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第28巻「闇の竜の戦い」

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154.消失

 エリーテ姫は闇王のイベンセに変わっていました。

 黒い翼の羽ばたきが長い黒髪や赤と黒のドレスをあおります。

 彼女の首にはまだセイロスの爪が食い込んだ傷が残っていました。黒い霧が血のように噴き出していますが、彼女が手を当てると傷は消えていきます。

 一方セイロスは驚いた顔をしていましたが、すぐに険しい表情になりました。

「なりすましていたな、闇王──」

 イベンセは何も言わずに身をひるがえしました。セイロスの声が激しい怒りに充ちていたからです。激昂(げきこう)が危険な波動になって押し寄せ、彼女をたたき落としてしまいます。

 床に落ちたイベンセの前にセイロスが立ちました。かがみ込んで彼女の髪をつかみ、ぐいと顔を引き上げて言います。

「ポポロの力がエリーテになったように見せて、私に取り入るつもりだったな。さしずめ私の妃気取りで闇の国を支配しようとしたのだろう。姑息な真似を」

 ことばは冷静なようでも、声は相変わらず強烈な怒りに充ちていました。イベンセは反論も弁明もできなくて青ざめています。

 すると、セイロスは、にやりとどす黒く笑いました。

「私がエリーテを殺そうとしたことが予想外だったか。言ったとおりだ。私は二千年も私を侮辱の底に置いた者を絶対に許さん。力さえ取り戻すことができれば、エリーテもポポロも用はないのだ」

 彼自身もエリーテ姫を二千年間も闇の塔に縛り付けて苦しめてきたのですが、そんなことは思い出しもしないようでした。

 イベンセはあえぎ、弱々しく言いました。

「我が君……ひとりで世界を統べるのは困難です……。私をあなたの協力者に……」

 セイロスはさらに暗く笑いました。

「私は他者と協力することができないと言ったのはおまえだぞ、闇王。私は闇の竜なのだからな」

 とたんに、ごぅ、とセイロスの体が黒い炎を吹き上げました。黒い水晶の防具が現れて全身を包み、四枚の翼がセイロスの背後に広がります──。

 けれども炎はすぐに小さくなって防具に消えていきました。

「出しゃばるな」

 とセイロスが言います。イベンセへ言ったことばではありません。

 セイロスの背後には黒々としたウロコが光る四枚の翼が残っていましたが、それがほどけて幾筋もの黒い流れに変わり、黒髪の束になりました。生き物のように空中をくねっています。

 イベンセは目をむき、顔を引きつらせました。

「お許しを、我が君──。金輪際あなたをあざむくような真似はいたしません。どうか今一度チャンスを──」

 闇王が恥も外聞もかなぐり捨てて必死に謝罪しているのですが、セイロスは耳を貸しませんでした。怒りを秘めた声のまま言います。

「おまえは本当にポポロから力を奪ってきた。よくやった、と褒めてやろう。それがおまえの望みだったのだからな」

 口先だけのねぎらいにイベンセは首を振りました。また何も言えなくなっています。

 そんな彼女へ黒髪の束がいっせいに襲いかかりました。先端が蛇になってかみつき、体の中へ潜り込んでいきます。

 イベンセは絶叫しました。蛇は力を吸い取るだけでなく、彼女の体まで食い荒らしていったのです。全力で羽ばたいて逃げようとしますが、髪の毛の蛇は彼女を離しません。さらに多くの蛇が彼女に食らいつき、彼女の全身をおおってしまいます。

 広間に響いていた悲鳴が、やがて、ぱたりとやみました。食うものがなくなった蛇が、一匹また一匹と離れてセイロスの髪に戻っていきます。

 蛇がすべて髪の毛に戻ったとき、広間の床にもうイベンセの姿はありませんでした。血の痕もありません。彼女がそこにいたという痕跡はまったくなくなってしまったのです。

 片膝をついてかがんでいたセイロスが、ゆっくりと立ち上がります──。

 

 すると、広間に別の声が響きました。

「あぁあ、とうとう闇王サマまで殺しちゃった。味方をみぃんな自分で潰しちゃうんだからなぁ。キミってほぉんと、どぉしよぉもないよねぇ」

 広間の天井付近にふわふわと幽霊の青年が浮いていました。肩の上には大蜘蛛の幽霊が乗っています。

 セイロスは冷ややかにそれを見ました。

「闇王が何故エリーテを知っているのか不思議だったが、おまえのしわざだったか、ランジュール」

 先ほどまでの激しい怒りが嘘のように、また冷静な声に戻っています。

 ランジュールはひゅぅんと空中を一回転して、また元の場所に戻ってきました。

「うふふ、大当たりぃ。なにしろボクは勇者くんたちと一緒に過去のパルバンに行って、キミの奥さんだったお姫様を直接見てきたからねぇ。そのとき見たモノを闇王サマに教えてあげたってわけぇ。だけど、ボクも闇王サマも意外だったなぁ。てっきりキミは今でもお姫様を好きなんだとばかり思っていたんだけど。まさか、殺してやりたいと思ってただなんてぇ。可愛さ余って憎さ百倍ってヤツぅ?」

