Illustrated by Numataro
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足の裏に痛みを感じて飛び跳ねた。 畳の上には、銀色に光るにくったらしいネジが一本。 しゃがみ込んで手に取り、放り投げようとしたが、手がスイングしきる一歩手前でとどまった。 はて、なにのネジだろう。 寝ぼけてもうろうとした頭で考えてみる。 ぼさぼさ頭を右手でかきむしる。 「うーん・・・。まぁ、そうだなぁ。」 とりあえずは、目的のトイレへと向かった。 小さな窓からは、向かいの家の壁が半分と高架橋が視界を遮り、大きな荷台のトラックがエンジン音を響かせながら断続的に通り過ぎた。 「さて、どんなもんだろう。とっ・・・・。お?」 反射的にドアをばむと跳ね開けた。 「そうかこいつだったのか。」 と、昨夜の記憶をたぐり寄せることに成功した僕は、小さく歓喜した。 ネジが落ちていた畳にあぐらをかくと、その横に転がる小さな箱を手に取った。 これもまた銀色の箱。 10cm四方の小さな立方体で、正面中央に丸いのぞき穴があり、その奥で黒ガラスが窓灯りを反射させ、鈍く光っている。 側面にはなにもなく、裏側にはネジ穴が4つ。 説明書によればこれで完成しているはずだ。 でも、動いている気配は全くない。 それで、昨晩はずっと悩んでいたんだ。 「でも、どこのネジかなぁ。これが無いから動かなかったのだと思うけど。」 なんてつぶやきながら、とりあえずは説明書を見直してみることにした。 ところがこのA4程度の紙切れは、組立方を記した図以外は役に立つものではない。 ここで使われている文字は、僕が知る限りの言葉では無いようだ。 もちろん日本語では無い。 漢字らしきものが見あたらないのだから、中国語でも無いだろう。 アルファベットでも無いし、ハングルでも無い。 どちらかといえばアラビア文字に見えるが、もしそうだとしても辞書を片手に解読していたらそのまま数年の歳月が流れることになるだろうから、やめておく。 数字だけは見慣れたものだってのがご愛敬。 入手先のホームページは、昨夜見に行ったらホストごと消滅していた。 代金はクレジットカードだったけど、まぁ酒の勢いもあったので、思わず注文シートに記入したのは3ヶ月前のこと。 何となく覗いたその掲示板には「おもしろいものありますよ」と書き込みがあった。 リンクに次ぐリンクで、意固地になってたどっていった先のページには、まぁなんかよくわからない写真と英語の説明文があった。 要約すると『ストレス解消合法ドラッグ。ただし薬品ではありません。この機械は精神を安定させ、気分を向上させる効果があります。』云々。 まぁ、なんというか、オカルト系雑誌でおなじみのふれ込みなのだが、その時はなんとなく興味を引かれた。 で、忘れていた頃に届いたわけ。 さて、届いたのが金曜日の夜。 土日は休みなので、ゆっくりとやってみようなんて思っていたのだが、これがまた自分で組み立てなくればならないことがわかって、しかも取扱説明書にはわけのわからない文字が羅列しているときたもんだ。 面食らった僕は、それでも試行錯誤しながら組立始めた。 で、今日の明け方に組みあがったのだけど、動く様子も無い。 不愉快になったのと疲れたので、そのまま寝てしまった。 動かないのはたぶん、このネジか無かったからだと思うけど、組んでいた時点では余ってなかったような気もする。 はてはて。 「まぁ、どうせ動かないのだから・・・。」 と、ドライバーを握る。 このネジが原因ではないとしても、なにかしら間違えている部分があるから動かないのであって、直すには一度分解してから組み直す必要がある。 まぁ、パズルのようなものだ。 裏蓋のネジをはずして内部の機械を取り出す。 その時点で空腹感を覚えたので、目玉焼きを作り食パンに挟んで食べた。 半熟の黄身が食パンに染み、全体が塩気を帯びていてなかなかうまい。 手に着いたパン屑をズボンで払い、口をモゴモゴさせながら作業を進めた。 黒ガラスは大きめのチップに張り付けられ、それは黄色い基盤へと続いている。 この部分はプラスチック製の枠により保護されているため、とりあえずは裏側に当たる部分から分解しなくてはならない。 アルミ製の小さな板にはめ込まれている電池ボックスには単三電池が1本。 基盤とこの板にはさまれる形で、少々複雑な構造のメカが見える。 この部分が心臓部だと思われる。 さて、とりあえずは基盤とアルミ板をつなげている長いネジをはずして、プラスチック製の枠を慎重にどける。 