きゃぁぁぁ! とポポロは大きな悲鳴を上げました。
デビルドラゴンの内側の世界で、フルートはセイロスに刺されました。それとまったく同じことが現実の世界でも起きていたのです。
負傷して動けなかったフルートを、セイロスが大剣で串刺しにしました。闇の刃がフルートの体を突き抜けてポチまで突き刺したので、ポチも一瞬で小犬に戻ってしまいます。
「この野郎──!」
ゼンが光の矢を連射したので、セイロスは飛び退きました。その拍子に剣がフルートたちから抜けます。
フルートとポチは空から落ち始めました。セイロスはとどめに魔弾を撃ち出そうとして、すぐにそれをやめました。ふん、と笑います。
「フルート! ポチ──!」
メールは花鳥を急行させました。落ちてくるひとりと一匹の下に回り込んで、花の背中で受け止めます。
ポポロが彼らに飛びつきました。
「フルート! ポチ! フルート!」
「大丈夫かい、ふたりとも!?」
「ワン、ぼくは大丈夫です。でもフルートが……」
ポチがよろよろと立ち上がって言いました。闇の剣は刺さりましたが、フルートの体を貫く間に力が弱まったおかげで、ポチはかすり傷だったのです。
ゼンはまだ矢を構えてセイロスを警戒していました。横目で見て唸るように言います。
「フルートの傷が治っていかねえぞ。どういうことだ?」
フルートは花鳥の背にうつ伏せに倒れたまま動きません。傷を確かめようとしたポポロが、はっとします。
「ないわ……金の石が」
「落としたのかい!?」
「盗られたのか!? どこだ!?」
同時にどなったメールとゼンに、ポポロは青ざめながらフルートのペンダントを見せました。花と草をかたどった透かし彫りの中に、金の石がありません。透かし彫りの中央はからっぽです。
唖然とするゼンたちに、ポチが言いました。
「金の石が割れて消えていったんです……いきなり。どうしてそうなったのか、ぼくにも……」
話しながらポチはぶるぶる震え出しました。泣けるものなら泣き出したいのに、犬の体は涙を流すことができません。フルートから感情の匂いがしなくなっていました。鼻に感じるのはおびただしい血のむっとするような匂いだけです──。
ゼンは弓矢を放り出しました。フルートに駆け寄り、かがみこんで呼吸を確かめます。それから血に濡れた背中へ何度も耳を押し当て、やがて身を起こして、こんちくしょう、と唸ります。
「息をしてねえ。心臓も……停まってやがる」
ポポロとメールは息を呑みました。ポチはいっそう激しく震えます。
「うそ……フルート……フルート! 目を覚まして! しっかりして!」
「そうだよ。これまで数え切れないくらい危ない目に遭ってきたのに、そのたびに戻ってきたじゃないのさ。それが、今回に限って……? 冗談きつすぎるよ」
ポポロは泣いて呼びかけ、メールはまだ信じられなくて呆然としましたが、フルートは動きませんでした。ゼンは止まった心臓を動かそうとフルートの胸を押し始めましたが、刺された傷からまた大量の血が噴き出してきたので、すぐにやめてしまいました。こんちくしょう、とまた唸ります。
ポチはフルートに駆け寄りました。鼻面で懸命に体を押して呼びかけます。
「ワン、死んじゃだめですよ、フルート! セイロスとデビルドラゴンがまだ生きているのに! フルートが死んじゃったら、あいつらから世界を守る人がいなくなっちゃいますよ! お母さんとお父さんも悲しみますよ! ぼくたちだって──! フルート! フルート! 死んじゃやだぁ──!」
けれども、フルートは花鳥の背にうつ伏せに倒れたままでした。返事もしなければ身動きもしません。仲間たちはフルートにすがりついて必死に呼び続けます──。
一方、空の別の場所では飛竜に乗ったギーがセイロスへ駆けつけていました。
「大丈夫だったか、セイロス? 怪我は?」
「ない。上出来だったぞ、ギー」
セイロスに褒められて、いやぁ、とギーは頭をかきました。
「セイロスが危機だと思ったら隠れていられなくなったんだ。あいつの防具も意外に大したことなかったな」
攻撃にデビルドラゴンが力を貸していたことに、ギーは気がついていません。得意そうに笑ってから、花鳥の一行を指さします。
「あいつらにとどめを刺したほうがいいんじゃないのか? きっと逆襲してくるぞ」
「その必要はない。奴はもう死んだ。残りの連中は雑魚(ざこ)だ。それに、あれを見ろ」
セイロスに言われて見上げたギーは、青空の一角がどす黒く染まりだしているのを見て驚きました。黒雲ではありません。黒い霧が発生しているわけでもありません。空そのものが、まるでそこから夜が始まっているように暗くなっていたのです。まだ昼間だというのに──。
「なんだ、あれは?」
と尋ねるギーに、セイロスは言いました。
「金の石の勇者が殺される様子は世界各地に知らされていた。連中を応援するために天空王が仕掛けていたことだが、それが逆効果になって、世界中が絶望に包まれているのだ。世界中で人々が希望を失って恐怖におののいている。絶望は新たな闇を生む。世界は闇に染まっていくぞ」
その話はギーには今ひとつぴんとこなかったようでした。いぶかしそうに暗くなっていく空を見上げています。
