船は無重力状態になっていた。体が浮き上がって進むことができない。
「ビオ! ビオ――!」
必死で呼び続けても返事はない。彼がいるハッチは、通路のずっと先――。
あたしは宇宙服のヘルメットの中で、ぎゅっと唇をかんだ。迫ってきた天井へ両手を伸ばし、力一杯押し返す。
すると、反動で体が反対側へ動き出した。力を込めた分だけスピードがついて、じきに床に下りる。
そこを思いきり蹴る。体がまた浮いて、斜め前へと動く。空中で態勢をとって、今度は壁を蹴る。また体が前へ進む。
これは無重力の屋内を進むときのやり方。「赤い海賊」の撮影でさんざんやったわ。
あのドラマは、どんな危険なアクションシーンでも、全部あたしが自分で演ったのよ。合成やスタントマンなんて一度だって使わなかった。その臨場感とリアルさが人気の素だったんだから。無重力が何よ。絶対に止めてみせるわ――!
壁から壁へ。壁から床へ。飛び移りながら蹴り続ける。蹴るたびに速度は増して、あたしは飛ぶように通路を前進していった。
ビオ! お願い、間に合って!
すると、通路の先で急に警報が響いて赤い光が点滅した。ハッチはこの先。外への出口が開くから、船内とハッチの間を閉じようとしているんだ!
天井からシャッターが下り始めた。たちまち閉まっていく――。
あたしは渾身の力でまた壁を蹴った。空中で身をひねり、床ぎりぎりに飛び込んでシャッターの下をくぐろうとする。その上へ分厚いシャッターが下りてきた。あたしが通り抜ける速度より速い――!
あたしはとっさに両手で床を押した。また速度が増して体が前へ飛び出す。
その後ろへ地響きを立ててシャッターが下りた。
間一髪――抜けられたわ!
シャッターの向こうは、もうハッチだった。シュウシュウと室内の空気を抜く音がする。行く手で船外への出口が開いていく。
そこに広がるのは、黒い宇宙空間。そのすぐ手前にビオがいた。宇宙服を着て、確かめるようにあの鞄にかがみ込んでいる。持っているのは、クッキーと、ピンク色のキャンディ形の髪飾り。メルのだわ――。
ビオが驚いて立ち上がった。
「シシィ、どうしてここに!?」
通信機越しに彼の声。あたしは何も言わずにビオに飛びついた。ことばなんて言ってる余裕がなかった。ビオを抱きしめて引き止めようとする。
でも、今、船は無重力だった。
猛烈な勢いで飛んできたあたしは、停まることができなくて、ビオを押し倒してしまった。そのまま二人一緒にハッチの出口から飛び出してしまう。
どこまでも続く宇宙空間。
星がまたたくこともなく光る。
その中を飛んでいくあたしたち。船がたちまち離れていく――。
あたしはあわててビオの宇宙服のスイッチを押した。ビオの背中の推進装置が逆噴射をして、あたしたちはようやく停まった。
「シシィ」
ビオがヘルメット越しにあたしをのぞき込む。
そこへ彼方から緑の光が近づいてきた。あっという間にふくれあがり、行く手の宇宙にしなやかに着地する。
それは、緑に輝く巨大な光の豹だった。
宝石のような緑の瞳が、抱き合うあたしたちをじっと見つめてきた――。