「フルート、ゼン、メール、ポポロ──!」
オリバンの声が聞こえてきたので、勇者の一行は、はっと目を開けました。
あたりをおおっていた金色の光はもうどこにもありませんでした。デビルドラゴンの頭や体も消えています。
デビルドラゴンと絡み合っていた神竜は、久しぶりに体を伸ばして空に浮いていました。色とりどりの竜たちが地面を離れて神竜の周りに集まっていきます。
「ルル、ポチ! みんな無事か!?」
セシルの声も聞こえてきました。馬の蹄の音も一緒です。
と、空から三頭のペガサスが舞い下りてきました。ロズキを迎えに来た幽霊とは違う、実体があるペガサスたちです。背中にはオリバンとセシル、そして一番占者のユギルが乗っていました。ペガサスが地上に降り立つと、飛び降りて一行に駆け寄ってきます。
「よし、いるな!」
オリバンがいきなりフルートの腕をつかんでそう言ったので、フルートは面食らい、仲間たちは苦笑しました。
「ほんとにな。この馬鹿は最後の最後まで大阿呆だったぜ。セイロスたちと一緒に光になりに行こうとしやがるんだからよ」
「そうそう。ポポロが抑えてなかったら危なかったよね」
「ワン、でも、それももう終わりですよ。願い石はフルートから離れたんだから」
「そうね。金の石の勇者の定めも、セイロスが持っていっちゃったわ 。ものすごく意外だったけど」
それを聞いて、セシルは周囲を見回しました。セイロスが見当たらないのを確かめてから言います。
「間に障壁があったから、やりとりはまったく聞こえなかったんだが、やはりそういうことだったのか? セイロスはどうして急にそんな行動を取ったんだ?」
フルートはうつむいて答えました。
「ぼくたちに負けたんだとセイロスは言いました。部下も友だちも愛する人もいないむなしさを思い出してしまった。だから、ぼくが一番大事に思っている金の石の勇者の役目を奪っていく、と……」
そこまで話して、フルートは急に涙が出そうになりました。首にはまだ金のペンダントが下がっていますが、花と草の透かし彫りの中に、もう金の石はありません。
金の光が消えた世界では、空は青く晴れ渡り、足元の大地は草の緑におおわれていました。山の麓で木々が森を作り、枝で鳥たちがさえずっています。平和な世界が戻ってきたのです。セイロスと金の石が自分たちの存在を光に変えて、デビルドラゴンを焼き尽くしたために──。
すると、ユギルがフルートの前で深く礼をしてから話しかけてきました。
「デビルドラゴンを倒したのはセイロスでも、そのセイロスを救ったのは、あなたです、勇者殿。セイロスはあなたに理想の金の石の勇者の姿を見たのでございましょう。勇者殿が今、金の石の勇者の役目を果たせなかったことを後悔しているように、いえ、それよりもっと強く、セイロスはかつての自分の役目を思い出して後悔したのです。自分こそが金の石の勇者だったのに、と……。その想いが、セイロスを闇から光の元へ引き戻し、金の石の勇者に立ち返らせたのです」
話を聞いていたオリバンが、ふむ、と腕組みしました。
「では、世界を救ったのはやはりフルートたちだったということだな。あのセイロスを改心させることができるとは、正直、想像もしていなかったぞ」
「あれを改心っていうのかぁ? セイロスの野郎、最後の最後までフルートにばりばり張り合ってやがったんだぞ」
とゼンが呆れると、ユギルがまた静かに言いました。
「それでも、改心は改心でございます。動機はどのようなものであったにせよ、彼は自分自身と自分の務めを思い出したのでございますから」
フルートは何も言いませんでした。空っぽになってしまったペンダントをじっと見つめています。
そこへロムド王の声が聞こえてきました。
