俺たちは図書館から、つむりの家に戻った。
思いがけない結末だった『カエルの王子様』。力一杯壁にたたきつけられるなんて方法、恐ろしくてとても実行できないじゃないか。
なんて物語だよ、まったく!
すると、制服から着替えたつむりが、台所に入ってきて言った。
「お腹すいてない、増子君? おやつにホットケーキでも作ろうか?」
「いらないよ!」
イライラして、つい八つ当たりすると、つむりが、しゅんとなった。
あ、やべっ……。
俺はあわてて話題を変えた。たまたま、つむりの靴下が目に入ったので言う。
「カタツムリのワンポイントのソックスか。おまえ、ほんとにカタツムリが好きなんだな」
つむりはカタツムリのワンポイントのTシャツも着ていた。これのおかげで、俺は昨日、近づいてきた彼女に気がつくことができたんだ。
とはいえ、ちょっと変わってるよな。普通、カタツムリなんて仇名をつけられたら、嫌がるんもんじゃないのか?
すると、つむりは、にこっと笑った。
「うん、大好きだよ。このカタツムリは、自分で刺繍(ししゅう)したの。簡単だよ。パターンを入れてミシンでやるの。かたつむりって、自分の家を大切にするじゃない? いつも家を背中に乗せてて。なんかいいなぁ、って思うんだ」
カタツムリは家を大切にする? うーん、そう言えないこともないかもしれないが……。
すると、つむりが俺にかがみ込んで言った。
「あのね、増子君がそうしたかったら、あたしの家でずっと暮らしていいのよ。もしも増子君が元に戻れなくて、カエルのままだったらね。あたし、家に誰かがいてくれて、一緒にご飯とか食べてくれるのが、すごく嬉しいから――」
元に戻れないなんて冗談じゃない! と言いかけて、俺はことばを呑んだ。真面目な表情のつむりを、見つめ返してしまう。
昨夜、つむりはカエルの俺とふたりきりで夕飯を食べた。つむりの両親は離婚していて、つむりは母親と暮らしている。母親はばりばりのキャリアウーマンで、毎日帰りが遅いらしい。
昨夜、つむりが母親のために準備した夕食は、今朝になってもテーブルに残っていた。会議と残業で午前様の帰宅だったからだ。
つむりの母親は、つむりに起こされると、寝不足の顔にばっちり化粧をして出勤していった。カエルの俺にも気づかなかったし、つむりが作った朝食にも手を付けようとはしなかった。
「朝ごはん抜きは体に悪いよ、ってママに言っているんだけれどね」
つむりはそう言って、淋しそうに笑った――。
俺がそんな場面を思い出していると、つむりが、あっと言った。
「でも、増子君は、やっぱり人間のほうがいいんだよね。元に戻れないのは困っちゃうよねぇ。そうだ。明日はあの公園に行ってみようか。増子君に魔法をかけたカエルを見つけて謝ったら、元に戻してくれるかもしれないものね」
そう言って、つむりは庭に出て行った。
俺は何も言えなかった。
つむりはクラスでもひとりテンポがずれていて、友だちはほとんどいない。学校でも家でもひとりきりだ。ずっとそんなふうだったから、今さら特に不満もないのかもしれない。だけど――
俺は自分の両親を思い出した。勉強していい学校を目指せ、とうるさい父さん。俺をしょっちゅう心配して泣いてばかりいる母さん。だけど、俺は家でもひとりぼっちじゃないよな……。
すると、つむりが庭から戻ってきた。手には茎のついた小さな葉っぱを持っていた。
「明日は雨になるって。増子君はこれを傘にするといいと思うよ」
そう言って、葉っぱを差し出してくる。
「カエルがそんなもん持てるかよ! 鳥獣戯画じゃあるまいし!」
俺は思わずどなっていた。なんと返事をしていいのか、わからなかったんだ。
たかがカエルの俺に一生懸命なつむりが、なんだかひどく切なかった――。