 セイロスは何も言いませんでしたが、イベンセをエリーテと思い込んだ状況で殺そうとしたのですから、それは本心でした。

 うんうん、とランジュールはひとりでうなずきました。

「まぁ、考えてみたらそぉだよねぇ。お姫様のほうだって、セイロスくんのコトを二千年間恨んで憎んで、しまいにはセイロスくんを忘れて生まれ変わっちゃったんだからさぁ。それでもセイロスくんがお姫様を愛していてあげる義理なんて、ないよねぇ。そのあたりを読めなかったのが、闇王サマの敗因かぁ」

 そう話すランジュールの口調はのんびりしていました。闇王のイベンセと手を組んではいても、彼女の仇を取ろうなどとはまったく考えていないのです。何も言おうとしないセイロスへ、ぺらぺらと話し続けます。

「でもさぁ、そぉやって味方を片っ端から潰すのはやめたほぉがいいんじゃないのぉ? サータマンの王サマも死んじゃったっていうし、セイロスくんの役に立つ味方がまた誰もいなくなっちゃってるよぉ? 闇王サマの話じゃないけど、ひとりっきりの王サマでどぉするのさぁ。困ったよねぇ、うふふふ……」

 ランジュールは女のように笑いました。もちろんセイロスを心配して言っているわけではありません。

 すると、セイロスが口を開きました。

「奴らはもう用済みだ。サータマン王に強大な魔力を与えれば、仇敵のロムド王を倒しに都へ向かうのはわかりきっていたし、そこへあの連中が駆けつけてくることもわかっていた。闇王がその隙を狙ってポポロから力を奪ったのも、予定どおりだったのだ」

 ランジュールは目を丸くしました。

「え、なぁにぃ? じゃあ、サータマンの王サマや闇王サマがあんなふうに行動するって承知の上で、セイロスくんは二人を焚きつけていたってことぉ──? だから、セイロスくんは闇王サマから兵隊さんを全部奪っちゃったのかぁ。闇王サマを怒らせて、お嬢ちゃんの力を本気でとってこさせよぉとして。うひゃぁ、怖い怖い。さっすが闇の竜のデーちゃん!」

 ランジュールは両手を頬に当てたまま、全身真っ青になって空中を漂い始めました。ショックで青ざめた、と表現しているようです。

 

 一方セイロスのほうは、そんなランジュールの行動はまるで無視していました。当然のことのように、こう言います。

「魔獣を連れて私に従え、ランジュール。ポポロは力の大部分を失った。今度こそ連中を壊滅させるぞ」

 ふわふわと空中を漂っていたランジュールが、ぴたりと動きを停めました。疑わしげに聞き返します。

「ボクに参戦しろって言われたよぉな気がするけど、空耳かなぁ? ボクはずいぶん前にキミとは手を切ったんだけどぉ? ほらぁ」

 ランジュールが本当に自分の左手を腕から切り離して見せたので、肩の上でアーラが飛び上がりました。次の瞬間、チチッと警告を発します。セイロスから魔弾が飛んできたのです。

 ランジュールは姿を消し、魔弾は後に残った左手を吹き飛ばしました。

 広間の別の場所に姿を現したランジュールは、派手な悲鳴を上げました。

「いったぁぁぃ! セイロスくんがボクの左手を消滅させちゃったぁぁ!」

 と手がなくなった左腕を振りますが、すぐにそこからまたにょっきり新しい手が出てきました。

「なぁんてね。うふふ。手くらいいくら消されても平気なんだけどさぁ。セイロスくんったら、まだ気が立ってるんだねぇ。危険だったらありゃしないなぁ」

「もう一度言う。魔獣を呼んで私に従え」

 とセイロスが繰り返すと、ランジュールは肩をすくめました。

「ボクに命令したって無駄だよぉ。ボクはもぉ悪霊じゃないから、闇の命令も無視できるんだもんねぇ」

 と顔の半分におおいかぶさっていた前髪をかき上げてみせます。一時は空洞になっていた右の眼窩(がんか)には目があって、にやにやと笑い続けています。

「そうか。では、貴様も不要だ」

 セイロスの声がひやりと響きました。同時にまた髪の毛の蛇が飛んできます。

 ランジュールは消えて逃げようとしましたが、できませんでした。セイロスが彼をその場所に捕らえていたのです。黒い蛇が迫ってきたので、ひゃぁぁ! と悲鳴を上げます。

 すると、ランジュールの肩から大蜘蛛のアーラが飛び降りました。迫る蛇へ糸を吐いてがんじがらめにしてしまいます。

 けれども、蛇は一匹ではありませんでした。背後にもう一匹の蛇がいて、アーラの丸い腹を貫きます。

「アーラちゃん!?」

 ランジュールはとっさに手を伸ばしましたが、その腕に三匹目の蛇が襲いかかってきました。ランジュールは反射的に手を引っ込めましたが、逃げ切れませんでした。蛇がランジュールの腕にかみつこうとします。

