フルートは外へ飛び出しましたが、そのままデセラール山へ突撃するような無謀はしませんでした。
ハルマスの砦の上を周回しながら、防壁や見張り台の兵士たちに呼びかけます。
「敵の大将がとうとう姿を現した! デセラール山から攻めてくる! 警報を鳴らせ!」
彼らも山のふもとから湧き上がる黒い霧に、何事かと怪しんで騒いでいましたが、フルートに命じられて、いっせいに角笛を吹き鳴らしました。ハルマス中の兵士が聞きつけて飛び出し、砦は武装した集団でいっぱいになります。
すると、ルルが背中のゼンへ話しかけました。
「ねえ、ゼン」
ところがゼンはルルの声に気がつきませんでした。ちょうどオリバンやセシルが兵士たちの元へ駆けつけたところで、その様子を見ていたのです。
「ゼン、ゼン──ゼンったら!」
ルルがガウッと首をねじって牙をむくと、ゼンは仰天してのけぞりました。
「な、なんだよ、脅かすな!」
「ゼンが私の話を聞こうとしないからよ!」
ルルはぷりぷりしながら言い返しましたが、すぐにぐっと声を低めました。
「あなたに頼みがあるのよ。聞いてちょうだい」
「なんだよ、改まって」
とゼンは目を丸くしました。ルルの口調が急に神妙になっていたからです。
ルルはデセラール山に目を移して話し出しました。
「セイロスが潜んでいた場所なんだけどね──きっと私の地下迷宮なのよ。私が魔王になっていたときに、デセラール山の地下に作った。覚えているでしょう? 私がポポロをフルートに盗られると思って、フルートを恨んで憎んで、デビルドラゴンに取り憑かれて魔王になってしまったときのこと。デセラール山は元々は守りの花を育てられるくらい清らかな場所だったのに、私が地下に迷宮を作ったから、山に闇を持ち込んでしまったのよ。私はあなたたちに助けてもらって闇から脱出できたけど、地下の迷宮はまだ残っていたんだわ。そこをセイロスに隠れ家にされてしまったのよ。セイロスをこんな身近に引き込んでしまったのは、私なんだわ──」
ルルは話しながら泣き出していました。一度闇に墜ちた罰として、ルルはそのときのことを永久に忘れることができません。自分の犯した罪を昨日のことのように思い出しては、後悔にさいなまれてしまうのです。風の犬が流す涙は青い霧のようです。
ゼンはますます目を丸くすると、弱って頭をかきました。
「おまえのせいじゃねえだろ、ルル……。あんときの地下迷宮はデビルドラゴンが出現するときにぶっ潰れたんだからよ。単に、セイロスの野郎が俺たちの度肝を抜こうとして、すぐ足元に隠れてやがっただけだ」
けれども、ルルは頭を振りました。青い霧が周囲に薄く広がります。
「感じるのよ。セイロスがデセラール山から現れたとたん、遠くから私を捕まえる手が伸びてきたの。闇の手よ。今はとても細くて弱いけど、私を捕らえて放さないわ。私は元々闇の黒い翼だし、いくら天空王様に魔法で清めていただいても、闇から完全に離れるのは、やっぱり無理だったのよ──。だから、お願い。私がまた黒い翼に戻って、セイロスの命令であなたたちを襲いそうになったら、ゼンの光の矢で私を殺してほしいの。闇の翼になっていたら、光の矢で退治できるはずだもの」
「馬鹿言え!!」
とゼンは思わず大声を出しました。近くにフルートやメールたちがいたら、聞きつけて何事かと飛んできたでしょうが、残念ながらゼンとルルは彼らだけで空の少し高いところにいました。フルートは防壁の兵士たちに迎撃を命じていたし、メールとポポロはオリバンに呼ばれて地上へ降りています。
ゼンは困惑してわめき続けました。
「なんで俺がそんなことをしなくちゃいけねえんだよ!? セイロスの野郎を怖いと思うから、んな馬鹿なことを考えつくんだぞ! しっかりしろよ!」
「しっかりしてるわよ。だから頼んでるの。私はもう絶対に闇に戻りたくなんてない。セイロスに操られてあなたたちやポポロを傷つけるような真似は、死んだってしたくないのよ。いいわね、頼んだわよ。もしも私がそんな真似をしそうになったら、ためらわずに私を殺してね」
青い霧はルルの風の目から湧き続けていました。背中のゼンを包んでしっとりと濡らします。
ゼンはますます困惑してしまいます。
そのとき、角笛の音がひときわ高くなりました。
フルートの声が響いてきます。
「出てくるぞ! デビルドラゴンだ!」
デセラール山のふもとから湧き上がる黒い霧が、四枚翼の竜に形を変えようとしていました──。