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第28巻「闇の竜の戦い」

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213.願い・1

 白い世界にフルートは立っていました。

 あたりは濃い霧に包まれたように一面乳白色です。見通しが利かないのか、逆に何もない白い世界がどこまでも見えているのか、区別がつきません。

 フルートは防具や武器を身につけていませんでした。布の服を着ているのですが、服はあちこちが切れて血がにじんでいます。金の石で傷は癒えましたが、傷から流れ出した血は消えなかったのです。

 フルートはそんな自分を見回してから、胸の上のペンダントを見ました。花と草の透かし彫りの中に復活した金の石が輝いています。

 フルートは顔を上げて、白い世界に呼びかけました。

「二人とも、出てきてくれ」

 たちまち金と赤の光が湧き上がって、二人の精霊が現れました。小さな少年の姿の金の石の精霊と、赤い髪とドレスの女性の願い石の精霊です。

 金の石の精霊が厳しい口調でフルートに言いました。

「この状況でよく願いのなんて呼べたな。あんなに大勢が君を助けようとしていたというのに」

「私を悪いもののように言うな。私は自分の役目に従っているだけだ。だが守護のの言うとおりだ。私もそなたが私を呼ぶとは思わなかった」

 願い石の精霊は不満そうな声です。

 二人の精霊から非難されて、フルートは困ったように笑い返しました。

「うん。でも、やっぱりこうするしかなかったんだよ。これしかデビルドラゴンとセイロスを倒す方法がないんだから」

 精霊たちは返事をしませんでした。それは確かにその通りだったのです。

 フルートはその場に腰を下ろしました。石も草もない白い地面に座り込み、立てた片膝に頬杖をついて溜息を洩らします。

「まさかデビルドラゴンがぼくを狙っていとは、思いもしなかったな……。ポポロのほうを狙っているとばかり思っていたのに」

 金の石はそれでも黙っていましたが、願い石が答えました。

「闇の竜は二千年前の戦いで自分の体を失った。奴を収めておけるのは光の中の光の戦士の体だけだ。それ以外の者は、奴が入り込んだとたん体が闇に食われておどろになってしまう」

 フルートはちょっと首を傾げました。

「セイロスが復活する以前にも、デビルドラゴンは世界の最果てから抜け出してきて、いろんな奴を魔王にしてきたよね。彼らがおどろにならなかったのは何故?」

「あれは闇の竜の影だったからだ。本体はあくまでもセイロスの中にいた。それに闇の竜の影を宿しただけでおどろに変わった者もいたはずだ。闇に近い者は影であっても体が闇に食われるのだ」

 願い石はいつになく丁寧に話していました。なんだか、違う話をしてフルートの気持ちをそらそうとしているようにも見えます。

 なるほどね、とフルートは言うと、少しの間考え込みました。精霊たちも黙っているので、白い世界は静寂に包まれます。

 

 やがてまた話し出したのはフルートでした。

「ぼくが生き返れば、デビルドラゴンは必ずまたぼくを誘惑して器にしようとする。ぼくはセイロスを憎んでるし、ポポロを引き合いに出されたら、ぼくはどうしたってセイロスを殺したくなるからな。もしその気持ちに抵抗することができたとしても、奴は今度はポポロをさらって酷い目に遭わせるだろう。ぼくが我慢できなくなってしまうまで、徹底的に──。そんなことはさせられない」

 声が決意の響きを帯びました。誰がなんと言っても考えを変えない、あの頑固な口調になって続けます。

「ぼくの防具はとうとう着ることができなくなった。ぼくの体が大きくなったからだ。防具の守りなしでは、セイロスに接近して奴に金の石を押し当てることはできない。あの作戦が実行できなくなった以上、残されているのはぼくと金の石が奴らの消滅を願うことだけだ。それならポポロも世界中のみんなも守ることができる。ぼくを復活させてくれたみんなへの恩返しになるんだ」

 すると、金の石の精霊がまた口を開きました。

「君を助けようと願った人たちは、誰ひとりとして、君に願いののところへ行ってほしいとは思っていなかったぞ」

 精霊の少年が手を振ると、彼らのすぐそばに映像が浮かび上がりました。つい先ほどまでフルートの周りにいた仲間たちの姿でした。星の花の中に呆然と立ちつくすポチやメールの横で、ゼンが拳を震わせています。

「馬鹿野郎! 俺たちはおまえを願い石んところに行かせるために、おまえを生き返らせたわけじゃねえんだぞ! この唐変木のすっとこどっこいが! さっさと戻ってこい──!」

 ポポロは座り込み、両手で顔をおおって激しく泣いていました。泣きながらフルートを呼ぶ声が、白い世界の中にまで悲痛に響いてきます。

 フルートはちょっと困ったように首を傾げました。

「またみんなの姿を見せるんだね。ぼくを思いとどまらせようとして──。だけど、このままじゃ本当にデビルドラゴンは世界を破壊して、彼らを皆殺しにする。それもセイロスじゃなく、ぼく自身のこの体を使って。そんなことは絶対にさせられないよ」

