つむりは、俺の高校のクラスメートだ。
もちろん本名はそんな変な名前じゃない。大沢春香。でも誰もそう呼ばない。
馬鹿ってわけじゃないはずなんだが、とにかく行動がとろい。教室移動でも、ぼーっとひとりだけクラスに残って、クラス委員や担任に叱られてやっと動く。
ついた仇名が「かたつむり」。いつしかそれも省略されて、ただ「つむり」。
青い猫の傘をさして生け垣を眺めていたのは、彼女だった。俺が声を上げたものだから、驚いてこちらを見ている。
すると、つむりが俺に目を留めた。すうっと歩み寄って、顔を近づけてくる。
「こんにちは。今、あたしを呼んだのはあなた?」
つむりは俺に向かってそう言った。俺はカエルなのに! 紛れもなく、小さなアマガエルなのに!
「おまえ、俺がわかるのか……!?」
思わずまた声に出して尋ねると、つむりが首をかしげた。傘が揺れて雨しずくが縁からこぼれ落ちる。
「カエルさん、口がきけるの? すごいね。童話みたい」
俺は呆気にとられた。こいつ、俺をカエルだと思って話しかけていたのか!
つむりは目を細めて笑っていた。歳の割に幼く見える、純な笑顔だ――。
だが、俺はすぐに我に返った。
このチャンスを逃してたまるか! 勢い込んでまた話し出す。
「つむり、俺だ! 増子大介! わかるか!? おまえのクラスの増子だよ!」
つむりは笑顔をひっこめた。
おまえのくらすのましこ?と不思議そうに繰り返す。
「そうだよ! クラスで一緒の増子だったら!」
それでも、つむりはまだぴんと来ないようだった。じぃっと俺を見つめてくる。
こいつ、目がでかいな。それに、アップで見ると意外とかわいい顔してやがる――
って、今はそんなことを考えている場合じゃない!
「わかんないのかよ! 増子だったら!!」
すると、ようやく彼女が納得した顔になった。ああ、と言って両手を打ち合わせる。
とたんに傘が歩道の上に落ちた。
「あら、いけない。傘の中が濡れちゃう」
と、つむりがおもむろに傘を拾う――
いや、そんなもの放っておけよ! ここはびっくりして、「どうしてそんな恰好になってるの!」と言う場面だろう!?
つむりがまた俺を見た。不思議そうに話しかけてくる。
「増子君、カエルになっちゃったんだ。すごい変身だね。楽しい?」
た、楽しいわけあるかぁぁ――!!!
とにかく、つむりと話すとテンポがずれる。それでも俺は必死で話し続けて、ようやく俺に起きたことを彼女に理解してもらった。
「増子君、魔法でカエルにされちゃったんだ。元に戻る方法がわからなくて、困っていたのね」
「そうそう! そうなんだよ! やっとわかったか!」
とたんに、どっと疲れが出て、俺は葉っぱの上にしゃがみ込んだ。
ああ、腹も減ってきたなぁ……。
すると、つむりがひょいと俺をつまみ上げた。高速エレベーターに乗ったように、俺の体が持ち上げられていく。
と、俺はつむりの頭の上に載せられた。その上に、青い傘がかかる。
「あたしの家に来て、増子君。増子君が元に戻れる方法、一緒に探してあげるからね」
そう言って、つむりが歩き出す。
俺は転げ落ちそうになって、つむりの頭にしがみついた。その拍子に、つむりの顔が目に入る。
つむりは泣いていた。涙の粒が、頬を伝っている。
「お、おい。なんで涙なんて……」
うろたえる俺に、つむりはまた言った。
「必ず戻してあげるからね。だから、安心してね、増子君」
俺を頭に載せたまま、つむりが歩く。
歩道の横にアジサイの花が咲いている。
降りしきる雨は、いつの間にか小雨に変わっていた……。