「シ!」

 アーラは鋭く鳴くと、また大量の糸を吐きました。ランジュールの前で糸を網に変えて蛇を防ぎます。

 すると、アーラの姿が薄れ始めました。元から半分透き通った幽霊の体ですが、それがますます薄くなって消えていきます。アーラの腹にはまだセイロスの髪の蛇が突き刺さっていました。蛇がアーラを吸い取っているのです。

「アーラちゃん! アーラちゃん──!!」

 ランジュールは助けようとしましたが、間に合いませんでした。大蜘蛛は、シ……と悲しそうな声を残して消失していきます。

 

 呆然としていたランジュールが、ゆっくりとセイロスを振り向きました。細い目を光らせて言います。

「アーラちゃんを殺したねぇ。ボクのかわいいかわいいアーラちゃんを……」

「貴様たちはただの幽霊だ。元より死んでいる」

 とセイロスは冷ややかに答えました。その髪が無数の蛇に変わって、いっせいにランジュールへ飛んでいきます。

 ランジュールは飛んで逃げようとしましたが、やはりその場から動くことができませんでした。そんな彼へ蛇が襲いかかって食らいつきます──。

「ふぅん、セイロスくんはボクも食うのかぁ」

 蛇に吸い取られて薄くなりながら、ランジュールは言いました。自分が食われているのに、どこか他人事のような口調です。

「ほぉんと、セイロスくんは容赦ないよねぇ。そんなコトして、お腹壊したって知らないから。きっと後悔するよぉ。きっとねぇ……うふ、ふふふふふふ」

 絶望的な状況に破れかぶれになったのか、最後の最後にランジュールはまた笑いました。女のような笑い声が広間に響いて、やがて消えていくと、ランジュールの姿はもうどこにもありませんでした。

 広間には黒水晶の防具を着たセイロスだけが立っていました。竜のような形の兜が闇の色に光っています──。

 セイロスは自分の防具を見回すと、人に話しかけるように言いました。

「ようやく出てきたな」

 すると、髪の一筋が勝手に動いて彼の目の前に来て、蛇から竜の頭部に変わりました。小さな口を開いて言います。

「ソレハコチラノ台詞ダ。ヒトリデ異空間ヘ飛ンデ、何ヲシテイタ?」

「ひとりで考えたいこともある。なにしろ私とおまえは一心同体だからな」

 それを聞いて竜は頭を傾けました。

「我ニ知ラレタクナイコトヲ考エテイタワケカ。何ヲ考エテイタ?」

「急に私から姿を隠したおまえが、何を企んでいるのかと考えていたのだ」

 セイロスとデビルドラゴンは互いに鎌をかけて探り合っていました。見えない主導権争いが起きています。

 先に話題を変えたのはデビルドラゴンのほうでした。

「ぽぽろガ持ッテイタチカラハ戻ッテキタガ、スベテデハナイ。闇王モ吸収シタガ、マダ不足ダ。ぽぽろニ残サレタチカラヲ取リ戻セ、せいろす。ソウスレバ我ラハ完璧ダ」

 セイロスはランジュールとアーラも吸収したのですが、デビルドラゴンはその名前は出しませんでした。彼らは数のうちに入っていないのです。

「私に命令するな。私は私の意思で行動する」

 とセイロスははねつけました。

「ぽぽろヲ殺スノハカマワナイ。オマエノ好キニスレバイイ。ダガ、ぽぽろノチカラヲ取リ戻シテカラダ。忘レルナ」

 とデビルドラゴンは念を押すと、竜から黒髪へ戻って行きました。髪の束が重力に引かれてセイロスの肩と胸へ落ちていきますが、黒水晶の防具は消えませんでした。

 

 すると足音がして、通路から広間にギーが入ってきました。

「入り口でずいぶん待ったが、イベンセはやってこなかったぞ、セイロス! 何かあったんだろうか?」

「イベンセはもういった」

 とセイロスは答えました。いった、は逝ったなのですが、ギーはそんなニュアンスには気がつきませんでした。えぇ!? と声を上げて頭をかきます。

「じゃあ、彼女は裏口から入ってきたのか。てっきり正面からだと思っていたんだが。逢えなくて残念だったなぁ」

 本気で残念がっている青年に、セイロスは何も答えませんでした。黙って右腕を横に突き出すと、その手の中に黒い大剣が現れます。

 おっ、とギーは身を乗り出しました。

「戦支度(いくさじたく)をしてるじゃないか、セイロス! いよいよまた出陣するんだな!? いつだ!?」

「すぐに出る。今度こそ連中を砦ごと壊滅させるぞ」

 歩き出したセイロスを、ギーは追いかけました。

「もちろんだ! イベンセとはその打ち合わせをしたんだな! よし、今度の今度こそ敵を全滅させよう! そして、セイロスの国を取り戻すんだ!」

 絶対の信頼を寄せる青年を従えて、セイロスは広間の出口へ向かいました。ククク、と誰かが低く笑ったようでしたが、張り切るギーには聞こえません。

 すると、それとはまた別に、遠くからかすかな音が伝わってきました。まるで大勢の赤ん坊が泣いているような声です。

 けれども、セイロスとギーはそれも無視して通路へ出て行き、後にはがらんとした広間だけが残されました──。

2022年9月14日
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