「母のこと」
くらげ 



 私は子供の頃、母が嫌いだった。

 部屋が汚いことや勉強をしていないことでよく怒られていたものだ。テストの点が良くても褒められず、悪ければ怒られる。「やってもできないのなら仕方ないけど」と言われると、正論なだけに何も言えなくなる。私が勉強をサボっていたのは事実だったから。私がADD(注意欠陥障害)の診断を受けたのは28歳の時。まさか勉強をコツコツすることが苦手なのが障害の特性だなんて、当時の母や私が知る由もなかった。

 他の人と比較されることも嫌だった。部屋が汚いことについては、きちんと片付いている兄の部屋を持ち出す。「女のくせに片付けられないなんて・・・」と言われても、好きで散らかしているわけではないのだから、私を苛つかせるだけだ。近所の子と比べられることもあった。「○○ちゃんは挨拶ができてえらい」なんていう話を聞かされても、私が挨拶をするようになることはなかった。だって、誰に向かってどんなタイミングで何て挨拶をすればいいのかも、挨拶をする理由さえもわからなかったから。ただ私は挨拶もできないという事実に気付き、ますます自信をなくしただけ。

 でも、辛かったことばかりではない。確かに、何かをしてもらって嬉しかったというエピソードなんて特別思いつかない。それでも、何でもない当たり前の日常を送ってきた。取り立てて思い出せない程の些細な楽しいことやおもしろいことは、普通に生活の中にあったはずだ。それは、やはり母に愛されていたということなのだろう。私自身、母に嫌われていると思ったことは1度もない。愛されていると思っていたわけでもないので、何も考えていなかっただけかもしれないけれど。

 私が学生の頃のことだ。テレビのニュースでいじめの特集をやっているのを、偶然母と2人で見ていた。途中で母が「いじめられた子が悪いって言う人もいるけど理解できない」と言った。それに対して私は何も言わなかったけれど、内心とても嬉しかった。私と根本は一緒だということがわかったから。

 そういう考えを持った母の元で育ってきた。母が好きだったマンガを一緒に読み、母が選んだ本を読んでいた子供時代。ちょっとした言動からも、あまり裏表のない母の気質がわかる。子供のことをろくに褒めることもできない不器用な人であるが、本当はいい人なのだ。母のことが嫌いだったといっても、良いところも無意識のうちに感じ取っていたのだろう。実際に母がいい人だと気付き、好きだと思えるようになったのは高校生の時だが、それまでも一緒に過ごしてきて、母の良さは自然に私にも受け継がれていたような気がする。

 今、私は自分のことが好きだ。ここは変えたい、直していきたいという面はたくさんあるけれど、基本的に自分はいい奴だと思っている。そう思える土台を作ったのは、育ててくれた母なのだと思う。その土台があったからこそ、ゆっくりだけれども自分で前に進んでくることができたのだ。

 母とは今ではたわいもないお喋りを楽しむような関係だ。深い話はしないからADDについては話していないけど、荒れ放題の部屋も家事を任せきりのことも特に責められることはない。諦めなのかもしれないが、私を否定している感じではない。だから私は前向きでいられる。仕事、生活、人間関係など課題は多いけれど、これからもマイペースで取り組んでいきたいと思っている。

(2006年6月2日一部修正)




前の手記へ   もくじへ   次の手記へ