自分を激しく拒絶するポポロを、セイロスは玉座に座ったまま眺めました。
お下げ髪に長衣という格好はいつも通りですが、色がなくて幽霊のような姿になったポポロです。それでも必死の表情で言い続けます。
「あた……あたしはポポロだもの! エリーテなんて人、知らないわ! あたしをみんなのところへ帰して! あたしはあなたなんかとは無関係よ……!」
とたんにセイロスはぎらりと目を光らせました。椅子に座ったままでまた命じます。
「来いと言っているのだ、エリーテ!」
ポポロはまた首を振りました。二本のお下げが顔の横で激しく揺れます。
と、そのお下げがひとりでにほどけ始めました。手もかけていないのに三つ編みが端からほぐれて長い髪になっていきます。さらに白かった髪が色を帯びていきました。ポポロ本来の赤い髪ではありません。濃くなっていく髪は輝くような金髪でした。彼女が着ている服も、白い長衣から紺色のドレスに変わります。
いえ、変わっていったのは髪や服だけではありませんでした。彼女自身の体も身長が伸び、顔立ちが変わっていきます──。
気がつけば、そこにはもうポポロはいませんでした。立っていたのは紺色のドレスを着て輝く金髪を結い上げた美しい女性でした。頭には白い石がついた金の輪をはめています。透き通った幽霊のような姿ではなく、生身の女性になっています。
ふん、とセイロスは笑いました。
「ようやく自分を思い出したか、エリーテ。二千年ぶりだな」
エリーテ姫は青ざめ、ドレスの裾を握りしめて答えました。
「私はずっとポポロの中にいました。ポポロを通じてあなたがすることをずっと見ていたのです、セイロス。あなたの凶行や横暴を──」
エリーテ姫の声が震えました。セイロスから目をそらしてうつむいてしまいます。
「私は世界をひとつにしようとしているのだ」
とセイロスは答えました。
「世界は私の下でひとつの国となる。世界の王は私ひとりだ。そうなれば国同士で対立することもなくなる。真の平和が世界に訪れるだろう」
それを聞いてエリーテ姫は引きつった笑いを浮かべました。
「そのために敵だけでなく、あなたの味方や部下も片端から殺して、全滅させて? それで本当に平和が訪れると信じていらっしゃるのですか? あなたが望んでいるのは統一や平和ではなく、破壊と破滅です。だって、あなたの正体は闇の竜なのですから──」
どん!
突然エリーテ姫とセイロスの間の床が爆発しました。黒曜石のかけらが黒いガラスのように飛び散ったので、姫は袖をかざして顔をそむけます。
セイロスは額に深い皺(しわ)を刻んで姫をにらみました。
「私の正体は闇の竜ではない。私は闇の竜の力を利用しているのだ」
「利用しているつもりで、利用されています。闇の竜に──。それがわからないのですか、セイロス?」
と姫も負けずに言い返します。
「あなたは誰とも協力しようとなさいません。闇の竜は真の闇で、他者と協力することができないからです。どんな相手であっても、すぐに切り捨てて殺してしまわれる。それでどうして世界の王になれるでしょう? あなたの王国は虚無の荒野です。その王国には領民もいなければ仕える家来もいません。あなたはあなたひとりしか住まない世界の王になるのです。破滅の世界の孤独な王です──」
ばん!