セイロスは障壁の向こうのデビルドラゴンへ目を移しました。闇の竜はまだ神竜やたくさんの竜たちに捕らえられていますが、少しずつその戒めが解け始めていました。闇は世界を呑み込みながら徐々に強力になっています。それがデビルドラゴンも強めているのです。
「貴様はこれも狙っていたな──」
竜たちの隙間からのぞく黒い竜へつぶやきます。
障壁の向こう側ではオリバンたちもひどく動揺していました。
ペガサスと一緒に障壁まで駆けつけると、すでにルルが風の刃で攻撃を繰り返していました。障壁を破って仲間たちのところへ飛ぼうとしているのですが、何度やっても壊すことができません。
ルルの攻撃の間に、レオンとペルラも障壁に魔法を繰り出していましたが、やはり障壁はびくともしませんでした。どうしても向こう側へ行けないのです。
「だめよ、フルート! 死んじゃだめよ! ポポロはどうするつもり!? 世界はどうするのよ!? デビルドラゴンとセイロスに支配されちゃうじゃない──!」
ルルは障壁を攻撃しながら泣いて怒っていました。風の涙が青い霧になって散っていきます。
そこへ後方から四大魔法使いも駆けつけてきました。白、深緑、赤の三人の魔法使いです。青の魔法使いだけは離れた場所でキースやグーリーたちを守っています。
白の魔法使いが青ざめて言いました。
「殿下、世界各地で強烈な闇が発生して周囲に広がっております! ディーラからも突然空が夜のように暗くなってきた、と報告が届いております!」
「闇だと?」
オリバンは周囲を見回して、青空を端からむしばむ暗がりを目にしました。いきなり夜が来たように見えますが、暗がりの中には月も星も見えません。
「どうして? フルートがやられたせいなのか?」
とセシルが言うと、ユギルが口を開きました。
「天空王は遠見の石の映像を、ディーラだけでなく、世界の各地に送っておいででした。わたくしたちが見たこの光景は、遠見の石を通じて、世界中の人々も見たのでございます。勇者殿がセイロスに倒される場面を目にして、多くの方たちが衝撃を受け、不安にかられているのでございましょう。その不安が闇を呼び寄せているのでございます……」
事実だけを述べて、ユギルは唇をかみました。この状況をどうするべきか占いたくても、先がまったく見えてこなかったのです。未来はひどく混乱して混沌としています。
オリバンは歯ぎしりしました。分厚い障壁を殴りつけて、向こう側へ呼びかけます。
「フルート! 聞こえるか、フルート! おまえが敗れたように見えるから、世界中が怯えているぞ! いつまでそんな姿でいるつもりだ!? さっさと立ち上がってこい!」
どんなにどなっても、花鳥の背中にフルートが立ち上がる気配はありません。
「ああ……どうしよう、どうしたらいいんだろう……」
シルの町でロキがおろおろとつぶやいていました。
上空にはデセラール山の麓の様子が映し出されていました。セイロスと激しく戦っていたフルートが、突然飛び込んで来たギーに刺され、さらにセイロスに大剣で突き刺される様子が、克明に見えていたのです。
その瞬間、町は大きな悲鳴に包まれ、人々はパニックに陥りました。シルの人々にとって、フルートは幼い頃から知っている町の子どもです。誰もが頭を抱え、叫び、泣き、空を見上げては血に染まったフルートが倒れたままなのを見て、また叫びます。
シルに避難していた他所の人々も、金の石の勇者が敗れた! とショックを受けていました。あと一歩でセイロスを倒せるところまできていただけに、いきなり起きたどんでん返しの衝撃は大きかったのです。シルの住人と同じように叫び、泣き、震えます。
「金の石の勇者がやられた!」
「金の石の勇者は死んだ!」
「光が闇に敗れたんだ──!」
衝撃は不安に、不安は恐怖に変わっていきます。
あたりがたちまち恐怖に支配されていくのを、ロキは肌で感じていました。雪崩(なだれ)のように人々の心の中で何かが崩れていくのです。
「死んでない! フルート兄ちゃんは死んでないよ! フルート兄ちゃんが死ぬはずないじゃないか!」
ロキは必死で言いましたが、幼い子どもの声は恐怖の怒濤に呑み込まれて、誰の耳にも届きませんでした。
あの子たちの戦いを見守ってほしい、と人々に呼びかけたフルートの父親も、呆然と立ちつくしていました。フルートの母親はへたり込み、顔をおおって泣いています。この状況を止められる者がいません。
ロキは空が端から暗がりに染まり始めたのを見ました。夜のようなのに月も星も見えない真の暗がりが、じわじわと青空を呑み込んでいきます。
まずい……とロキはまたつぶやきました。人々の不安や恐怖が闇になって世界を呑み込み始めたと気がついたのです。誰もがフルートの死にショックを受けてパニックになっています。
ロキ自身も怖くて大泣きしそうでしたが、必死でそれをこらえて空へ呼び続けます。
「兄ちゃん! 立てよ、兄ちゃん! 死んでなんかないだろ!? このままじゃ大変なことになるぞ! 早く立ってみんなを安心させてくれよ──!」
けれども、やっぱりフルートが立ち上がってくることはなかったのでした……。