「世界中から闇の脅威が消えた。そなたたちはデビルドラゴンとセイロスに打ち勝ち、世界から闇を駆逐したのだ。私は一国の王に過ぎないが、世界中の人々を代表して言わせてもらおう。ありがとう、勇者たち──」
ロムド王の声はユギルの肩の上に浮いている遠見の石から聞こえていました。こちらに伝わってくるのは声だけですが、向こうにはこちらの様子も見えているはずでした。
フルートがうつむいたまま首を振ると、ロムド王は優しく話し続けました。
「フルートの気持ちもわからないではない。これまで全身全霊、命がけで金の石の勇者でいたのだからな。だが、後悔する代わりに喜ぶべきだ。フルートを光にせずにデビルドラゴンを消滅させることができたのだから。そなたたちは、ずっと探し続けていたものをついに見つけたのだぞ」
あ……と勇者の一行は思いました。フルートも思わず顔を上げます。
「ワン、そのとおりですよ! フルートはちゃんとここにいるんだから!」
「でも、それってポポロのおかげよ。ポポロがいなかったら、やっぱりフルートが光になって、セイロスとデビルドラゴンを消滅させてたわ」
犬たちにそんなふうに言われて、フルートとポポロは顔を見合わせました。
ポポロは宝石のような瞳に涙をいっぱい溜めていました。その顔でフルートにほほえみかけます。
「絶対に行かせないわ。あなたはあたしたちと一緒に生きていくんですもの。金の石だってそれを願ってくれたでしょう……?」
ポポロが抱きついてきたので、フルートは彼女を抱きしめました。すると、ゼンがフルートの右肩に、メールが左肩に、それぞれ手をかけました。フルートの足元にはポチとルルが絡まります。
「なんて顔してやがる。もっと喜べよ。おまえも俺たちもみんな生き残ったんだぞ」
とゼンが笑ってフルートを小突きます──。
そこへ空から風の犬のビーラーが下りてきました。レオンとペルラを乗せていますが、地面に着く前にペルラが飛び降りてメールに抱きつきました。
「ああ良かった! ああ良かった! みんな無事だわ! 良かった!」
「君たちにはずっとはらはらし通しだったぞ。光の爆発のすぐ近くにいたから、影を焼かれて消滅するんじゃないかと思った。大丈夫だったんだな」
とレオンは文句を言うような口調で心配してくれます。
ゼンは肩をすくめ返しました。
「北の峰の王様が守ってくれたからな。そっちこそ大丈夫だったか?」
「ぼくたちは魔法使いだからな」
そんなことは当然だ、と言うようにレオンが答えると、オリバンが口を挟んできました。
「あの光は本当に強烈だったが、天空軍の魔法使いたちが我々を守ってくれたのだ。おかげで命拾いした」
「貴族たちだけじゃない。妖怪たちや人間の魔法使いも、魔法を使えない人たちを光から守っていたんだよ」
と雄犬の姿に戻ったビーラーも言います。
本当に皆が無事だったとわかるにつれて、フルートの顔も少しずつ明るくなってきました。ついにやったな! とレオンに背中をたたかれて、曖昧(あいまい)にほほえみ返します。
すると、そこに短い赤い髪の中年の男性が姿を現しました。白い長衣を着て、神の象徴と細い銀の肩掛けを身につけています。ミコンの大司祭長でした。
大司祭長はフルートへ深々とお辞儀をして言いました。
「皆様方がユリスナイのご意志と共に戦い、世界を闇の竜から救ってくださったことに、心から感謝いたします──。肝心の決戦に参戦できなくて申し訳ありませんでした。実はディーラでサータマン王に切りつけられて、生死の境をさまよっておりました。優秀な魔法医でさえ、あまりの出血の多さに手の施しようがなくて、私は死者の国へ行くばかりになっていたのですが、そこへ金色の光が通り過ぎていきました。光が射したのは一瞬のことでしたが、傷は完全に癒え、私はすっかり元気になっていたのです。私だけではありません。戦場となった場所には数え切れない戦士や住人が怪我をしていて、私のように命も危ない重症者も大勢いたのですが、それがひとり残らず元気になりました。おそらく光が届いた世界中で同じことが起きていたと思われます」