 すると、映像が急に移り変わりました。別の場所をもっと広範囲に映し出します。

 そこはゼンたちがいる結界の外側でした。障壁の前の空中でセシルやペルラや四大魔法使いが絶句していました。オリバンは結界の障壁を殴りつけて、馬鹿者!! とどなっているし、ルルは風の犬になって地面に近い場所で障壁に体当たりを繰り返しています。

 そんな中、レオンや天空の貴族たちが声を上げていました。

「闇の竜が動くぞ──!!」

 神竜と竜たちにがんじがらめにされたデビルドラゴンが、竜たちの間から長い黒い触手を四方八方に飛ばしていたのです。円陣を組んでいた貴族たちが素早く横に展開して、味方を守ろうとします。

 ところが、触手が襲ったのは人ではありませんでした。あたりにはデビルドラゴンに招集された闇の怪物が潜んでいたのですが、触手はそこへ飛んで怪物に突き刺さりました。怪物が悲鳴を上げて飛び出し、触手に吸収されて消えていきます。

 闇を吸収してデビルドラゴンはみるみる大きくなっていきました。竜たちを引きちぎるように振り切り、さらに神竜にかみつきます。

「用心しろ! 闇の竜が逆襲してくるぞ! 世界を破壊するつもりだ!」

 と神竜は言いました。ふくれあがっていくデビルドラゴンに振りほどかれそうになっています。

 金の石の精霊がフルートに言いました。

「君がこっちに来たから奴は破れかぶれになっている。この世界で生きている者たちに苦痛や恐怖を与えて、それが最大になったところで世界を破壊したいと考えていたんだけれど、もうそんなことは言っていられなくなったんだ。奴はすべてを破壊する黒い魔法を使うだろう。それもこれまでで最大規模のものを発動させて、一気に世界を吹き飛ばそうとしているんだ」

「だからぼくにあっちに戻れって? 無理だよ。戻ってもぼくにはもう戦う手段がないんだから」

 とフルートは極めて冷静に言い返すと、話し続けました。

「だけど、ぼくが君と一緒に守りの光になれば、デビルドラゴンはたちまち消滅する。奴が世界を破壊する前にぼくたちが願えば、それでもう世界は助かるんだよ。簡単なことだ」

 それを聞いて精霊の少年は口をつぐみました。外の様子を見せたことが逆効果になってしまったことに気づいたのです。

 デビルドラゴンはさらに触手を伸ばしては、闇の怪物から力を吸収してふくれあがっていきます。

 

 映像がまたゼンやポポロたちに戻りました。

 闇を吸収して大きくなっていくデビルドラゴンに、彼らも気づいたようでした。青ざめて見ていたと思うと、突然また呼び始めます。

「フルート! フルート!!」

「この馬鹿野郎、早く戻ってきやがれ!」

「このままだとオリバンやセシルたちがやられちゃうよ!」

「ワン、ルルも危ないですよ──!」

 助けて、フルート! と誰もが呼んでいましたが、フルートは考えを変えませんでした。むしろ決心を固め直したようにうなずいて、二人の精霊を見ます。

「さあ急ごう。奴が黒い魔法を使う前に光にならないと」

 金の石の精霊はすぐには返事をしませんでした。

 願い石の精霊がゼンたちを眺めて言います。

「フルートが守護のと光になれば、彼らは悲しむであろうな。他の者たちは闇の竜が消滅して幸せになるかもしれぬが、彼らは不幸になるだろう」

 それは願い石の戦いの際に金の石が願いを取り下げたときの論理でした。世界中を守ることができても、フルートを大切に思う仲間たちは悲しんで不幸になってしまう。それでは全員を守ることにならないから願いを取り下げる、と金の石は言ったのです。

 けれども、フルートはやっぱり思い直しませんでした。

「願いには条件付けができるはずだよな──? ぼくは金の石と一緒に光になって、デビルドラゴンとセイロスを道連れに消えていく。そのときにぼくという人間のことをみんなの記憶の中から消してほしいんだ。ぼくのことを忘れれば、ぼくが消えていってもみんなは悲しまない。みんなを不幸にせずに守ることができるんだよ」

 それを聞いて、無表情のはずの精霊たちが、はっきりと表情を変えました。怒りのようなものさえひらめかせます。

「そなたはそれで良いのか、フルート? 皆の中から記憶を消すということは、誰もそなたのことを覚えていなくなるということだ。そなたと共に旅したことも戦ったことも、そなたと同じ時間を過ごしたことを、すべて彼らは忘れてしまう。そなたは最初から存在しなかったことになるのだぞ?」