アナログ時計のような仕組みが顔を覗かせた。 電池をはずしていないので、この時点では電気が流れているはずが、どの歯車も回転していないところを見ると、やはりどこかに欠陥があるのだろう。 もう一度今朝見つけたネジを見る。 長さは10mm程度でマイナス。頭の部分は平らになっている。 歯車を止めるネジだろうか。 一番細いドライバーを取り出す。 「っと、いやいやプラスじゃなくてマイナスだよな。」 そう思ってドライバーを変えようと思ったのだが、手の中にはすでにマイナスが握られていた。 ギアボックスを分解するのは少々困難なのだが、それでも一部は自分で組み立てたのだからと、自分に言い聞かせる。 表面のネジをはずして、跳ね板が組み込まれている部分にドライバーを差し込む。 このネジはかなり変な向きになっているため、組み立てるとき、ネジの溝にドライバーの歯がなかなかあってくれず、イライラしたのを覚えている。 さて、今回は・・・とドライバーを差し込むと、すんなりと溝にはまった。 なんかすごく爽快である。 手元を見てみると、ドライバーがするすると回り、ネジがはずれた。 ネジを小箱の中に入れると、ドライバーはその隣のネジをはずしにかかった。 両腕を広げてフムと振り回し勢いをつけ回転すると、ネジはあっという間にネジ穴から分離する。 それと同時にそのネジに付いていたバネがピンッと音を立てて跳ねた。 「おっと、っと。」 そのバネを目で追うと、正装した青いネズミがキャッチしてくれた。 礼を述べると、彼は山高帽の端を軽くつまんで会釈し、そのままどこかへ行った。 さて、このギアボックスの中は複雑だ。 無数の歯車がかみ合っていて、ネジの数はわからなくなっている。 「どうだろうな。」 僕がつぶやくと、向かいでのぞき込んでいる僕が第二層の歯車を指す。 「ここら辺じゃないかな。たぶん。」 「そう思うかい?」 「うん。黒ガラスは十三の歯車で成り立つからね。たぶんそこら辺だよ。」 彼の意見はもっともだった。さすが僕だ。 その歯車を取り出すためには、第一層を通過しなければならない。 とりあえずは正面の歯車の動きを見切りながら、肩スレスレに通り過ぎた。 頭上には大きな歯車にぶら下がった道化師が、奇怪な声を上げながら回っている。 彼の言い分に耳を傾けていると日が暮れそうなので、先を急ぐことにした。 第二層の歯車までたどり着いたとき、そこであくびをしていた猫に訪ねた。 「この近くに小さなネジを忘れたところはないかい?」 猫は横目でチラリと僕を見た後、髭の手入れをしながら言った。 「昨日の夜は新月だから、カラスの奴が持っていったのさ。カラスは光るものが好きだから、今頃は巣の中だと思うよ。」 カラスが取り出して、何かの拍子に落としたのかな。 「それより青いネズミを見なかったかい?奴を食べないとあたしはいつまでも腹ぺこなのさ。」 青いネズミにはバネを拾ってもらった恩がある。 そんなネズミは見かけなかったと答えると、猫は「そうかい・・・」とつぶやき、しっぽをふるるとふるわせて、三歩目に頭の方から消えていった。 第二層の歯車を点検してみたのだが、どこにもネジが抜けた様子はなく、僕は先ほど外した跳ね板に腰を下ろして、冷たくなったコーヒーをすすった。 ここから見ると第六層あたりには大きな振り子があって、そこには品のよい白髪の紳士が二人、チェスを興じているのが見える。 彼らに聞けば何かわかるかもしれない。 水銀で満ちた河はキラキラと光り、黄金色の魚が時折ダンスを見せる。 先ほどのネズミがゴンドラでするすると近づいてきた。 「河を渡るならば3ペンスだ。」 僕はポケットを探ったが、あるのは水晶のかけらと一切れのパン。 彼にパンを渡すと、乗れとゴンドラに誘った。 僕が乗るとすぐに、ゴンドラはゆらゆらと河へ滑り出す。 ぼんやりと今きた道を眺めると、第一層の歯車の向こうには、膝を立て空を見つめている男が、何かをぶつぶつとつぶやいていた。 彼の頭に開いた小さな穴からは、紫色の煙がモクモクと吹きあがっている。 左手で握りしめていたネジを、その男の方へ放ってやったら、目ざといカラスが空中でキャッチして、青い空のかなたへと飛び去った。 これで、男の頭頂にあったはずのネジは、永久に失われてしまった。 空には、ぽかりと浮かんだ黒ガラスが、静かな輝きを放っている。 旅は始まったばかりだけど、僕って存在はこれで終わったのだと、思った。 End
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