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第28巻「闇の竜の戦い」

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150.老人

 時の翁(おう)というのは、時間と共にずっと生き続けている不思議な老人のことでした。あまりに長生きなので、いったい何歳になるのか誰も知りません。汚れきってぼろぼろの姿は、長い髪やひげが絡まり合い灰色に固まっていて、まるで歳を取りすぎて石になってしまった木の根のように見えます。

 時の翁はまた、願い石の番人とも呼ばれていました。願い石が地上に現れると、石の元に新しい主人がやってくるまで、周囲に洞(ほこら)を作り、時の鏡を並べて願い石を守るのです。

「ぼくはあの人を見たことがあるんだ。フルートたちの過去の記憶をのぞいたときに。フルートたちが願い石を探しにジタン山脈へ行ったときのことだ」

 とレオンが言うと、鳩羽の魔法使いはうなずきました。

「ぼくもその話は隊長たちを通じて聞いていた。勇者殿たちが真実の窓というものをくぐって敵の正体を知ろうとしたときにも、やはりジタン山脈の地下の洞窟で出会ったそうだ」

「時の王? 偉い人なの?」

 と紫の魔法使いが聞き違いをして尋ねました。地上の老人はちっぽけでぼろぼろで、全然偉そうに見えません。

 すると、そのやりとりが聞こえたように、老人がまた空を見上げて言いました。

「王じゃない、翁(おう)じゃ、よ。おきな、とも言う、の。時のじじいという意味、じゃ。そのまんまの呼び名じゃ、な」

 ひゃひゃひゃ、と老人は笑いました。老人の話し声は妙に間延びして、風の音に似ていましたが、笑い声もなんだか吹き抜ける風の音のようでした。捉えどころがないのに、何故か離れていてもはっきり聞こえます。

 

 老人の近くにいたランジュールが、鼻を押さえながらわめきました。

「時の翁だか年の功だか知らないけどねぇ、ボクたちの邪魔はしないでほしいんだなぁ! これからあのうるさい人たちを片付けなくちゃいけないんだからさぁ。さっさと向こうに行っててくれるぅ!?」

 言いながらランジュールは巨大な怪物を繰り出していました。赤いライオンの体に人間の男の頭とサソリの尾が合体した姿をしています。

「マンティコアだ!!」

 とレオンやビーラーは叫びました。人を食う凶暴な怪物です。怪物が老人に襲いかかろうとしたので、彼らは助けに行こうとしました。鳩羽と紫の魔法使いも後に続きます。

 ところが、老人は少しもあわてませんでした。三列の牙をむいて襲ってくる怪物を見て言います。

「この怪物は、フルートたちが倒したはず、じゃな。この世界にもう、いないはずの怪物、じゃ」

「それがどぉしたのさぁ!? クロちゃんは時間を戻して、昔やられちゃった魔獣を呼び戻せるんだからねぇ! しかも何度だって生き返せるんだからぁ! 最強なんだよぉ!」

 とランジュールは言いました。老人が少しも怖がらないので、むきになっています。

 すると、老人はもじゃもじゃの髪の間から幽霊を見つめて言いました。

「それがいかんのじゃ、よ。それはだめ、じゃ。世界の理(ことわり)に、合わんから、の──。時間は戻らん。戻せば歪みが広がっていって、この世界を、壊してしまうん、じゃ。時間を進めるのも、同じこと、じゃ。世界中が崩れて、消えてしまうから、の」

 老人が話している間、怪物のマンティコアはまったく動かなくなっていました。牙をむいたまま立ちつくしています。やがて、その姿が溶けるように消えていったので、ランジュールはまたわめきました。

「ボクのマンちゃんに何をするのさぁ! 時間を戻したり進めたりしちゃダメだってぇ!? そぉんなコト、ボクには関係ないねぇ! 世界が破滅したって、ボクは幽霊だから、ぜぇんぜん影響ないんだから!」

 空中にあった砂時計が、いつの間にかランジュールの後ろに移動してきていました。ランジュールが老人を指さします。

「クロちゃん、あのおじいちゃんの時間を進めて! 今もよぼよぼだけど、もっとよぼよぼにしてご臨終にするんだよぉ!」

 砂時計の砂の速度が急激に速まります。

 ひゃひゃ、と老人はまた風のように笑いました。

「愚かじゃ、の。わしを殺せるなら、それこそ感謝するんじゃが、それは無理というものじゃから、のぉ──」

 風のような声が、ふと淋しげに揺らぎます。

 

 その頃にはレオンや鳩羽の魔法使いたちも、老人の近くに舞い降りていました。紫の魔法使いは老人が放つ悪臭に顔をしかめて鼻を押さえています。

 レオンにも老人の匂いは強烈でしたが、そんなことにはかまわず話しかけました。

「時の翁、ランジュールが使っている怪物は何なんですか!? 時間を左右できる怪物なんて、これまで聞いたことがありません!」

「それに、どうしてあなたはあれの魔法が平気なんだ?」

 とビーラーも尋ねました。レオンにさえ防げない魔法を、老人が簡単に打ち消してしまうのが不思議だったのです。

 ひゃひゃひゃ、と老人はまた笑いました。

「あれは、の、クロノスという怪物、じゃ。時間の神、なんて呼ばれたりも、するが、の。実際には、わしのそっくりさん、じゃ」

 は? とレオンたちは思わず聞き返しました。老人はとても年老いて奇妙な姿をしていますが人間だし、時間の怪物のほうは大きな砂時計です。紫の魔法使いは、どこが似ているのだろう、と双方を見比べています。

