「あれぇ、へぇ?」
デビルドラゴンの内側でランジュールがまた話していました。
「風のお兄さんが勇者くんを刺したよ。あそこ、まずい場所なんじゃなぁい? 急所だよねぇ」
空の中では花鳥に乗った仲間たちがフルートに駆けつけていました。ゼンがギーに殴りかかろうとしますが、それより早くギーは飛竜で離れてしまいます。
フルートは背中を丸め、腰に近い左の脇腹を押さえていました。苦痛に歪んだ顔は真っ青です。
ふぅん、とランジュールはまた言いました。
「勇者くんが防具を着てたら、あんなの絶対に食らわなかったよねぇ? どぉして急に防具が外れちゃったわけぇ?」
するとデビルドラゴンが答えました。
「アノ鎧ハふるーとノ体ニハモウ小サスギタノダ。アトヒト押シデツナギ目ガ外レルトコロマデキテイタ。我ガぎーニ少シバカリチカラヲ貸シタノダ」
「あ、やっぱりデーちゃんのしわざだったんだぁ。だよねぇ。いくら風のお兄さんが全力で体当たりしたって、あの程度で鎧が外れたりはしないもんねぇ……。だとしたら、勇者くんの金の石が割れちゃったのもデーちゃんのしわざぁ?」
金の石が砕けて消えていったことに、ランジュールも気がついていたのです。
「アレハ理(ことわり)ダ」
とデビルドラゴンは答えて、ククク、と意地悪く笑いました。
「敵ガ自分ノ攻撃デ確実ニだめーじヲ受ケテイルト見レバ、人間ハ誰デモ自分ノ手デ敵ニトドメヲ刺ソウト考エル。ソレガ人間トイウモノダ。ふるーとハせいろすヲ憎ンデ殺ソウト考エタ。ソレダケデナク、邪魔ヲスルぎーマデ殺ソウトシタ。人ヲ憎ンデ殺ソウトスル人間ハ、守ルコトヲ忘レル。アルジガ守ルコトヲ忘レレバ、聖守護石ハチカラヲ失ッテ砕ケルシカナクナルノダ」
それを聞いてランジュールは少しの間考え、あぁ、なぁるほどぉ、と言いました。
「おっかしぃなぁ、と思ってたんだよねぇ。セイロスくんの剣が力負けするようになったり、防具がボロボロになっていったり、急にどぉしちゃったんだろぉと思って見てたんだけどぉ。デーちゃんが勇者くんをはめるのに仕組んでたんだねぇ。ああ、だからデーちゃん自身も神竜たちに負けてるみたいに見せてたのかぁ。あれっぽっちのコトでデーちゃんが参るはずないと思ったんだけどさぁ。参ってみせて勇者くんの油断を誘ったんだ。いろいろ考えたねぇ、デーちゃん」
うふふふ、とランジュールは楽しそうに笑ってから、また言い続けました。
「でぇもさぁ、デーちゃん、詰めがちょっと甘かったんじゃないのぉ? 風のお兄さんは勇者くんの急所を刺したけど、致命傷じゃなかったよぉ? あれじゃ勇者くんはすぐには死なないと思うけどぉ」
フン、とデビルドラゴンは笑うような声をたてました。
「完全ニ死ナレテハ困ルノダ。呼ベヌカラナ」
「呼ぶぅ?」
いったい何を、とランジュールが聞き返そうとすると、その目の前にフルートが現れました。血に染まった脇腹を押さえてうずくまっています。
あれ、とランジュールは驚き、疑うように聞き返しました。
「まぁたデーちゃんの夢ぇ? こぉなるといいなぁって願望の」
「イイヤ、コレハ本物ノふるーとノ魂ダ」
魂! とランジュールは意識の中で飛び上がりました。
「ちょっと、ちょぉっとぉ! 勇者くんの魂ならボクに譲らなくちゃダメだよぉ! ボクはこれが欲しくて欲しくて、ずぅっと勇者くんの後を追いかけていたんだからさぁ……!」
けれども、ランジュールは今は姿さえない意識だけの存在でした。どんなに騒いでもわめいても、フルートの魂相手に働きかけることはできません。
「勇者くんに何をするつもりさぁ?」
とランジュールは恨めしげに尋ねました。
クククク、とデビルドラゴンはまた笑いました。
「決マッテイル。コウスルノダ──」
とたんにフルートの前にセイロスが現れました。黒水晶の防具を身につけ、腰に闇の大剣を下げています。先ほどの戦いで負ったダメージは綺麗に消えていました。
んん? とランジュールは確かめるような声を出してから、すぐに納得しました。デビルドラゴンがセイロスの幻を出したのだと察したのです。いえ、ひょっとするとデビルドラゴンがセイロスに化けているのかもしれません。
うずくまっていたフルートが顔を上げました。魂はまだ肉体と強く結びついているようでした。苦痛で脂汗を流しながらセイロスをにらみつけます。手には剣を握っていますが、激痛で振り上げることができません。
そんなフルートへセイロスは言いました。
