「それは……?」
意外なものにあたしが驚くと、ビオは笑った。
「見ての通り、クッキーだよ。メルの大好物だったんだ。これをメルに渡そうと思ってね」
「渡すって……メルはライトパンサーになってしまっているんでしょう。どうやって?」
ビオはそれには答えずに、鞄にかがみ込んで言った。
「君にも上げるよ、シシィ。こんなにたくさんあるから、ひとつくらい上げてもメルは怒らないさ」
え、そんな。あたしは別に……
でも、ビオはあたしに近づいてきた。あたしの手にクッキーの袋を落としながら、顔を寄せてあたしの頬にキスをする。あたしはびっくりして真っ赤になった。
「ちょっと――いきなり何するのよ――!」
ただのキスなのに、ひどくうろたえてしまう。
とたんに、あたしはその場に崩れるように倒れた。目の前を紫色の星が飛びかい、全身がしびれて力が入らなくなる。
立ち上がれない――。
すると、ビオがすまなそうに言った。
「ごめんね、シシィ。特別な気を送り込んだんだよ。これもぼくの能力なんだ。三十分くらいすれば、また動けるようになるから。それまで、ここでじっとしているんだよ」
「特別な気? どうしてあたしに――」
体は動かなくても声だけは出た。
ビオがまたちょっと笑う。
「危険だからさ。本当はこの船であいつを待つつもりだったんだけど、そうするとシシィまで食われるからね。ぼくは船の外であいつと一緒になることにするよ」
一緒にって――ビオ!?
ビオはほほえんだままだった。静かな優しい笑顔で言う。
「最後に話を聞いてもらえて嬉しかったよ。君は生きなくちゃね、シシィ。スキャンダルなんかに負けずに」
ビオ! ――ビオ!?
ビオは鞄を持ち直した。じゃ、と言ってコクピットから出ていく。動けないあたしを、その場に残したまま。
やだ。あの人、死ぬつもりだ。自分からライトパンサーのところに行って、食われるつもりなんだわ。あれはメルだから。死なせて、ライトパンサーにしてしまったから――。
だめよ、ビオ! 行ってはだめ!!
引き止めたいと思うのに、あたしは立つことができなかった。腕を動かそうとしても、本当に、情けないくらい体に力が入らない。それでも必死で自分の体と格闘してると、やっと肘から先が動いた。指先が耳のピアスに触れる。
とたんにピアスがピッと鳴った。これは護身用のピアス。こんな仕事をしてると、いつ変なファンに襲われるかしれないから、常に身につけている。あたしの全身に、さあっと涼しいものが流れ込んで、麻痺(まひ)が消えていく――。
あたしは跳ね起きた。
操縦席のモニターの中で、ライトパンサーがどんどん近づいていた。宇宙を駆ける光の豹。計器が示す残り時間はあと三分。早く彼を止めなくちゃ。
ビオは船の外でライトパンサーを待つと言ってた。宇宙服が必要だわ!
あたしは急いで周囲を見回した。船には必ず宇宙服が備えてあるし、置いてある場所も決まってる。ハッチの近くと、コクピット。
ほら、あった! あのロッカーに「船外服」って!
宇宙服の装着方法ならわかる。「赤い海賊」の撮影で何度も着たもの。手順さえ間違えなければ、三十秒もかからない。たちまち宇宙服を着て、コクピットを飛び出す。
ビオはハッチに向かったはず。急がなくちゃ!
すると、足下が急に軽くなって、体がふわりと浮き上がった。
船の人工重力がなくなってる! ビオが重力発生装置を停止させたんだわ。船の外に出るために。
「だめよ、ビオ!! だめよ!!!」
通路の天井まで漂いながら、あたしは精一杯に叫んだ――。