叔父の森田は、メッセージを受け取った門番を呼んで、ロールスロイスの女について尋ねてみた。
 黒い革のパンツスーツと黒豹の毛皮のコートに身を包み、見事な長い金髪で、黒いサングラスをかけていたことは分かったが、肝心の年齢や国籍は定かではなかった。ただ、言葉は流暢なフランス語を話したという。

 真一は、カードをじっと見つめた。
 これが単なるメッセージではなく、何かの暗号だとしたら・・・

 Your carelessness is a nail in YOUR coffin.

 直訳すれば、「お前の不注意はお前の棺桶の釘になる」というところだが、coffinには、棺桶以外の意味もあっただろうか・・・?
 俗な言い方では、おんぼろの船を棺桶と呼ぶことがある。馬の蹄の骨がある部分もcoffinと呼ぶらしい。
 nailの方には、別な意味があっただろうか?

 真一は必死で頭をフル回転させていた。直感だが、このメッセージを解くことが、本当に自分の命運を左右するのだという確信があったのだ。
「nail・・・釘、爪、鋲・・・棺桶の釘で、煙草や酒のような、命取りのもと・・・そうだ、昔の尺度にもネールってのがあったはずだ・・・釘、爪・・・獣の爪・・・釘・・・打ちつけるもの・・・nail・・・ネイル・・・」

 その瞬間、頭の中を鋭くひらめいていくものがあった。
 真一は飛び上がると、やにわに壁際へ駆け寄り、『アテナと蜘蛛』の絵を引き下ろして額を外した。
「どうしたんだ、急に」
 と森田があきれるのにもかまわず、絵のキャンバスを探り始める。
 キャンバス地は、木の枠に小さな「釘」で打ち留められていたが、そのうちの一本だけが他の釘と違って妙に真新しかった。真一は、それをナイフでこじ抜こうとして、はっと手を止めた。

「何をしているんだね、ドン・オカザキ! 君には芸術を大事にする心がないのか!?」
 頭上に突然われ鐘のような声が響きわたった。
 マフィアのボス、ドン・アミーゴが、数名の腹心の部下を引き連れて、真一の盗んできた絵を見に来たのだ。
 真一は、ドアの前にふんぞり返って立つ太ったスペイン男を横目でにらみ、『アテナと蜘蛛』を部下に手渡して言った。
「失敗したよ、ドン。発信機をつけられていた。その右下角の新しい釘だ」
 ドン・アミーゴたちはあわてて絵を回し、釘型発信機を見つけて驚嘆した。おそらく、世界最小の発信機だろう。

 だが、ドン・アミーゴはすぐに悠然と笑った。
「大丈夫、何も心配はない。警察が乗り込んでくる前に発信機を始末して、絵を隠せば良いだけのことではないか」
 真一は苦り切って、頭をかきむしった。
 そんなことで済むのなら、彼だって「失敗した」なんて敗北宣言はしない。
「だめなんだよ、ドン。よく見てくれ。その発信機にはマイクロコード・キーが組み込んであって、無理に抜けば爆発するようになっているんだ。もちろん、絵に仕込まれた火薬の量から見て、爆発は微々たるものなんだが、絵を損なうには、それで充分だ。解除コードを入力してからでないと、発信機は外せないんだよ−−−」

 さすがのドン・アミーゴも、これには青ざめた。
 部下が、発信機のついていない2枚の「アテナ」だけを手元に残し、『アテナと蜘蛛』は発信機ごと始末してしまっては、と提言したが、アミーゴは、相手をぶっ飛ばすほどの勢いでそれを怒鳴りつけた。ビトロの「アテナ」は三つ揃って、初めて価値が出るのだ。
 だが、発信機の解除コードを見つけている時間もない。
 ついにドンは泣く泣く「アテナ」を諦めた。

「よし、そうと決まったら、急いで行動しなくては」
 森田がドン・アミーゴに言った。
「弟子の失敗は、師である僕の責任だ。僕と真一で、屋敷の裏庭からヘリコプターを飛ばす。警察は君が乗っていると思って、僕らを追ってくるだろう。その隙に車で逃げてくれ」
 すると、ドン・アミーゴがにやりと笑った。
「身代わりを買って出ようというわけか。いかにも日本的だが、このどさくさに二人で高飛びしようと言う意図が丸見えだぞ、ドン・モリタ」
 モリタも、大胆にそれに笑い返した。
「そうかもしれない。だが、あなたにしても、今こんなところで、窃盗罪で豚箱に入りたくはないんだろう? 悪い話ではないと思うが」
「今度は開き直りか。だが、確かにそれは言える。・・・そうだな。君たちが、いや、ドン・オカザキ、君がもう一度、この3枚の絵を私のために盗み直してくれると約束するのなら、ヘリを君たちにプレゼントした上で、高飛びの資金も援助してやろう。どうだね、この商談は」
「けっこうだ」
 真一は前髪を払いのけると、自信たっぷりに笑って見せた。
「俺の面子にかけて、『アテナ』は征服して見せよう。ビーナスもどきの軍神に、マーキュリーが負けるわけには行かないからな(1)
「その意気だ・・・ビーナスもどきの軍神、というのは、ちょっと気にいらんが」
「趣味の違いだよ、ドン」
 真一はそう言うと、3枚の「アテナ」の前で、ドン・アミーゴと誓いの握手をかわした。


(1)アテナはギリシャ神話の知の女神にして、軍神。マーキュリーは風の神だが、泥棒の神でもある。


 
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