えっ、と勇者の一行は驚きました。
フルートから最も大事にしているものを奪ってやる、とセイロスは言って、願い石を呼んだのです。真の主は私だ、と言って──。
フルートのすぐ目の前に赤いドレスの精霊が現れました。いつものように表情は変わりませんが、呆れたようにセイロスへ言います。
「何故私を呼んだ。そなたの願いは二千年前にかなえた。そなたはもう私の主ではないぞ」
するとセイロスが言いました。
「確かに私はおまえの力で闇の竜とひとつになり、おまえは私から去った。だが、私が願ったことは世界の王になることだ。その願いはまだかなってはいないぞ」
願い石の精霊は黙りました。
代わりに答えたのは、地面に転がっているデビルドラゴンの頭です。
「オマエノ願イハモウジキカナウ。連中ニハ我ラニ抵抗スルチカラハナイ。アトハ余計ナ真似ハセズニ、連中ヲ皆殺シニスルダケダ」
デビルドラゴンは促していましたが、セイロスは無視して話し続けました。
「私の願いはすぐにもかなって、二千年前に世界の王になれるはずだった。だが、皮肉にも、私が率いていた光の軍勢が私を世界の最果てに幽閉した。願い石で願ったことを願い石で打ち消すことが、唯一の対抗策と知っていたからだ。故に、私の願いはまだかなってはいない。そうだな、願い石?」
セイロスの話にフルートたちは焦りました。確かにその理屈は通るのです。セイロスの願いがまだかなっていないのだとしたら、セイロスはもう一度、その実現を願い石に強く願うかもしれません。私を今すぐ世界の王にしろ、世界中を私にひざまずかせろ、と──。
「願い石の今の主はぼくだ! おまえの願いは絶対にかなえさせない!」
とフルートがどなると、セイロスが即座に言い返しました。
「貴様は願えなかった! 貴様は願い石の主ではない!」
顔色を変えたフルートを、ポポロが後ろから抱いて必死に引き留めました。少しでも力を緩めたら、フルートはたちまちまた願いを言いに飛んでいってしまいそうでした。
「おい、願い石、セイロスの野郎の願いをかなえるなよ!? こいつは二千年前にもう注文したんだからな! 荷物が届くのが遅いからって、もう一度注文はできねえはずだぞ!」
とゼンが願いを荷物に例えます。
願い石の精霊がやっと口を開きました。
「私はかなわぬ願いをかなえるのが役目だが、私がするのは願いまでの道筋をつけることだ。その先は理(ことわり)が事を運ぶのだ」
「ソウダ! オマエガ世界ノ王トナルノハ目前ダ! ダカラ早ク連中ヲ──」
そこまで言って、デビルドラゴンは急に話すのをやめました。地面から上目づかいにセイロスを見上げます。
「何ヲ考エテイル、せいろす? 何故、我ニ考エヲ知ラセナイ」
「私は私の意思で行動する。ただそれだけのことだ」
とセイロスは言いました。淡々とした口調です。
願い石の精霊の横に、金の石の精霊も姿を現しました。
「セイロスは何かを企んでいる。油断するな」
「今さら何ができる。彼はすでに願いを言ってしまっている」
と精霊の女性は、つんと顔をそらします。
すると、セイロスは手に握っていた剣を見ました。柄だけでなく刃まで黒一色の闇の大剣です。
勇者の一行はまた緊張しました。フルートが仲間たちを、仲間たちがフルートを、互いに守り合って身構えます。
セイロスは大きく腕を動かしました。同時に柄を握っていた指を開いたので、剣が手から離れていきます。
ガララン
闇の大剣は地面に放り出されて大きな音を立てました。
「何ヲシテイル!? 何故、剣ヲ手放シタ!?」
デビルドラゴンの頭が驚くと、セイロスは言いました。
「願い石に願うためだ。黙って見ていろ」
「それはできないって願い石が言ってるじゃないか!」
「往生際が悪いぞ、てめぇ!」
とメールやゼンが言いましたが、往生際というのは当たってはいませんでした。セイロスやデビルドラゴンを前に打つ手がなくなってしまっているのは、彼らのほうなのです。
セイロスが願い石の精霊に言いました。
「世界の王になるという私の願いは、まだかなってはいない。そうだな、願い石?」
「理がまだ願いに追いついていないのだ」
精霊の女性がそっけなく答えると、ルルも言いました。
「理が追いつく前に、私たちがあなたを倒すわよ! どうにかして絶対に倒すんだから!」
けれども、そんな方法はありませんでした。これだけ長い間、世界中を探し回ってきても、やっぱり願い石に願う以外の方法は見つからなかったのです。
フルートは唇をかんでセイロスをにらみつけました。彼の上半身はポポロに抱きしめられています。たったひとつ残された対抗手段は、優しい両腕の鎖で封じられていました。振り切ることができません。
セイロスはそんな一行を見て、ふん、と笑いました。改めて願い石へ言います。
「私の願いはまだかなってはいない。だから──」
セイロスはそこで息を継ぎました。さらに声を張り上げて言います。
「だから、世界の王になるという願いは取り下げる! 私の願いはご破算だ! 私の元へ戻れ、願い石!」
