタ・ピエロ

朝倉 玲

Asakura, Ley

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 ぼくたちは店の調理場で、黙って座ったり、ぼんやりテレビを眺めたりしていた。

 酒井さんは窓を開けて煙草を吸ってる。いつもはそんなことは絶対に許されないんだけれど、今日は誰も注意しない。

 今日はクリスマスイブ。洋菓子店はケーキを買うお客さんで繁盛してるけれど、うちは和菓子専門店だから関係ない。去年の今頃は正月用の菓子の準備でそれなりに忙しかったけれど、今年はそれもない。毎年、新年会の菓子を注文してくれていた大口のお得意様が、もっと安い店に移ってしまったから。

 酒井さんが、煙草をふかしながら、ぽつりと言った。

「うちも、もう終わりかな」

 誰も返事をしなかった。

 一番新米のぼくも黙ってうつむいた。あぁ、和菓子職人に憧れて、ようやくこの店に就職したってのになぁ……。心の中で溜息をつく。

 

 そこへ、外回りに出ていた社長が、店に飛び込むように帰ってきた。なんだろう? 太った顔を真っ赤にしながら調理場までやってきて、大声で言う。

「会った! 会ったぞ! サンタピエロだ! サンタピエロが、わしたちにプレゼントをくれたんだよ!」

 サンタピエロ――?

 ぼくたちは呆気にとられた。

 サンタピエロっていうのは、最近よく聞く謎の人物だ。なんでも、緑のピエロの恰好をして、袋に入ったプレゼントを配ってくれるらしい。それは魔法のプレゼントで、もらった人はみんな幸せになれるという。だけど――

「社長、それ本物ですか? クリスマスになると、街にはサンタピエロが大勢現れるんスよ。噂のピエロの真似をして、仮装する奴が増えてるんです。きっと社長はからかわれたんスよ」

 と別府さんが言った。相変わらず歯に衣着せない人だなぁ。

 でも、社長は興奮したままだった。大きな声で言い続ける。

「いいや、あれは本物だ! わしにはわかったんだよ! うちの店がお得意様をなくして困っている話をしたら、大変ですね、と言って、これをくれたのさ!」

 と社長が抱えていた箱を作業台に載せたので、ぼくたちはいっせいに集まった。

「わしも中身はまだ見ていないんだが」

 と言いながら、社長が箱の蓋を取る。

 

 それはクッキーだった。星や靴下や雪だるま、手袋、ツリー、キャンドルやベル……いろいろな形のクッキーが、箱に整然と収められている。

 ぼくたちはまた呆気にとられて、すぐに苦笑いした。

「和菓子屋に洋菓子とはねぇ」

 と酒井さんが言い、別府さんは、やれやれ、と肩をすくめる。

 でも、社長だけはまだ信じていた。

「いいや、これはサンタピエロからのプレゼントなんだ。全員でこれを食べるぞ。店にいる子たちも、ここに呼んできなさい」

 そんな大袈裟な、と誰もが思ったけれど、社長が譲らないので、全従業員が調理場に集まった。店先には「準備中」の札を出し、全員が好きな形のクッキーを箱から取る。

 カリッ。ポリッ。サクッ。

 あれ、このお菓子、すごくおいしいぞ? 歯ごたえはあるのに、口に入れるとほろりと崩れて、甘く複雑な味がほどけてくる。バターと砂糖、卵とクリーム、何種類ものナッツの味と香辛料と……。

 他の人たちもみんな、驚きながらそれを食べていた。

「いやぁ、うまいな、これ!」

「こんなにおいしいクッキー、初めて!」

「なんだか楽しくなってくる味ね」

「そうそう、笑いがこみ上げてくるような味だよ――!」

 そう、ぼくたちは食べているうちに、本当に笑いたいような気持ちになっていた。そのくらい、クッキーはおいしかったんだ。

 誰かがくすくすと笑い出し、誰かがあっはっはと声を上げ、ついには全員が笑い出していた。

「ああ、おいしい!」

「いや、これは最高だな!」

 そんなことを言いながら笑っていたら、ますます笑いは止まらなくなった。

 わっはっは、わっはっはっは、わっはっはっはっは……!!!

 調理場が大笑いの渦になる。

 

 ぼくたちはなんと、たっぷり30分間も笑い続けた。

 ようやく笑いが収まると、酒井さんが頭をかきながら言った。

「社長、これ、笑い薬でも入ってたんじゃないですか? こんなに声を出して笑ったことなんて、最近なかったのに」

「そうそう。俺なんて笑いすぎて顎と腹が痛いスよ。でも、なんだかさっぱりしたなぁ」

 と別府さんが照れたようにまた笑う。

 全員すっかり笑い疲れていたけれど、本当に気分は爽快だった。

「わしらは店の心配ばかりしていて、笑うことを忘れていたのかもしれないなぁ。笑いを忘れたせいで、元気もどこかに置き忘れていたのかもしれん」

 と社長がしみじみと言った。

 サンタピエロがくれたクッキーの箱は、もう空っぽになっている。

 ところが、その箱を見ているうちに、ぼくの頭にひらめいたものがあった。いつもは遠慮して黙っているけど、この時は勇気みたいなものも湧いていた。みんなでたくさん笑ったからかな。思い切って言ってみる。

「あの――このクッキーみたいに、笑える菓子を作りませんか? 買った人が、箱を開けたとたんに笑い出して、食べても笑顔になれるような菓子です。きっと、お客さんも元気になると思うんですが」

「それはどんな菓子だ?」

 と社長が尋ねてきた。

「えぇと、具体的にはまだ……。でも、とにかく、とびきりおいしくて、意外性がある菓子がいいと思います。びっくりして、にっこり、みたいな」

「びっくり箱みたいな菓子か? じゃあ、あんこにチョコでも入れてみるか?」

 酒井さんが言った。冗談のつもりのようだったけれど、アルバイトの女の子が手を打った。

「あ、それおいしそうです! 白あんに抹茶チョコとか、小倉あんにホワイトチョコとか、いいかも!」

「あら、本当においしそうねぇ」

 とベテランの女店員さんが賛成する。

「じゃあ、いっそ菓子を笑い顔にするか? 箱を開けると、にっこり笑顔の菓子がずらり!」

 と別府さんも言った。想像しているんだろう、別府さん自身がにこにこ顔になっている。

 社長はうなずいた。

「よし、全員一丸となって、もう一度がんばってみよう。コンセプトは『お客さまがびっくりして笑顔になるような菓子』だ。意外性だけじゃなく、味と素材にも徹底的にこだわるぞ。おいしいものを食べれば、人は元気になれる。お客さまを元気にできる菓子を、みんなで力を合わせて作っていこう!」

 はいっ!! とぼくたちは声を合わせて答えた。

 酒井さんたちが材料を取りに倉庫へ駆けていったので、ぼくもそれに続く。

 

 すると、チリン、と窓の外から音がした。クリスマスベルのような澄んだ音。

 ぼくは窓を振り向いたけれど、そこには誰もいなかった――。

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