今度は何もない空中で爆発が起きて、エリーテ姫を吹き飛ばしました。
姫は黒曜石の床にたたきつけられて、顔をしたたかに打ちました。起き上がると口の端から血がしたたります。
姫は顔を手で押さえ、指先についた血を見て悲しい顔になりました。床に座り込んだままセイロスを見上げます。また話しかけた声は、先ほどより静かになっていました。
「私があなたを嫌いになったと思ったのですか、セイロス? あなたを憎むようになったと──。それは違います。私はあなたを止めたくて、あなたから離れたのです」
セイロスは何も言いませんでした。表情も変えません。
それでもエリーテ姫は話し続けました。
「私があなたとの婚約解消を言い出したとき、あなたは私とロズキの仲を疑われた。そして、あなたの片腕として忠実に従ってきたロズキを手にかけて殺してしまわれた。でも、私たちには何もやましいことはありませんでした。私はあの時も、あの後も、あなたを止めたい一心で、あなたから離れたのです。あなたの心が闇の竜になって、すべてを破壊してしまわれないように──」
姫の頬を涙が伝っていきました。涙に濡れた口元から傷と血が消えていきます。
「おまえは私を裏切っていないと言うのか?」
とセイロスが聞き返しました。やはり感情の読めない声と顔です。
エリーテ姫は泣きながらうなずきました。床に広がる紺色のドレスに、もっと濃い涙のしみを作りながら言います。
「あなたはずっと誤解し続けました。私の本心を知らず、私の願いも知らずに──。だから、私は待ち続けたのです。ポポロとして生まれ変わった後も、その体の中で力となってずっと。あなたに私の本当の想いを知ってほしかったから──」
はらはらとこぼれる涙はドレスに無数のしみを作り続けます。
すると、セイロスがまた尋ねました。
「フルートはどうなのだ? ポポロは奴を愛していたはずだぞ」
エリーテ姫はうつむいたまま首を振りました。
「確かにポポロは彼を愛していました。でも、私は今、エリーテです。仮の姿だったポポロは、空っぽな器のまま、彼らの手元に残りました。彼らはそれをポポロだと思って面倒を見続けるでしょう。魂がなくなったうつせみのポポロを……。私が二千年間ずっと想い続けてきたのはあなただけです。あなたを愛しています、セイロス──」
そこまで言って、姫は話すのをやめました。涙がこぼれ続けます。
そんな彼女をセイロスはじっと見つめていました。相手の真意を見定めようとする鋭いまなざしです。やがて命令口調で言います。
「私の元へ来い、エリーテ」
エリーテ姫は涙を拭うと、その場から立ち上がりました。ドレスの裾を直し、頬の涙を拭うと、顔をしゃんと上げて歩き出します。セイロスに操られているのではありません。自分の意思で歩いて行っているのです。
一段高くなった場所に上がって、セイロスの目の前まで行くと、彼女はひざまずきました。玉座に座るセイロスを見上げて、切なく言います。
「まだ私を疑っているのですか? そんなに私を信じられませんか……?」
青い瞳がまた涙でうるんできます。
「おまえは自分の意思でここに来た。私の隣にいたいと本気で願っているのだな?」
とセイロスは確かめるように言うと、ついに玉座から立ち上がりました。自分の前に座り込む姫へまた命じます。
「立て、エリーテ」
姫はすぐ立ち上がりました。身長差のある二人です。片方は見下ろし、片方は見上げる形になります。
「いいだろう」
とセイロスが言ったので、エリーテ姫に笑顔が浮かびました。ずっと青ざめて悲しげだった顔が、輝くような美しさになります。
セイロスは姫へ手を伸ばしました。抱きしめるように両腕を姫の体に回していきます。姫は泣き笑いの顔で目を閉じます──。
ところが、彼女はすぐにまた目を開けました。信じられないように目を見開き、自分の咽元を見ようとします。
彼女の首にはセイロスの両手が回されていました。黒い爪の伸びた指が、ほっそりした首に食い込んでいきます。
「な、何を──」
エリーテ姫は息を詰まらせながら尋ねました。手首をつかんで引きはがそうとしますが、かないません。セイロスの指は容赦なく彼女の首を締め上げていきます。
セイロスはこれまで無表情だった顔にどす黒い笑いを浮かべました。
「私がおまえを許すとでも思っていたのか、エリーテ? 幾度となく私を裏切ってきたおまえを? おまえのせいで私は世界の最果てに幽閉されたのだ。世界の王である私が、二千年もの間、罪人のように鎖に繋がれてきた。これほどの侮辱を私に与えたおまえを、まだ私の横に置くと思っていたのか──笑わせるな!」
セイロスは一気に絞め殺すようなことはしませんでした。力の加減をして相手に長い苦痛を与えています。
エリーテ姫はあえぎ、もがき、切れ切れの声で言いました。
「で……では、何故……私を探したり……」
「決まっている。おまえの力が必要だからだ。元より私が与えた力だ。私に返してもらおう」
エリーテ姫は必死にセイロスの手を引き外そうとしました。息が止まりそうになりながら言い続けます。
「セイ……ロス……もう、私を……愛しては……」
セイロスの顔がいっそう黒い笑いに染まりました。
「愛とはなんだ。裏切り者を内に囲っておくことか? 私は私を侮辱した者を許さん。力を私に渡して消滅するがいい」
首に回した指の先で黒い爪が伸びて皮膚に突き刺さっていきました。首を絞め続けながら、血を吸い取るように、姫から力を吸い取り始めます。
姫はもがき続けました。
「あな……あなたは──貴様という奴は!!」
突然エリーテ姫の口調が変わりました。息も絶え絶えの声からどなりつける声になって、セイロスをにらみつけます。
その瞳がみるみる血の色に変わっていきました。結い上げた髪はほどけて黒くなり、頭の両脇にねじれた角が現れます。さらに背中には大きな黒い翼が現れて広がります。
イベンセは黒い爪を首から引き抜くと、激しく羽ばたいてセイロスから飛び退きました──。