その場にいた全員は、フルートたちだけでなく、願い石の精霊や金の石の精霊、デビルドラゴンまでが、呆気にとられてしまいました。自分は何を聞いたのかと耳を疑い、セイロスのことばを反芻(はんすう)して意味を確かめます。
「願いを取り下げるだって……?」
と言ったのは金の石の精霊でした。信じられないようにセイロスを見ています。
たちまちデビルドラゴンがわめき出しました。
「ナニヲ血迷ッテイル、せいろす!? アト一歩デオマエハ世界ノ王ダ! 願イ直ス必要ナドナイノダゾ!」
願い石の精霊も、また呆れたように言いました。
「願いを取り下げてどうするというのだ。一度私に願ったことは、なかったことにはできない。そなたも世界の歴史も二千年前に戻すことは不可能だ」
「そんなことは承知している。私はこいつから命より大事にしているものを取り上げてやるのだ」
とセイロスがフルートを見て言いました。
命より大事にしているものって……とフルートたちはとまどいました。あまりに勇者の一行がしぶといので、願い石に全滅を願おうというのでしょうか? でも、そのために世界の王になる願いを取り下げて願い直すのは、あまりに大袈裟だし無駄に思えます。
金の石の精霊がいぶかしい顔で尋ねました。
「おまえはフルートから何を取り上げようとしているんだ、セイロス?」
セイロスは精霊を見ました。
「ずいぶん小さな姿だな、聖守護石。二千年前のおまえはもっと輝かしかったぞ」
それはおまえが裏切ったせいだ、と言い返すこともできたのですが、精霊の少年はそうは言いませんでした。細い眉をひそめてセイロスを見つめ、また尋ねます。
「何を考えている、セイロス? 何をしようとしているんだ?」
すると、セイロスは笑いました。
「私は先の願いを取り下げた。私は金の石の勇者に戻るのだ──! 私の元へ戻れ、願い石、聖守護石!」
と闇の剣を手放した手を、二人の精霊に伸ばします。
全員は呆然としました。
セイロスが何を言ったのか、本当に理解できなくなってしまいます。
そんな一同へセイロスは言いました。
「こいつは金の石の勇者の役目を自分の命より大事に考えている。私はそれを奪ってやるのだ。今この瞬間から私がまた金の石の勇者だ。こいつはただの凡人に戻った」
こいつ、とはフルートのことです。
「え、でも、だって……」
メールがつぶやいて先を続けられなくなりました。本当にそんなことができるんだろうか? 全員の頭の中に同じ疑問が渦巻きます。
フルートは胸の上のペンダントを眺め、自分たちの前に立つ二人の精霊を見ました。
セイロスの願いは絶対におかしいのです。彼はもう身も心もほとんどデビルドラゴンとひとつになってしまっています。いくらデビルドラゴンに抵抗している部分があったとしても、いまさら光の勇者に戻れるはずなどないのです。できるはずがないのに──
ことばにできない不安がわき上がってきて、ペンダントを握りしめてしまいます。
ハハハハハハハ……!!!
デビルドラゴンの頭が突然声を上げて笑い出したので、勇者の一行は思わず飛び上がりました。こんな笑い方をするデビルドラゴンは初めてです。
竜の頭がセイロスに言いました。
「ふるーとニ勝チタイト思ウアマリ血迷ッテイルゾ、せいろす! オマエハ我、我ハオマエ。オマエノ体ハスデニ闇ダ。イクラ願イ石のチカラヲ使ッテモ、オマエハモウ闇以外ノモノニハナレナイ。金ノ石ノ勇者ニ戻レバ、ソノ瞬間ニオマエハ消滅スルノダ」
「承知の上だと言えば?」
とセイロスは答えました。落ち着き払った声です。
信じられないように黙ったデビルドラゴンが、みるみる目をむき、うろこを逆立てていきました。
「貴様──貴様──マサカ、我ノ消滅ヲ、願イ石ニ願ウツモリカ──!?」
「私は金の石の勇者に戻る。おまえは私と一緒に消えるのだ、闇の竜」
とセイロスが宣言します。
「何故!?」
思わず大声で上げたのはフルートでした。身を乗り出してセイロスに尋ねます。
「何故そんな真似をする気になったんだ!? おまえは世界を征服して王になりたかったんだろう!? どうして急に正反対のことを!?」
すると、セイロスは冷ややかな目でフルートを見ました。
「どうしてだと? むろん、おまえのせいに決まっている。おまえのせいで私はすべての部下を失い、領土も失った。闇の竜は世界を焼き尽くして勝利しろと言うが、焼け野原の世界の王になって何の意味がある。ならば、最後におまえから金の石と願い石を奪って、闇の竜と共に華々しく散ってやるのだ。おまえには絶対に真似できないことだからな」
「そんな、どうして──!?」
とフルートは尋ね続けました。最初の願いがかなわないので破れかぶれになったのかとも思いますが、それにしてはセイロスは冷静です。
すると、セイロスは、ふん、と皮肉に笑いました。
「おまえはやはり子どもだな。言って聞かせなければわからないか。私にはもう部下も友もいない。愛する者も私から去った。闇の竜がそれを許さないのだ。そのむなしさを私に思い出させたのは、おまえとおまえの仲間たちだ──。私はおまえたちに敗れたのだ。負けぐらい、潔く認めさせろ」
セイロスの顔にほろ苦い笑いが広がりました。