「案の定だ。警察が追ってきたぞ」
 森田がヘリコプターの操縦桿を握りながら言った。
 彼らをドン・アミーゴと思って、四、五台のパトカーが高速道路を猛スピードで走っていた。
 こちらは空を飛んでいるのだから、パトカーの追跡を振り切るのは簡単なのだが、警察の目を惹きつけておく必要があったので、森田はわざと高速道路からつかず離れずの上空を進んでいた。
「ドンはうまいこと逃げて、ほとぼりが冷めたらまた戻って来るつもりだろう。いや、案外、盗品を買わされただけだ、としらを切るかもしれないな。どちらにしろ、彼はもう心配ない。・・・どうした、真一? 黙り込んで」
 叔父にそう声をかけられて、真一は、眺めていた例のカードを立てて見せた。
「この差出人がどうしても分からないんだよ。これのおかげで、俺達は助かったっていうのに」

 −−−Your carelessness is a nail in YOUR coffin.

 一行だけのメッセージの字間から、隠されているものを読みとろうとするように、真一はカードを見つめ続けた。
 ふと、どうしてメッセージが英語なんだろう、という疑問が頭をよぎっていく。カードを持ってきた女性は、流暢なフランス語を話したということだったのに。書き手と運び手は別人なのだろうか・・・?

 すると、森田が突然、渋い顔になって行く手を示した。
「助かったと言うには、まだ早過ぎるようだぞ。ほら、お出迎えだ」
 皮肉っぽく顎で示す先の、雲の中から、パリ警察のヘリコプターが姿を現しつつあった。
 こちらを見つけて、まっすぐに接近してくる。
「そら」
 と森田が真一にライフルを投げてきた。
 真一は弾を確認してから、念を押すように言った。
「俺は人だけは撃たないからな」
「好きにしろ」
 と、吐き出すように森田。

 真一はヘリのドアを開け放った。
 たちまち、耳をつんざくようなプロペラの轟音と圧倒的な風が機内になだれ込んでくる。
 風に押し戻されそうになりながら、真一はライフルを構えた。シートベルトをつけたままでは体勢が苦しいが、外してしまうわけにはいかない。
 森田が、器用に操縦桿を操作して、ヘリの鼻先を横向かせる。

 警察のヘリコプターがどんどん近づいてくる。
 チャンスは少ない。
 もしも、狙撃に失敗したら、今度は機体の横腹をむき出しにしているこちらが危険になるからだ。
 射程距離に入ったら、すぐに撃たなくては。

 真一は照準機をのぞきこんで狙いを定めた。
 機内に見える人影を避けるようにしながら、一番効果のある場所−−−風防を狙う。
 と、向こうもいきなりヘリコプターを90度反転させた。
 今まで正面を向いていた機体が横顔を見せる。
 その理由はすぐに分かった。向こうでもドアを開けて、銃でこちらを狙っていたのだ。
 真一はとっさにトリガーを引いたが、狙いは外れ、弾は向こうのドアのあたりに当たったようだった。

 キイィ・・・ン!
 頭上で鋭い金属音が上がった。向こうの弾丸がヘリコプターの上部に当たったのだ。
 明らかに、銃を持つ真一を狙っている。
 真一は歯を食いしばると、二発、三発とライフルを撃った。
 向こうの窓に、白い霜の花が咲くように、ひびが走るのが見えた。

 ヒュウン−−−ドシッ!
 向こうの弾が機内に飛び込み、反対側のドアの内側に突き刺さった。
 真一はあわててドアを盾にしようと引き寄せて、はっと、その手を止めた。機内に突き刺さっているのが、弾丸ではなく、鋼鉄の矢なのに気がついたのだ。
 敵はボウガンを撃っている・・・!
 真一は信じられない思いで矢を見つめてしまった。
 激しい風を巻き起こすヘリコプターからヘリコプターへ、矢を撃ち込んでくるのだから、恐ろしく腕の立つ狙撃手だ。
 と、その矢羽の付け根に、何かぶら下がっているのが目に入った。
 女子中学生が鞄につけるような、安っぽいプラスチック製のマスコットだった。
 マスコットの形は、林檎−−−

 その瞬間、真一は向こうのヘリに誰が乗っているのか悟ってしまった。
「叔父貴! 向こうにぎりぎりまで近づけてくれ! 早く!!」
 真一はいつになく興奮して森田を急きたてた。
 こちらが撃つのを止めると、向こうのヘリコプターも攻撃してこなくなった。
 そのまま、双方は近づき合い、お互いの顔が見えるほどまで接近した。

「近づきすぎた! 離れるぞ−−−!」
 とわめく叔父を引き止め、真一は身を乗り出すようにして、ボウガンを撃ってきた人物を見極めようとした。
 向こうのヘリコプターは、こちらと平行に飛ぼうと苦心している。
 すると、半ば閉じかけていた向こうのドアが再び開き、そこに女が現れた。
 黒いパンツスーツに金髪、黒いサングラス−−−毛皮こそ着ていないが、真一に例のメッセージカードを運んできた人物に違いなかった。

 真一は出口にしがみつくようにしながら、声を限りに怒鳴った。
「君は誰だ! 誰に頼まれた!?」
 だが、声はプロペラと風の音にかき消されてしまう。

 ところが、女はまるでそれが聞こえたかのように、シートベルトを外して立ち上がり、自分の髪を押さえた。
 いや−−−髪を押さえたと見えたのは一瞬で、次の瞬間、それは金色の糸の束となって手の中に抜け落ちていった。
 かつらの下から現れたのは、セミロングの黒い髪・・・・・・

 風が女の顔からサングラスを引きむしっていく。
 女は思わず顔をそむけ・・・ゆっくりと真一の方を向くと、にやっと笑った。
 アップル、だった。

 日本で彼女と別れてから、何年が経ったのだろう。
 真一がフランスの叔父の元に泥棒修行に旅立って間もなく、アップルこと北条明子も、探偵の勉強をする、と言ってアメリカに行ってしまったのだ、と、明子の妹の紀子から教えられていた。
 ふらりと日本に戻ってみた今年の正月のことだ。
 別れたときには高校3年生の少女だった紀子も、すっかり化粧の上手な女子大生になっていた。
 そう・・・5年が経っていたのだ。
 まるで少年のようだった明子も、今ではすらりと背の高い、年相応の女性に成長していた。
 それが、5年の歳月の重みだった。
 髪が長くなっているためか、化粧をしているためか、かつては十人並みだった明子の顔が、なかなか魅力的な美人に見えて、真一は面食らっていた。
 5年間のギャップの衝撃が大きくて、何故、彼女がここにいるのか疑問に思うことさえ忘れていたほどだ。

 すると、明子は、唯一昔通りのキラキラ光る瞳で真一をじっと見つめ、拳銃の形にした手を伸ばして、彼に向かって撃つ真似をした。
 「あいつが犯人だよ」と言いながら、捜査のターゲットを絞るときによくやっていたポーズ。
 そして、あの屈託のない、犯人殺しの笑顔が、にっこりと広がる。

 真一は、背筋がぞくぞくしてきた。
 明子は真一に向かって「お前を捕まえてやる」と宣言してきたのだ。
 犯罪王国アメリカで、探偵の腕を磨いてきたのに違いない。
 あの『アテナと蜘蛛』の絵に巧妙な発信機を取り付けたのも、彼女だったのだ。

 真一はいきなり笑い出すと、明子に向かって拳を振り回して叫んだ。
「捕まえてみろ、アップル! 俺とお前と、どっちがうわ手か勝負だ!」
 すると、明子がうなずいた。読唇していたのだ。
 そして、ウィンクをひとつ。

 明子がドアを閉めると、警察のヘリコプターはたちまち真一たちから離れていった。
 警察の上層部には、ボスのドン・アミーゴはヘリに乗っていなかった、とでも伝えるんだろうな、と真一は考えた。なんとなく、明子ならそうしそうな気がした。
 そして、遅まきながら、どうして彼女がフランス警察に加わっていたんだろう、と不思議に思った。

「はらはらさせるな、君は」
 森田が操縦桿を操りながら、不機嫌そうに口を開いた。
「あの女は誰なんだ。君の恋人か?」
「ん・・・恋人だった子の姉で−−−たぶん、俺の生涯のライバルなんだろうな」
 と真一はドアを閉めながら答えた。体の内側から、こそばゆいような想いがこみ上げてきて、自然と笑顔が浮かぶ。
 そんな甥っ子を見て、森田は肩をすくめた。
「つまり、ルパンの宿敵、ホームズ君というわけか」
「でも、あのミス・ホームズは、ルブランが書くほど間抜けじゃないからね、油断は出来ないんだ・・・」
 今回のことだって、全部あいつが仕組んだことなんだから、と真一は胸の内で言い続けた。
 不思議と、明子がドンや自分たちを手玉に取ったことが、得意でさえあった。
 そう、ライバルが強力であればあるほど、こちらも燃えるというものだ・・・。

 明子が撃ち込んだ矢が、反対側のドアにめり込んでいた。
 それを外そうと引っ張ると、根元に結びつけられていた林檎のマスコットが外れて二つに割れ、中から小さく折りたたんだ紙切れが出てきた。
 広げると、見覚えのある明子の筆記体で一行−−−

  See you again in Japan.(2)

 真一は思わずまたにやりとすると、森田に言った。
「叔父貴、適当なところで俺を下ろしてくれないか。例の発信機が外された時を狙って、三枚の『アテナ』を盗み返してやる。ドン・アミーゴにもそう伝えておいてくれ。・・・そうしたら、俺はすぐにフランスを離れるから」
 森田はそれを聞いて、ちょっと眉を上げた。
「どこに行くのか、決まったのか」
「うん。たった今ね」
 真一は、明子たちの飛び去った方角を見た。
 明子たちのヘリコプターが、雲の切れ間できらめき、見えなくなっていく。
 まるで、真一をいざなうように・・・・・・

 真一は、明子のメッセージを握りしめて、また笑った。
「行き先は、もちろん日本さ−−−」



The End

(2)訳:「日本で、また会おう。」


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