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第28巻「闇の竜の戦い」

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第52章 老人

149.時間

 「紫! 紫!」

 鳩羽の魔法使いは腕の中の赤ん坊に呼びかけました。

 赤ん坊は返事をしません。ただ声を張り上げて泣くだけです。

 ランジュールは大喜びでした。

「やっほぉ、やったぁ! 大嫌いなあのお嬢ちゃんを赤ちゃんにしてやったよぉ! うふふ、これでもぉボクたちをあの世に送るコトはできないよねぇ。ホントはもぉっと時間を巻き戻して、生まれる前まで戻すコトもできたんだけどさぁ、さすがにかわいそぉだと思ってやらなかったんだよぉ。うふふふ、ボクってほぉんと優しいなぁ!」

 鳩羽の魔法使いは歯ぎしりしました。腕の中で赤ん坊は泣き続けるだけです。魔法軍団の一員であろうと精一杯背伸びして大人ぶり、ませたことを言っていた少女が、今はもう泣くことしかできません。

「紫を頼む」

 彼は赤ん坊を傍らのレオンに渡しました。えっ、とレオンが驚いている間に突進していきます。

「紫を元に戻せ、ランジュール!」

 ランジュールはにやりとしました。

「クロちゃぁん、あのお兄さんの時間を先にぃ」

 するとランジュールの背後で巨大な砂時計が落ちる速度を変えました。黒い砂があれよあれよという間に上から下へ落ちていきます。

 とたんに鳩羽の魔法使いが虹色の光に包まれました。青年から壮年へ、壮年から白髪交じりの老人へ、みるみる年老いていきます。砂時計は時間を巻き戻すだけでなく、先へ進めることもできたのです。

「まずいぞ、レオン! このままだと彼は歳を取りすぎて死んでしまう!」

 とビーラーに言われてレオンはどなりました。

「あれを停めろ!」

 命令に応じて姿を現したのは白銀の戦人形でした。空中に浮いたまま砂時計をつかまえて、力ずくで上下を返そうとします。

「甘いあまぁい」

 ランジュールは楽しそうに指を振りました。

 すると、戦人形の腕が砂時計からすっぽ抜けました。ランジュールが魔法を使ったわけではありません。戦人形が砂時計をつかもうとしたとたん、砂時計が自分からくるりとひっくり返って、人形の腕が消え始めたのです。つるりと白い腕がほどけるように消滅していきます。

「まずい、戦人形が分解されている!」

「人形も時間を戻されてるのか!?」

 レオンやビーラーは焦りましたが、どうすることもできませんでした。戦人形の腕がすっかり消えると、今度は体が消え始めます。

 けれども頭がまだ残っていたので、レオンはまた命じました。

「砂時計を攻撃しろ!」

 人形はすぐに頭から銀の光線を発射しました。強力な破壊攻撃でしたが、やっぱり砂時計に命中する前に消滅してしまいました。時間を巻き戻されて、攻撃をなかったことにされたのです。

 ランジュールは口を尖らせました。

「もぉ。ほんとに危ないお人形さんだなぁ。クロちゃん、もっと早く消しちゃってぇ。んで、それが終わったら眼鏡くんたちのコトも戻してねぇ。いろいろうるさいからさぁ」

「そんなことはさせん……!」

 長い白髪と白いひげの老人になった鳩羽の魔法使いが、腰を曲げて杖を振りました。砂時計が戦人形の時間を戻し始めたので、彼の時間はとりあえず進むのをやめたのです。杖から飛び出した魔法がランジュールに命中して、ランジュールは空中を何十メートルも吹き飛ばされます。

