デビルドラゴンの声に応えて、ルルが変化していました。
かすむように白い風の犬の体が、黒い羽根におおわれていくのです。背中に乗ったゼンがいくら呼びかけても止まりません。長い体もみるみる短くなっていきます。
すると、ルルがゼンを振り向いて言いました。
「なにをぼぅっとしてるのよ、ゼン! 早く! その光の矢で、私を殺すのよ!」
ゼンは本気で震えました。矢の代わりにルルの背中をつかもうとしますが、やっぱりもう犬の体はつかめません。
早く! とルルにまた急かされて、ゼンは言い返しました。
「できねえよ! んなことできるわけねえだろうが──!」
「馬鹿っ!!」
ルルが叫んだとたん、ざぁっと黒い羽根が増えて左右に広がっていきました。そのまま二枚の翼に変わります。
ルルは苦しそうな顔をしていました。犬の頭が翼の中に呑み込まれ始めたのです。もうゼンを振り向くことができません。
それでもルルは言い続けました。
「私を殺しなさい! そうしないと私はあなたたちを殺すわ! フルートもゼンもメールもポチも──ポポロまで──! 私にそんなことをさせないで!」
ルルの風の尾はもうすっかり短くなって、大きな二枚の翼だけが黒々と空に浮いていました。風の犬の涙が青い霧になって漂う中、ルルの顔が翼に消えていこうとします。
ゼンは叫び続けました。
「しっかりしろよ、ルル! 闇なんか撃退したはずだろうが! あんなヤツに負けんなよ──!」
悲鳴のような声でした。泣いているようにも聞こえます。
ルルは返事をしませんでした。ルルの顔が完全に呑み込まれてしまったのです。ルルの体はもうどこにもありませんでした。頭も胴体も足も何もない、一対の黒い翼になっています。
すると、翼はゼンを乗せたまま上昇を始めました。空中で向きを変えると、今度は急降下を始めます。その行く手には花鳥がいました。
「よせ、ルル!」
ゼンはどなりましたが、ルルは停まりませんでした。花鳥に乗ったメールやポポロたちがみるみる近づいてきます。黒い翼の風切り羽がナイフのように鋭く光り出します。
「やめて、ルル!!」
ポポロが身を乗り出して叫んでも、翼は急降下をやめません──。
ざくっと音を立てて翼が花鳥を切り裂きました。青い花の羽根が空に飛び散ります。
翼は身をひるがえして離れていきました。花鳥がせわしく羽ばたいて墜落をまぬがれます。翼の攻撃は花鳥をかすめただけだったのです。
そんな花鳥の背中にゼンがいたので、メールたちは目を丸くしました。
「いつの間に。飛び移ってきたのかい?」
とメールが尋ねると、ゼンは怒りながら跳ね起きました。
「違う! ルルが俺をここに振り落としたんだ! あの馬鹿──!」
ゼンにはルルが考えていることがわかっていました。ゼンを花鳥に下ろして、自分へ光の矢を射させようとしているのです。
黒い翼が空中で向きを変えました。風切り羽を光らせながら、また花鳥に向かってきます。
「ルル! やめて、ルル! ルル──!」
ポポロがいくら呼びかけても翼は停まりません。
ジャッ
翼がまた花鳥を攻撃しました。ひゅっとメールが息を呑みます。とっさに花鳥を降下させたのですが、彼女の頭上すれすれを翼が通り過ぎたので、宙に浮いた髪の先端を翼に切られたのです。
ゼンは顔色を変えました。ルルが本気で自分たちを殺そうとしていると知ったのです。弓をつかんで光の矢をつがえます。
「だめ、ゼン! 殺しちゃだめ!」
「ゼン!」
ポポロとメールが叫びますが、ゼンは弓を引き絞りました。彼は猟師です。相手が攻撃してきたら、身を守るために反撃する習慣が染みついています。銀の鏃(やじり)が翼に狙いを定めます──。
ところが、ゼンの前に小犬のシィが飛び出しました。迫ってくる翼へ叫びます。
「だめです、ルルさん!」
とたんにシィの体がふくれあがりました。ポチより小さな体が何百倍にもふくれあがって、犬の頭と前脚に魚の尾のシードッグになります。
目の前に突然巨大な怪物が現れたので、翼はUターンしていきました。ゼンも驚いて思わず矢を放つのを忘れます。
その隙にメールがゼンに飛びつきました。抱きついて弓を構えられないようにします。
「だめだったら、ゼン! あれはルルなんだよ!」
ゼンは我に返りました。
「わぁってらぁ! だけど、あいつが俺たちを殺そうとするなら、殺すしかねえだろうが──!」
言いながらこみ上げてきたものを、歯を食いしばって呑み込みます。
そのとき悲鳴が上がりました。シードッグがあまりに巨大だったので、花鳥が重さを支えきれなくなって崩れたのです。ばらばらになった花の間を突き抜けて、シードッグが空へ落ちていきます。
「シィ!」
メールは花の蔓で捕まえようとしましたが、シードッグが大きすぎて停められませんでした。シィは、はるか下の地面へ落ちていきます。巨大なシードッグでも無事ではいられない高さです。
すると、ペルラの声が響きました。
