白い漆喰(しっくい)の壁に囲まれた部屋で、フルートたち勇者の一行はひとつのベッドを囲んでいました。ベッドにはポポロが寝せられています。イベンセに力を吸い取られた後、意識を失って目を覚まさなくなってしまったのです。
フルートたちはなんとか彼女を正気に返そうとしましたが、どうしてもできませんでした。ついには夜が明けてしまったので、助けを求めてハルマスの砦に戻ってきたのでした。
時間を戻す怪物クロノスと激戦を繰り広げたハルマスは、時の翁がすべてを元に戻したので、損傷がすっかり消えていました。真新しい建物に戻った病院で、駆けつけた人々がポポロを診ていました。
「大丈夫よ。ポポロは魂を抜かれていないわ」
と紫の魔法使いが椅子の上に立って言いました。背が低いので、椅子の上からポポロをのぞき込んでいたのです。
その隣から鳩羽の魔法使いも言いました。
「肉体のほうも正常だね。どこにも怪我や異常はない」
一時はクロノスに赤ん坊や老人に変えられてしまった二人ですが、今は元通り、黄色い巻き毛の少女と青年の姿になっています。
彼らより長くポポロにかがみ込んでいた天狗が、高い鼻をフルートたちに向けて言いました。
「魂や体は無事だが、力が極端に減っているな。ポポロの力は常識ではありえないほど強大だが、それがごっそり持っていかれている。もう少し長く吸い取られていたら、命まで危なかっただろう。おまえたちが駆けつけたからポポロも命拾いしたんだ」
けれども、ポポロ自身は病室のベッドに横たわったまま、目を閉じて身動きひとつしませんでした。息づかいもかすかなので、まるで死んでしまったように見えます。
「生きてるのはわかったけどさ、ポポロはいつ目を覚ますのさ!?」
とメールが尋ねました。鬼姫と呼ばれる彼女が、心配のあまり泣き出しそうな顔と声になっています。
「力をとられすぎて動けねえんだな? このまま待ってりゃ回復するのか?」
とゼンも尋ねました。静かな声は一見冷静そうですが、実際には怒りで爆発寸前になっています。
ルルのほうはとっくに腹を立てていて、かみつくような勢いで言いました。
「魂も体も無事で生きてるなら、どうしてポポロは目を覚まさないのよ!? もう朝よ! どうしたらポポロは目を覚ますのよ!?」
フルートは何も言わずにベッドの横に立ち、自分の力を送り込もうとするように、ポポロの手を握りしめていました。ずっとそうしているのですが、ポポロは気を失ったままでした。そんな様子をポチは心配そうに見守っています。
天狗と並んでポポロをのぞき込んでいたレオンが、眼鏡を押し上げて言いました。
「さっきから見ているけれど、ポポロの力がまったく回復していかない。ぼくがイベンセに力を奪われたときには、休んでいれば自然に回復していったんだが──。たぶん、ポポロは彼女の中の闇の竜の力を奪われたんだ。あれはセイロスがエリーテ姫に与えて、それがポポロに引き継がれたものだから、自然回復するものじゃないんだろう」
「じゃあ、ポポロはどうなるのさ!?」
「ずっとこのまま目を覚まさないっていうの!?」
とメールとルルがどなります。
すると、そんな彼女たちを落ち着かせるように、天狗がまた言いました。
「力は大幅に減らされたが、ポポロは今も生きている。おそらく急激に力が減ったせいで、体の中の均衡が狂ってしまったんだろう。状態が落ち着けば目を覚ますはずだ」
けれども、そう言われても仲間たちはやっぱり安心できませんでした。ポポロは目を閉じて死んだように眠り続けています。彼女が目を覚ましてくれるまでは、不安でしかたありません。
病室の入り口や外の通路には、彼らを追ってディーラから駆けつけてきたオリバンやセシルたちがいました。部屋が狭かったので、中に入りきれなかったのです。
オリバンが腕組みして話しかけてきました。