「いったぁぁぁ──!!! 幽霊だからほんとは痛くないけど、なんとなく痛いよぉな気がするから、いたぁぁい!!」

 とわけのわからないことを言いながら、ランジュールが飛び戻ってきました。ぷりぷり怒って砂時計へ言います。

「お人形さんはほとんど消えちゃったから、もぉいいよ! やっぱりあのお兄さん──じゃない、おじいちゃんの時間を進めちゃってぇ! 老衰でご臨終させるんだよぉ!」

「そんなことはさせるか!」

 と今度はレオンが魔法を撃ち出しました。ランジュールに命中して、また彼を大きく吹き飛ばします。砂時計に魔法は効きませんが、幽霊のランジュールになら魔法が有効だとわかったので、攻撃をそちらに切り替えたのです。

 ランジュールはますます腹を立てると、背中に翼を生やして飛んで戻ってきました。空の中をめちゃくちゃに飛び回ってわめきます。

「あぁもぉ、あぁもぉ! 暴力はんたぁい!! 幽霊だって強すぎる魔法だと怪我するんだからねぇ。わかってるぅ!? えぇっと、クロちゃん、難度の高い技(わざ)いくよぉ! あのおじいちゃんの時間を進めてご臨終にさせて、こっちの眼鏡くんたちの時間は戻して生まれる前にしてぇ! ボクが鍛えたクロちゃんだもの。こぉんな高度な技もできるんだってトコ、見せてあげよぉ──!」

 すると、砂時計がまたくるりと上下を変えました。中の砂の半分は上から下へ落ちていきますが、残り半分は重力を無視して下から上へさかのぼり始めます。

 とたんにまた虹色の光が湧き起こりました。老人になった鳩羽の魔法使いも、レオンもビーラーも赤ん坊になった紫の魔法使いも、虹色の中に包まれてしまいます──。

 

 ところが、時間を進めたり戻したりする虹の光は、すぐに薄れて消えていきました。

 一同が驚いていると、レオンの腕の中で赤ん坊が急に重くなり始めました。体もぐんぐん大きくなって、あっという間に黄色巻き毛に紫の長衣の少女に戻っていきます。

「うわ、わわわ……!」

 少女を取り落としそうになって、レオンはあわてました。レオンは風の犬になったビーラーに乗れますが、少女はそうではなかったのです。突然のことに驚いて、とっさに魔法を使うことも忘れてしまいます。

 すると、傍らに人が飛んできて、少女を抱いて受け止めました。鳩羽の魔法使いです。彼も腰の曲がった白髪の老人から、また元の青年の姿に戻っていました。

 少女は青年に抱きついて泣き出しました。

「鳩羽、よかったぁ! おじいちゃんから元に戻れたのね! よかった、よかったぁ──!」

「それはぼくの台詞だよ。紫こそ、元に戻ってよかった」

 と青年も安堵して少女を抱きしめます。

「どういうことだ? どうして時間が元に戻ったんだ?」

 とビーラーに聞かれて、レオンは首を振りました。彼にも何が起きたのかさっぱりわからなかったのです。魔法のしわざではありません。ただ、何か彼にはわからない力が動いたような気がしました。力は地上のほうから伝わってきたように思います。

 ランジュールは驚いて砂時計と話をしていました。砂時計の声はレオンたちには聞こえませんが、ランジュールにはちゃんと理解できるようでした。

「えぇ? クロちゃんの力が邪魔されたってぇ? ドコの誰にさぁ? え、あっちのほうから邪魔が来たってぇ──?」

 とランジュールが振り向いたのも、やはり地上でした。レオンが力を感じたのと同じあたりを見回します。

 そこはハルマスの砦の外に広がる野原でした。闇王に率いられた軍勢が攻めてきて、砦を守る光の軍勢と激突した場所なので、いたるところに戦の痕があって荒れています。ただ、今はもうそこに敵味方の姿はありませんでした。闇王の軍勢は姿を消してしまったし、今日現れた怪物はハルマスの中に侵入していて、このあたりにはいなかったからです。味方もハルマスの中や周囲で戦っています。

 荒れ地には魔法が爆発した痕の穴がいくつも空いていました。土が掘り返されて山になっている場所や、大きな岩がむき出しで転がっている場所もあります──。

 

 と、そんな荒れ地の中で、岩が急にもぞもