探偵アップル外伝 「アテナの挑戦」
      朝倉玲 

「アテナ」
Illustrated by Ley Asakura



 目の前に並ぶ3枚の「アテナ」の絵を、真一は腕組みして眺めていた。
 マフィアのボス、ドン・アミーゴの館は静まり返り、深紅のカーペットを敷きつめた回廊には、ブラインド越しのけぶった陽光が差し込んでいる。

 と、回廊の突き当たりの扉が開き、叔父の森田修司がボーイを従えて現れた。
「やあ、ルパン2世の誕生おめでとう。シャンパンを運ばせたぞ」
 真一は肩を軽くすくめて苦笑した。
「てことは、俺は晴れて卒業なんだね。でも、ルパン2世ってのはいただけないや。日本のアニメのパロディみたいで」
「そう言うな。1905年に、アルセーヌ・ルパンが初めて世界に登場して以来、彼にあやかりたくてルパンを名乗った奴は数え切れないほどいたが、君ほど本物に迫った人間はいないんだからな」
 すると、若い甥っ子は頭を振った。
「弟子を過大評価しすぎてるよ、先生。アルセーヌ・ルパン張りに変装や盗みが出来るやつがいたら、そんなの人間じゃないさ」
 冷静そのものの答えに、叔父も思わず苦笑いをした。
「まあ、そうかもしれんが・・・変装のテクニックと言い、盗みの手際と言い、君がもう僕を越えたことは確かなんだ。少しくらい、師匠を感激にひたらせてくれたっていいだろう。ドン・アミーゴだって、君を専属にしたいと言ってきたんだぞ」

 真一は再び肩をすくめたが、今度は暗に、ドンに対する揶揄が含まれていた。
「俺はビトロの絵は好きじゃないんだ。グラマラス過ぎるから、アテナって言うよりビーナスみたいで、ちっとも知的じゃない。ドンの依頼じゃなかったら、絶対にこんなもの盗まなかったさ。・・・それに、ルパン1世だって、マフィアの御用達なんかしなかっただろう」
 それを聞いて森田は微笑した。
 この甥っ子は、若いながら、すでに独自の美学を持っている。
 ただ、描かれている女性がグラマーで美人だから、という理由で「アテナ」を手に入れたがる、俗物のアミーゴとは、馬が合わないと初めから分かり切っていたのだ。

「まぁ、君はドンになんの借りもないわけだからな。君の自由にすればいい。ビザもそろそろ切れる頃だろう。日本へ戻るのか? それとも、どこかの国籍をとるつもりかい?」
 森田にそう問われて、真一は、ふっと迷う表情になった。
「・・・分からない」
 つぶやくように答えて、三枚の「アテナ」にまた目を向ける。
「日本の警察は稚拙で封建的だから、そんなのを相手にしても面白くないんだけど・・・」
 真一は、続く言葉を口の中で消した。
 ビトロの「アテナ」の中でも、唯一彼が気に入った『武装したアテナ』を見つめる。
 銀のよろい兜に身を包み、メデューサの首のついた盾を掲げるアテナは、三人のアテナの中では、一番男勝りな、少年のような顔をしていて、真一にある少女のことを思い出させるのだった。
 しかし、彼女ももう日本にはいない−−−。

「とにかく乾杯だ、ルパン」
 森田がボーイのトレイからシャンパングラスを取って、手渡してきた。真一は礼儀正しくそれを受け取ると、叔父のグラスと縁を合わせた。チリン、と澄んだ音が響きわたる。
「乾杯」
 グラスが干された。

 すると、そこへもう一人のボーイが入ってきた。真一にメッセージだ、と銀のトレイに載せた一通の手紙を差し出す。屋敷の門の前にロールスロイスが停まったと思うと、女優と見まごうような貴婦人が降りてきて、門番に手紙を渡していったのだという。
 真一は眉をひそめた。そんな女性に心当たりはない。
 少しの間、逡巡してから、真一は思いきって手紙を取り、封を切った。
 ほのかな香水の香りと共に出てきたのは、1枚のカードだった。
 洒落た銀縁に囲まれたスペースには、タイプライターの文字でたった1行−−−

  Your carelessness is a nail in YOUR coffin.

「『不注意は命取り』だって? なんだい、このメッセージは」
 森田が傍らからのぞき込んで、けげんそうに言った。
 真一は二度三度と文面を読み返したが、意味もつかめなければ、送り主の見当もつかなかった。
「美術館で何かミスをしてきたんじゃないのか? 証拠をうっかり残してきたとか」
 と心配そうに尋ねてくる叔父に、真一はきっぱりと首を振った。
 そんな初歩的な失敗を、今さらするはずがない。三つの美術館には、その都度、指紋ひとつ髪の毛一筋残さずにきたし、絵に取り付けられた発信器だって、ひとつ残らず見破ってきたのだ。
 三枚目の『アテナと蜘蛛』の時には、警察も真一がビトロの「アテナ」シリーズを狙っていると気がつき、絵の額自体を発信器にしてきた。そこで、真一も礼儀正しく額ごと絵を盗んでやり、パリ郊外のドライブインで、額だけを置き去りにしてきたのだ。
 大きな罠を仕掛けた人間は、自分の罠の成果に捕らわれがちになる。
 素直な警察関係者がドライブインへ直行していくのを、真一は対向車線から笑って眺めていた。
 その時だって、真一は念入りに変装していたし、逃走に使った車もセーヌ川に沈めてしまった。例え、車が引き上げられたとしても、パリ近郊で盗難にあった車としか分からないだろう。
 真一には、完璧に仕事を成し遂げた自信があった。
 その彼に、『不注意は命取り』とは・・・?




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