「世界中で……」
とフルートたちは驚きました。セイロスと金の石が生み出した守りの光が世界に広がって、癒しの力を発揮したのです。
大司祭長はさらに何か話そうとしましたが、急に、はっとした表情になると、大きく退いてひざまずいてしまいました。
大司祭長だけではありません。ユギルやオリバンやセシル、ペルラまでもその場にひざまずきます。レオンは膝はつきませんでしたが、胸に手を当てて頭を下げます。
いったい何事、とまた驚いたフルートたちの背後から声がしました。
「よくやったな、勇者たち。闇の竜は光によって完全に消滅した。世界は守られたのだ」
いつの間にか天空王が姿を現して、彼らの後ろにいました。ただ、それは実体ではありませんでした。半ば透き通ったうつし身が淡い光に包まれて立っています。
とたんにフルートは心配になりました。
「すみません、天空王様。光の剣を貸していただいたのに、デビルドラゴンに壊されてしまいました。天空の国の守り刀だったのに」
けれども、天空王は穏やかに言いました。
「心配はいらない。今は世界中に光が満ちあふれている。この状況であれば──」
差し出した天空王の右手に銀色の物体が現れました。星の模様が刻まれた剣の柄です。刃は砕けてなくなっていますが、そこへみるみる光が集まってきて、銀色の美しい刀身になりました。光の剣が復活したのです。次の瞬間には鞘も現れて刃を収めます。
ほっとしたフルートに、天空王はまた言いました。
「炎の剣も守り主に渡しなさい。世界は平和になった。その剣を使わなくてはならないような戦いは、この先当分起きないだろう」
光の剣と分裂して元に戻っていた炎の剣は、フルートの背中にありました。無意識のうちに背中の鞘に収めていたのです。フルートが剣帯ごと剣を外すと、天空王の横に輝く馬が現れました。炎のたてがみと尾をなびかせ、全身を火に包まれています。
フルートは炎の馬へほほえみました。
「剣をまた火の山に運ぶの?」
「そうだ。山の底でクフが待っている。これからはクフに剣を預ける」
炎の馬の声は男性とも女性ともつかない不思議な響きをしています。
フルートが炎の剣を帯から外して差し出すと、馬はそれをくわえて飛び上がりました。螺旋を描きながら空に駆け上り、蹄の音を響かせて駆け去っていきます。
それを見て、ゼンも背中から矢筒を下ろしました。十本近くある光の矢をまとめて束ねて筒から出すと、不思議なことに、矢は一本にまとまってしまいます。
ゼンは一本だけになった光の矢を天空王へ差し出しました。
「これも返すぜ。借り物だからな。ずっといい働きをしてくれたぜ」
周囲では大勢が天空王へ平身低頭しているのに、ゼンはまったく気にせず、いつもどおりの口調です。
光の矢も受け取った天空王は、穏やかに笑いながら言いました。
「そなたたちから返してもらうだけでは不公平だな。こちらからも、そなたたちに返そう──。来たれ!」
天空王が召喚したとたん、彼らのすぐ近くに光が湧き上がって、二人の人物に変わりました。短い銀髪に黒い服を着た中年の男性と、赤い長い髪を結い上げて黒いブラウスとスカートを着た中年の女性です。
ポポロとルルが声を上げました。
「お父さん、お母さん!!」
「カイ! フレア!」
とフルートやゼンは名前で呼びます。
ポポロの両親はフルートたちに二千年前の出来事の思い出を語ったために、デビルドラゴンの呪いに捕らえられて消えかけ、天空王によって石の柱に変えられていたのです。
「闇の竜が消滅したのと同時に呪いも消えた。もう大丈夫だ」
と天空王が言います。
ポポロとルルは両親に飛びつき、彼らも二人の娘をしっかり抱きしめました。感極まったポポロとルルと母親が声を上げて泣き出します。