 と願い石の精霊が言いました。やっぱり怒っているような声です。

 フルートは落ち着きはらって答えました。

「それで世界は守られるし、みんなも幸せになれるんだよ」

 誰に何を言われようと、どれほど説得されようと、一度決めたことは絶対に変えようとしない頑固者のフルートです──。

 

 金の石の精霊が黄金の髪を揺すって頭を振りました。

「もう時間がない。フルートがみんなを守りたいという決心も固い。ぼくたちの願いを言うぞ、願いの」

 精霊の女性は人間のような溜息をつきました。座っていたフルートが立ち上がってくるのを見ながら言います。

「私はかなわぬ願いをかなえるために生まれてきた石だ。フルートが心から願えば、その願いをかなえるのが私の役目だ──。だが、こんなに気が進まない役目は初めてだ」

「同感だ。でも、しかたがない」

 と精霊の少年はあきらめ顔です。

 フルートは願い石の精霊を見上げました。以前はかなりの身長差があった二人ですが、フルートの背が伸びた今は、それほどでもなくなっていました。まだ願い石のほうが背が高いのですが、ほんのわずかです。

 彼女はそれまでの表情を完全に消して無表情になりました。声からも感情を消して言います。

「そなたたちが心から願えば、その願いはかなう。そなたたちは光になり、デビルドラゴンとセイロスを永遠に消滅させることができる。しかし、光が闇を打ち消すように、闇もまた光を打ち消す。願いがかなったとき、そなたたちもまた、この世から消滅することになるのだ。それでもかまわないと──」

「かまわないよ。そう言ってるじゃないか」

 とフルートが願い石の話をさえぎりました。

「ぼくたちはみんなと世界を守りたい。ぼくと金の石を聖なる光に変えて、奴らを消滅させてくれ。それから、ぼくを知ってる人たち全員の中から、ぼくの記憶を消してほしい。これがぼくの願いだ」

 とフルートは言い切りました。少しのためらいもありません。

 願い石から視線を向けられて、金の石も溜息をつきました。しぶしぶ言います。

「フルートと共に守りの光に変わり、世界を包み、デビルドラゴンとセイロスの存在を根源から消し去ることを。そうして世界を闇から守ることを。それがぼくの願いだ」

「承知した」

 と願い石の精霊が答えたとたん、その姿が消えました。白い空間に赤い光があふれてきて、あっという間にあたりに広がっていきます。その中に金の光が溶け込みました。ペンダントから金の石が溶け出していったのです。まばゆく輝きながらふくれていって、フルートを包み込んでいきます。

 

 フルートは自分の体が透き通っていくのを見ていました。体の輪郭が溶けるように消えていって、周りを包む光とひとつになっていくのです。やがて光は色を変えていきました。金を溶かした赤から、赤みを帯びた金へ、さらにまぶしく輝く鮮やかな金色に。それは金の石の色でした──。

 金色で充たされた空間に、まだ仲間たちの映像が残されていました。

 彼らがフルートを呼び続ける声も聞こえています。

 ポポロ、ゼン、メール、ポチ……とフルートは心の中で呼びました。ルル、と別の場所にいる仲間も呼ぶと、彼女の姿も映像の中に現れます。

 彼らは全員がフルートを呼びながら泣いていました。どこを探しても見つからない友人を探し続けて泣いているのです。

「みんな、泣いちゃだめだよ」

 とフルートは話しかけました。体はだいぶ光に溶けていましたが、まだ声を出すことはできました。

「今は悲しくても、もうすぐ悲しみを忘れられるからね。ぼくの記憶と一緒に……。ありがとう、楽しかったね。大変なこともたくさんあったけど、本当に楽しかったよね。最後の最後まで心配かけてごめん。でも、それもこれが最後だから──」

 フルートは泣き続ける仲間たちを優しく眺めました。体は本当にもう透き通って、手も足も見えなくなっていました。体のすべてが守りの光に変わっているのです。

 フルートは光の中でほほえみました。仲間たちへ話し続けます。

「大丈夫。もうすぐ平和が来る。みんなが幸せになれるから──だから──」

 フルートはポポロを見つめました。ポポロは仲間の中で一番激しく泣いていました。赤いお下げ髪を振り乱し、フルートが消えて行った場所を何度もたたいて呼び続けています。

「フルート! フルート! フルート──!!」

 ごめん、とフルートはまたつぶやきました。すぐ大丈夫になるとわかっていても、彼女の泣き顔はやっぱり応えます。

 ごめん、ポポロ。泣かないで……。

 いつのまにか声が出なくなってしまっていたので、フルートは心で言い続けました。

 みんなも、ごめん。もう泣かないで。笑ってよ。ぼくは君たちに笑っていてほしいんだ。だから……だから……

 だから。

 そのつぶやきを最後に、フルートの姿は金色に染まった空間から消えていきました──。

2023年7月7日
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