「ポポロの力は敵に奪われた。この後、敵はどう出てくる? 我々はどう備えるべきなのだ?」
どんなにポポロが心配でも、彼らは戦闘の最中でした。敵に備えなくてはならなかったのです。
フルートが唇をかんでしまったので、代わりに天狗が答えました。
「イベンセが奪った力はセイロスに渡ったと考えるべきだろうな。奴は闇の竜の力を取り戻したことになる。いよいよ奴自身が戦闘に乗り出してくるだろう。今度こそ本当の決戦だ。わしたち妖怪軍団は空船を整備して戦闘に備えている」
すると、レオンがうなずきました。
「ぼくたち天空部隊も決戦に備えて準備中だ。マロ先生が指揮している」
「もちろんロムド軍や女騎士団も他の同盟軍も出撃に備えているぞ。竜子帝も飛竜部隊の点検中だ」
とセシルも言いました。間近に迫る決戦に砦中が準備を整えているのです。
フルートは唇をかんだままポポロを見つめました。彼女が目を覚ますまでそばにいたいのは山々ですが、そういうわけにはいかないのです。
溜息のような深呼吸をひとつしてから、フルートも口を開きました。
「迎撃準備だ。セイロスは必ずここに攻めてくる。ここには奴の天敵のぼくがいるからだ。ハルマスの総力を挙げて敵を迎え撃つ。そして──」
そして? とフルートは急に話に詰まってしまいました。
セイロスが直々に攻めてきたら、ポポロの魔法で奴の動きを停めて、その隙に金の石の力を直接セイロスに流し込む、というのがフルートの作戦でした。それでデビルドラゴンを消滅させることはできません。ですが、デビルドラゴンに当分動けないくらいのダメージは与えられるし、そうなればセイロスの野望も止められるはずでした。しばらくの間、世界は平和になるのです。
何十年か何百年かの後、デビルドラゴンはまた復活してくるでしょう。そうなれば、金の石は新たな主人を選んで金の石の勇者にするし、新しい金の石の勇者は願い石とまた巡り会います。それが金の石の勇者のさだめだからです。フルートはその勇者に戦いの決着を託すことにしたのです。願い石を使わずにデビルドラゴンを倒す方法が見つからない以上、そうするしか方法はありませんでした。
けれども──
ポポロは力の大半を奪われてしまいました。目を覚ましても、闇の竜の力を取り戻したセイロスの動きを停めることは不可能です。作戦が実行困難になってしまったのです。
ポポロの魔法の支援なしに、セイロスへ金の石を使うことができるだろうか? とフルートは考え込んでしまいました。いくら考えても答えは見つかりません……。
「ワン、フルート?」
とポチに足元から声をかけられて、フルートは我に返りました。部屋の全員が自分に注目していることに気がついて、あわてて話を続けます。
「とにかく全力で奴を迎え討つ。奴の中のデビルドラゴンを金の石で追い払うことさえできたら、こっちの勝ちなんだ。みんなで協力して成功させよう」
本当に成功できるだろうか? とフルートは話しながらまた考えてしまいました。どんなに全員で協力し合っても、セイロスがすさまじい魔力で味方を蹴散らす場面しか浮かんできません。
もしもセイロスに勝つことができなかったら、世界はデビルドラゴンに破滅させられます。フルートの大切な人たちも皆殺しにされてしまうのです。ポポロもゼンもメールもポチもルルも、オリバンもセシルも、他の人々も。
そんなことは絶対にさせない! とフルートは強く思いました。燃えるように熱くなった心の底に、赤いドレスの女性が見えます──。
そのとたん、フルートの左手がぐっと握りしめられました。
フルートは驚き、自分がまだポポロの手を握っていたことに気づいて、また驚きました。彼の手を握りしめたのはポポロだったのです。
すると、ポポロが目を開けました。
「だめよ、だめ……それは、絶対にさせない……」
宝石のような瞳でフルートを見上げて、ポポロは言いました。