 砂時計はランジュールの命令で上に下に向きを変えていましたが、時間の魔法はもう彼らには届かなくなっていました。老人のそばにいる限り、影響を受けないらしいのです。

 めまぐるしく動く砂時計や、かっかと腹を立てるランジュールを無視して、老人は話し続けました。

「おまえさんたちが言うように、わしは時の翁、じゃ。ただ死なずに長生きしとるだけ、なんじゃが、わしのことを聞いた人間は、そうは、思わん。時間と一緒に長生きしているなら、きっと、時間の魔法が使えるに違いない──そんなふうに、思うようになるん、じゃ。するとじゃ、な、この世界は本当に、そんな時間の魔法使いを生んでしまうん、じゃ。なにしろこの世界は、想いに応える魔力に、充ちてるから、の」

 わかります、とレオンは答えました。レオンたち魔法使いが使っている魔法も、世界に充ちている魔力を意思の力で引き出しているからです。

「クロノスが生まれてくると、な、それは理(ことわり)に合わんから、怪物になる。人間たちは、わしのことなぞ見たこともないから、わしとは全然違う、怪物を想像する。だから、クロノスはわしとは似ても似つかんのじゃ、よ」

 そんなやりとりをランジュールが聞きつけました。

「え、なぁにぃ? おじいちゃんは、クロちゃんの本家本元ぉ? だから時間の魔法でクロちゃんの魔法を相殺してるわけぇ!?」

「これこれ、わしは時間の魔法なんぞ、使えんと、言うとる、ぞ。ただ、わしから生まれた怪物を、放っておくわけにも、いかんから、の。クロノスが現れたら、こうして出かけてくるん、じゃ。クロノスを消すために、の」

 老人のことばに、ランジュールは飛び上がりました。

「やっぱりクロちゃんをやっつけようとしてるじゃないかぁ! クロちゃん、この一帯の時間を目一杯逆行! 世界が生まれる前まで戻して、あの人たちを消しちゃってぇ!」

 けれども、砂時計は反応しませんでした。先ほどのマンティコアのように、まったく動かなくなってしまったのです。

 老人の長いひげの間から、木の枝のように痩せた腕が伸びてきました。腕をおおう服もみごとにぼろぼろです。

 しわだらけの手を砂時計に突きつけて、老人は声を張り上げました。

「消えよ、理(ことわり)に合わぬもの! 幻影から生まれたものはすべて幻影に帰るのだ!」

 それまでの妙に間延びした話し方とは違う、流暢(りゅうちょう)なことばに、一同は目を丸くしました。周囲にものすごい力が集まってきたので、レオンはさらに驚きます。天空の国で最も強力な魔法使いの天空王より、はるかに強い力です。

 力は濃縮されて、ぼうっと白い光を放ち始めました。あたり一帯が白く輝いて、何も見えなくなります──。

 

 けれども、光はすぐに消えていきました。レオンたちがまた現れます。

「あら、あいつはどこ!?」

 と紫の魔法使いが声を上げました。

「砂時計もないぞ」

「あの老人もいない」

 と彼らは驚きました。荒れ地に立っているのはレオンと犬になったビーラーと鳩羽と紫の魔法使いだけでした。大蜘蛛を肩に乗せたランジュールも、砂時計のクロノスも、時の翁も、全員いなくなっていたのです。

 周囲を見回していた少女が、またびっくりしたように言いました。

「あたしの幽霊よけの障壁が回復してるわ! だからランジュールがいなくなったのよ!」

 すると、レオンが耳を澄ましてから言いました。

「マロ先生から連絡だ。突然白い光が湧いたと思ったら、砦の中から怪物が一瞬で消えたらしい」

 一方、鳩羽の魔法使いも仲間から連絡を受けているようでした。慌ただしい声でやりとりしてから、一同に言います。

「病院からだ。戦闘で怪我をした患者が、ひとり残らず回復したらしい。治療が間に合わなくて死んだ者まで生き返ってきたと言っている。病院は大騒ぎだよ」

「全部元に戻ったっていうことか?」

 とビーラーが言いました。信じられないような顔をしています。

 レオンは答えました。

「時の翁がクロノスを消して、歪められた時間の理(ことわり)を元に戻したんだよ。時の翁はやっぱり魔法使いなんだ。それも、ぼくたち天空の民なんかより、はるかに強くて偉大な」

 レオンは畏敬の念を抱きながら口を閉じました。まだそのあたりに時の翁がいるような気がしましたが、老人の居場所はわかりませんでした。

「とりあえず、ハルマスは守られたということだな」

 と鳩羽の魔法使いは言うと、怪物が消えた砦を眺めました──。

2022年8月25日
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