それを見て、フルートもようやく本当の笑顔になりました。ああ、よかった……と心から思います。
そんな彼らから離れた場所に、ひっそりと時の翁が立っていました。その隣には赤いドレスの願い石の精霊もいます。人々は天空王にひれ伏したり、ポポロたちの様子を見守ったりしているので、願い石がまた現れていることに気づいていませんでした。
願い石の精霊もそちらの様子を見ていました。美しい顔に表情はありませんが、フルートたちから目を離そうとはしません。
時の翁が話しかけました。
「セイロスの願いは、ついにかなった。次はまた、フルートの番か、の?」
願い石の精霊が振り向くと、老人は話し続けました。
「フルートはまだ、自分の願いを言っておらんから、の。また、フルートのところへ、戻るつもり、か?」
願い石はまたフルートを見ました。
「いいや。彼はもう、私に願うほどの強い願いを持っていない。彼が願っているのは、自分たちでかなえられることばかりだ──。守護のもセイロスと消えていってしまった。私は次の主が出てくるまで、また眠りにつくことにする」
「次の主が出てくるまで、か……。そろそろわしを、主に選ばん、か、願い石? いいかげん、長すぎるこの命に、飽き飽きしとるんじゃが、の」
精霊の女性は、またゆっくりと振り向きました。石のように歳とった老人は、もつれた髪の間から彼女を見ていました。髪の奥に真剣なまなざしがあります。
精霊は答えました。
「世界中の人間がひとり残らず死に絶えて、私に願う者がいなくなったら、翁の願いをかなえて、その不死の命を奪ってやろう。翁は一番最後だ。そうしなければ、私はひとりになって、つまらなくなるからな」
老人が目を丸くすると、願い石の精霊は、つんと顔をそらしました。まるで照れ隠しをしているような態度です。すぐに淡い赤い光になって消えていきます。
老人は灰色の髪をぼりぼりとかきました。
「やれやれ、わしは一番最後、か。石の精霊に見込まれるというのは、なかなか大変なことじゃ、な……」
苦笑いのようなつぶやきを残して、時の老人も消えていきました。風の音が吹きすぎていきます。
そんなふうに、すべてが大団円になったように思えたとき。
後方から白、赤、深緑の三人の魔法使いがやってきました。たちまち全員が天空王にひれ伏してしまいますが、白の魔法使いだけはまた顔を上げて呼びかけてきました。
「天空王様とお話のところに割り込む無礼をお許しください。勇者殿、青が呼んでおります」
「青さんが?」
とフルートは聞き返し、四大魔法使いに青の魔法使いが欠けていることに気がつきました。
白の魔法使いが言い続けます。
「青はキース殿たちと一緒に北のほうにおります。勇者殿たちに今すぐ来ていただきたいと呼んでいるのです」
いったい何事が……と考えたフルートの顔色が、みるみる変わっていきました。驚く仲間たちに言います。
「ポチ、変身しろ! ゼン、メール、青さんのところへ行くぞ!」
「あ、待って、フルート!」
「私たちも行くわよ!」
とポポロとルルも両親から離れて駆けつけてきました。
勇者の一行は変身した犬たちに乗って北へ飛んでいきます──。
「いったいどうしたって言うんだ?」
「あたしたちも行ってみましょう!」
後を追いかけようとしたレオンとペルラに、天空王が言いました。
「ここから先はもう我々の領分ではない。我々の役目は終わった。天空の国へ帰るのだ」
「え、そんな! あたしは!?」
とペルラが聞き返したので、レオンが答えました。
「もちろん君のことは湖に送っていくよ。渦王がいるからな」
話しながら、レオンはフルートたちが飛んでいったほうを眺めました。いったい何があったんだろう、ととても気になりますが、天空王が言うとおり、彼らが関われるときは過ぎてしまったのでした──。