「シィ、元に戻りなさい!」
墜落している最中でも、主人の声は届いたようでした。シードッグの体がみるみる縮んで、元のぶちの小犬に戻ります。
それでも墜落は停まりませんが、落ちる速度が少し緩みました。シィが四本の脚を広げて落ちていたので、風の抵抗を受けるようになったのです。そこへビーラーが駆けつけ、ペルラが両手を広げてシィを受け止めます。
良かった、とメールやゼンたちはほっとして、すぐにルルを思い出しました。空に翼を探すと、青空に黒い染みのように浮かんだ翼の前に、二頭の白馬がいました。こちらにはペガサスに乗ったオリバンとセシルが駆けつけていたのです。
オリバンは抜き身の聖なる剣を握っていましたが、構えてはいませんでした。
翼の正面にいたのはセシルでした。片手を突きつけて命じます。
「動くな、ルル! そこでじっとしていろ!」
翼は羽根をざわりと鳴らしました。二つの羽を広げたまま、空中に停止してしまいます。
ところが、そこにまたデビルドラゴンの声がしました。
「ナニヲシテイル! ソノ程度ノ命令デ、オマエヲ縛ルコトハデキナイ! 早ク連中ヲ殺スノダ!」
黒い翼はまた、ばさばさと羽ばたきを始めました。セシルの命令を振り切ってしまったのです。セシルがペガサスと一緒に跳ね飛ばされます。
オリバンはセシルをかばって聖なる剣を構えました。翼が襲ってきたら反撃しようとします。
けれども、翼はセシルたちには向かいませんでした。また向きを変えて花鳥へ飛んできます。
ゼンはメールを払いのけて弓を構えました。迫ってくるルルへ光の矢を向けます。
「ゼン!!」
メールとポポロが悲鳴を上げますが、ゼンを停めることはできませんでした。向かってくる翼を停めることもできません。
ゼンは弓を引き絞っていきました。すさまじく腹を立てているのに、矢の狙いは少しもぶれません。翼の中心を正確に射貫こうとします。
すると、いきなりゼンの頭の中にルルの声が聞こえてきました。
「そうよ、撃って。私を殺して。みんなを殺す前に。ポポロを殺してしまう前に……」
翼になったルルが本当に言っているのか、ゼンが声を聞いている気がしているだけなのか、よくわかりません。
「馬鹿野郎──」
ゼンは唸りながら矢を放とうとします。
そこへフルートの声がしました。
「レオン、頼む!」
いつのまにかビーラーに乗ったレオンが翼の後ろに回り込んでいたのです。レオンの後ろにはシィを抱いたペルラも乗っています。
レオンが翼に両手を突きつけて呪文を唱えました。
「ヨリーカヒレモマオルルーラカミーヤ!」
白銀の光が空中に湧き起こって翼を包み込みました。翼を光の球の中に捕らえてしまいます。
レオンが言いました。
「正気に返れ、ルル! 闇のくびきを振り切るんだ!」
ガァァッとデビルドラゴンがほえました。また呼びかけてきます。
「殺セ、殺セ、殺セ! オマエハ闇ノ眷属(けんぞく)ダ! 光ヲ切リ裂ケ! 連中ヲ殺セ! 特ニ、ぽぽろヲ殺セ──!」
黒い翼が急に羽ばたきをやめました。ぽぽろ、と翼からつぶやきが聞こえてきました。ルルの声とは似ても似つかない、地の底から響くような闇の声です。
デビルドラゴンの声が急にねっとりと絡みつく調子になりました。
「ソウダ、オマエハ今デモぽぽろヲ守リタガッテイル。ぽぽろヲ守ルガイイ。ぽぽろヲ食ラエ。ソウスレバ、誰ニモぽぽろは奪ワレナイ」
ゼンやメールはぞっとしました。闇の声の戦いのときに、ルルがポポロを奪われまいとして魔王になったことを思いだしたのです。あのときと同じように、デビルドラゴンはルルの心の闇に誘いかけています。
「ルル、ルル──!!」
ポポロが泣きながら呼びかけていました。彼女を正気に返そうとしているのですが、それは逆効果かもしれませんでした。ルルにポポロへの執着を思い出させてしまいます。
翼はぶるぶる震え出しました。周囲に黒い湯気のようなものが湧き出してきます。
レオンは顔をしかめて両手を伸ばし続けました。闇の抵抗が強まって、光の球を保つのに精一杯になったのです。ペルラやシィがはらはらしながら見守りますが、彼女たちにできることはありません。
すると、彼らから離れた場所でいきなりフルートがポチと突進しました。光炎の剣でセイロスの肩を貫きます。
セイロスは叫び声を上げて飛び退き、デビルドラゴンも大きな悲鳴を上げました。両者は見えないところでつながっているので、セイロスへの攻撃がデビルドラゴンにも伝わったのです。セイロスの傷から火が噴き出しますが、すぐに消えてしまいます。
ただ、その瞬間に闇の呼び声がとぎれたようでした。翼が大きく身震いして声を上げます。
「私は闇に戻らない! 絶対に戻らない! ポポロも私のものなんかじゃない! あの子はあの子自身のものだもの──!」
ルルの声でした。
どぉぉぉん……!!!!
爆発するような音を発して、翼を包んでいた光が弾け飛びました──。