月夕の刃

- Gesseki no Yaiba -

Kei

前へ

2

 23歳になった僕は、金融系の会社に勤める新人の社会人になっていた。時間の空いた時には、スターバックス・コーヒーでスタバ・ラテを飲みながら本を読むのが日課だった。座る席はいつも店の奥の窓際、二人掛けのテーブルで、本を読むのに疲れるとそこから道行く人を誰ともなく眺めて時間を過ごした。1年も通っているうちに僕はその店の常連となっており、時には店員が優先してお気に入りの席に案内してくれたり、テーブルを空けてくれたりした。

 恋人とデートする時にはそのスターバックス・コーヒーを利用しない、というのが僕の意味のないモットーになっていた。もし彼女が喫茶店に入りたいと言えば、ドトールコーヒーに連れて行き、「あなたっていつもドトールなのね?」と言われれば「僕はスタバが好きじゃないんだ。」と意味のない嘘をついた。

 

 

 

「祐輔・・・? ねえ、祐輔だよね。」

 

 すこし肌寒い長月の午後、いつもの店を目的地に街を歩く僕の背後から声がかかった。突然名前を呼ばれた僕は少なからず驚き、後ろを振り向いた。僕の3歩ほど後ろに、20歳くらいの女の子が立っていた。その時は誰だかすぐには分からなかったその女の子。そう、ミクだ。

「少しお話する時間あるかしら?」と言うミクを、僕はスターバックス・コーヒーに案内した。特にドトールに行く理由もないのだ。僕のお気に入りの二人掛けのテーブルをミクは「いい席ね。」と褒めた。普段一人でしか来たことがない僕が女性を連れてきたことに、店員は少し不思議そうな顔をした。しかし「今日はデートですか?」などと聞くことはない。そんなことを聞くお節介な店員はそういない。彼らはいつもと同じようにスタバ・ラテのトールサイズを出してくれた。違っているところといえば、それが2人分になっているということだけだった。

 

 ミクと話をするうち、ジュヴナイルの記憶がおぼろげながら脳裏に蘇ってきた。ミクは僕と同い年なので、彼女も現在23歳ということだ。15年が経ったミクの容貌は、以前の面影をあまり残してはいなかった。(僕がその時、15年前のミクの顔を鮮明に思い出せなかったという事実も挙げておく。)長い髪を二つに束ね、あまり飾り気のない子供っぽい顔立ちがとても可愛らしく見えた。再会したミクは年齢よりも明らかに幼く見えた。19歳と言っても大半の人は信じてしまうだろう。

 

 

 

 それから僕とミクは頻繁に会うようになった。恋人とのデートそっちのけでミクと会っていて、恋人から文句を言われたことも二度ほどあった。もちろん、恋人には「幼馴染の女の子と会っているんだ。」などとは口が裂けても言えない。ミクと会う場所はたいてい例の店の窓際の席で、カップが空になっても飽きることなく昔話をしていた。次第に僕も15年前の日々を思い出しつつあったが、ミクの語る記憶はまるで、あの日々から一晩寝ている間に15年が経過してしまったかのように鮮明であり、中には僕が一晩中かけても思い出せないような事柄もあった。もしミクがひとつくらい作り話を混ぜていたとしても、僕は間違いなく気付くことはなかっただろう。

 

 後に考えてみれば不思議な点もいくつかあった。なぜ僕に声をかけることが出来たのか? ミクと僕が二人であちこち駆け回っていたのは15年も前。引っ越してミクと別れる時の僕でさえ8歳だった。ましてや僕は男だ。15年どころか数年もすれば面影も声も変わってしまう。干支が一周するより長い間離れていた人物をすぐに認識する事など可能だろうか? さらに思い返してみれば、再会したミクの最初の言葉は「祐輔だよね。」であった。確信を持って声をかけてきたという事ではないか? 僕はミクの顔どころか存在すらも記憶から失われていたというのに。

 

 そこまで考えて、僕はあの不思議な時計の事を思い出した。時計盤に1から13までの数字が刻まれている時計。僕の誕生日にミクがくれた、あの時計だ。

トップへ戻る