デセラール山の前でデビルドラゴンは巨大な翼をゆっくり動かしていました。
背中には黒い防具のセイロスが乗っています。竜の背の上に立っているように見えますが、その足は竜の本体とつながっていました。デビルドラゴンはセイロスの中から実体化して現れているのです。
中空にいる彼らには周囲の状況がよく見えていました。
目の前に広がるリーリス湖の真ん中では、肉坊主と海の軍勢が激しく戦っています。湖の水に魔法をかけて、海の民には泳ぐことも息をすることもできないようにしたのですが、彼らはそれでも湖に入って戦っていました。泳げない海の民を海の魚たちが引っ張っているのです。水中での呼吸を助けているのは渦王でした。二頭のサメにひかれた戦車で湖の上から指揮しています。
湖の西側ではユラサイ国の飛竜部隊が肉坊主の行く手を阻んでいました。飛竜に同乗した術師たちが、ユラサイの術で炎の壁を生み出して肉坊主を焼いているのです。デビルドラゴンがどれほど強力な闇魔法を使っても、魔法体系が違うユラサイの術を打ち破ることはできません。際限なく湧き出してくるように見えた肉坊主も数が減ってきています。行く手にはロムド国の王都ディーラがあるのですが、肉坊主がそこまでたどり着くのは難しそうでした。
湖の東側でも肉坊主が宙船に乗った妖怪軍団に攻撃されていました。宙船は光の砲撃を行うので、一発で大量の肉坊主が消滅します。ただ、こちらの攻撃は先ほどから停止していました。宙船軍団の大半が地中に沈没したので、生存者の救出を優先したのです。生き残った肉坊主はまた東へと向かい始めています──。
セイロスが湖の向こうのハルマスへ目を戻すと、デビルドラゴンの巨大な頭が話しかけてきました。
「金ノ石ノ勇者タチガ動キ出シテイルゾ。何カ仕掛ケテクルダロウ」
セイロスにもそれは見えていました。体がつながり合っているのですから、デビルドラゴンが見ているものは彼にも見えるのです。
「メールとゼンが砦から西へ出た。ユラサイの術師どもにまた術を使わせるつもりだろう」
その冷静な口調に竜は不満そうな様子になりました。
「連中ノ術ハ微弱ダガ厄介ダ。連中ガ術ヲ使ウマエニ焼キ払ウベキダ」
けれども、セイロスは湖の向こうを見つめたままでした。返事をしようとしないので、デビルドラゴンはますます不満げになりました。
「先ホド、オマエハ本気デ勇者タチヲ殺ソウトシタ。聖守護石ガ防イダガ、ソウデナケレバぽぽろゴト消滅シテイタダロウ」
セイロスはやはり返事をしませんでした。ただ油断のない目でハルマスの監視を続けています。ハルマスの砦は光の防御壁で守られているので、セイロスにもデビルドラゴンにも、内部まで見通すことはできないのです。
デビルドラゴンは少し黙り込んでから、また話し出しました。
「オマエハ本気デぽぽろモ殺ソウトシテイル。ソレハぽぽろノチカラヲ奪ッテカラニシロ、ト言ッテイルデハナイカ。我ラガ完璧ニナルニハ、ぽぽろニ残ッテイルチカラモ必要ナノダ」
セイロスはようやく口を開きました。冷ややかに答えます。
「それで完璧になるのはおまえだ。おまえのもくろみに私が気づいていないとでも思うのか」
今度はデビルドラゴンが黙り込みました。セイロスから顔をそらし、横目でセイロスを見ます。
そんな竜にセイロスは言い続けました。
「考えを隠そうとしても無駄だ。おまえと私は一心同体だからな。ポポロに残された力を奪えば、おまえは確かに元通りの力を取り戻す。だが、それはもう私がエリーテに分け与えた『抑止』の力ではない。一度外に出てしまった力は、戻ってきたときにはもう純粋な力でしかないからだ。ポポロから力を取り戻しても、おまえを制御できるようになるわけではない。ただ、おまえを完璧な闇の竜にしてしまうだけだ」
闇の竜は横目でセイロスを見たまま言いました。
「ソウダ、我ラハ完璧ニナル。ソレノ何ガ問題ダ。抑止ノチカラナドナクテモ、我ラハ世界最強ニナルノダ」