「貴様は敗れた。貴様は死ぬのだ──」
幻は声までセイロスにそっくりです。
フルートは何かを言い返そうとしましたが、声になりませんでした。ギーに刺された脇腹は押さえた手の下で真っ赤に染まっています。
ふん、とセイロスは冷ややかに笑いました。うずくまって身動きできないフルートへかがみ込んで言い続けます。
「貴様が死ねば邪魔者は消える。エリーテは返してもらうぞ」
たちまちフルートの表情が変わりました。脂汗を垂らしながら言い返します。
「彼女はポポロだ! エリーテなんかじゃない!」
「エリーテだ。だがポポロと言っても良い。どちらにしてもあれは私の妻だ。忘れている記憶などすぐに呼び戻してやる」
フルートの顔が怒りに染まりました。激情が痛みをつかの間押しやったようで、剣にすがって起き上がろうとします。
「ポポロはポポロだ! おまえのものなんかじゃない! 憎いおまえのことなんか思い出すもんか──!」
必死に立ち上がろうとするフルートを、セイロスは剣ごと蹴り飛ばしました。倒れた衝撃でまた激痛に襲われたフルートを踏みつけて言います。
「思い出させる。あれは私の女だからな。全身に私を刻み込んで、今度こそ私から離れられなくしてやる」
フルートは答えることができませんでした。痛みが激しすぎて声が出なかったのです。脇腹の傷からは血があふれ続けていて停まりません。
セイロスが鼻で笑ってフルートから離れます。
すると、どこからか声が湧き上がってきました。
「憎イカ、勇者──」
デビルドラゴンでした。姿は見せないまま、声だけで話しかけます。
「コノママデハ、オマエハ死ニ、ぽぽろハせいろすニ奪ワレル。ぽぽろハ記憶サエ消サレテ、えりーてニ戻ル。ソウナレバ彼女ハ一生せいろすノ奴隷ダ。ドンナ酷イ仕打チモ受ケ入レナクテハナラナイ。ソンナコトヲ許シテイイノカ? せいろすヲコノママ行カセテ良イノカ──?」
闇の竜の声が絡みつくようにねっとりと響きます。
フルートはまた顔を上げました。立ち上がることができないので、這いつくばるように倒れたまま、セイロスの後ろ姿をにらみつけます。その目は怒りと憎しみに燃えていました。フルートの全身からも怒りが黒い霧のように立ち上ります。
デビルドラゴンは話し続けました。
「我ヲ受ケ入レロ、ふるーと。ソウスレバ、オマエハスグニ回復シテ、せいろすヲ倒スコトガデキル。ぽぽろヲソノ手ニ取リ戻セルノダ」
デビルドラゴンはあくまでもフルート自身を狙っていました。フルートがポポロを想う気持ちを利用して、セイロスを殺させ、フルートを新しい自分の宿主にしようとしているのです。
フルートは歯ぎしりをしました。セイロスはどんどん遠ざかっていきます。
「行かせるか……」
とフルートは唸りました。声がかすれて、まともに話すこともできなくなっています。
「ポポロは、渡さない……貴様なんかに、ポポロは……」
その声におおいかぶさるように、デビルドラゴンが誘いかけます。
「我ヲ受ケ入レロ。我ノチカラデぽぽろヲ取リ戻セ」
フルートはまた地面につっぷしました。精も根も尽きてしまったのです。それでもうめくように言い続けます。
「死ねない……。ぼくが死ねばポポロは……」
「ソウダ。オマエガ死ネバぽぽろハせいろすニ奪ワレルゾ」
闇の竜の誘いは執拗です。
フルートはわずかにまた顔を上げました。姿が見えない竜を虚空に探しながら言います。
「おまえを受け入れたら、セイロスを倒せるんだな……? ポポロを奴から取り戻すことが……」
「アア、デキルトモ」
デビルドラゴンの声がほくそ笑みます。
フルートは拳を握りました。ポポロ、とつぶやいてから、闇の竜に呼びかけます。
「デビルドラゴン、おまえの力を、ぼくに──」
その瞬間。
倒れているフルートを剣が突き刺しました。
いつのまにかフルートの後ろにセイロスが立っていて、闇の大剣をフルートに突き立てたのです。
剣を握るセイロスは兜をかぶっておらず、防具もぼろぼろでした。本物のセイロスです。遠ざかっていくセイロスの幻は音もなく消えます。
「ポポロなど不要だと、私は言ったぞ」
とセイロスは怒りを込めて言いました。彼の怒りの対象は、フルートではなくデビルドラゴンです。
「貴様の魂胆はわかっている。フルートを新たな器にして、私を始末しようとしているのだ。そうはさせん」
セイロスが突き立てた剣をぐりっと回転させたので、フルートは大量の血を吐きました──。