「おまえを制御できなくなれば、世界はおまえに破壊される」
とセイロスは言い返しました。断罪するような厳しい声です。
「私は世界の王になることを願い石に願った。その世界を破壊することは断じて許さん」
「ソノタメニ、アエテ完璧ニナルコトヲ捨テルトイウノカ」
とデビルドラゴンは言いました。それまで普通にセイロスと話していた声が、突然地の底から聞こえてくるような響きになります。
セイロスの声がさらに厳しくなりました。
「完璧になったとき、おまえが何をしようとしているのか、私にはわかっている。おまえは完全に私を取り込もうとしているのだ。私をおまえにしようとしている。そうして、望むままに世界を破壊し、すべての生命を消し去ろうというのだ。それが闇の権化であるおまえの目的だからな。もう一度言うが、それは許さん。おまえは私に従って働け」
竜はまた黙り込みました。怒りに体中のひれが逆立ちますが、セイロスは平然としていました。ハルマスの砦から出ていったゼンやメールが、飛竜部隊の半数ほどを引き連れて砦へ戻っていく様子を見ています。
「連中ヲ焼キ払エ」
とデビルドラゴンがまた言いましたが、セイロスは承知しませんでした。そんな真似をすれば、激怒したフルートが彼らを守ろうと願い石を使うことがわかりきっていたからです。
そこへ離れた場所からギーが呼びかけてきました。
「セイロス、連中が妙な動きを見せているぞ! 連中の飛竜の一部が砦に引き返していくんだ!」
フッ、とデビルドラゴンは笑うような鼻息を立てましたが、セイロスは平然と答えました。
「私にも見えている。そのまま砦に行かせるがいい」
ギーは飛竜に乗って空中にいましたが、飛竜はデビルドラゴンに怯えて離れようとしていました。それを抑えながらギーがまた言います。
「作戦があるんだな! さすがセイロスだ! 俺も手伝いたいんだが、困ったことに、こいつが言うことを聞かないんだ! セイロスならこいつをどうにかできるか!?」
「小さなものが大きなものを恐れるのは仕方のないことだ。無理に手伝う必要はない。私だけで充分だ」
とセイロスは答えました。とたんにデビルドラゴンがキェェェ、とつんざくような声を上げたので、ギーの飛竜はたちまち回れ右して一目散に離れていきました。どんなにギーが引き戻そうとしても停まりません──。
「何故、我ニ彼ラヲ追イ払ワセタ」
とデビルドラゴンが不本意そうに言いました。これだけ実体化していても、行動の主導権はセイロスにあるのです。
「おまえの狙いがわかっていないと思うのか」
とセイロスが先ほどと同じようなことを言いました。とたんにデビルドラゴンが黙り込んだのも同様です。
不機嫌そうにしている竜に、セイロスはまた命じました。
「大地を裂いて連中を砦ごと大地に呑み込め。連中が手出ししてくる前に行動を封じるのだ!」
竜の赤い目がセイロスを見ました。怒る色と喜ぶ色が入り混じっていましたが、すぐに喜び一色になります。破壊は闇の竜には最高の愉しみなのです。
デビルドラゴンは首をまっすぐハルマスの砦へ向けました。ゼンたちや飛竜部隊はすでに砦の中へ姿を消しています。
キィエェェエエエエエ!!!!!
咆吼(ほうこう)が空と大地を激しく震わせ、地上は大揺れに揺れ始めました。ゴゴゴゴ、と地鳴りが響いてみるみる大きくなり、ハルマスの砦も激しく揺すぶられて、煙のような土埃を立て始めます。
ェエエエエェエエエエ!!!!!
咆吼はまだ続いていました。揺すぶられた山のふもとにひび割れが生まれ、ハルマスの砦のほうへまっすぐ伸びていきます。地割れは途中に横たわるリーリス湖の水面を真っ二つに割りました。対岸にたどり着くと砦に襲いかかります。
バチバチと火花のような光を発して、砦の防壁が崩れていきました。裂け目が広がって両岸も崩れ始めます。
デビルドラゴンが生んだ地割れは、ハルマスの砦を呑み込みだしたのでした──。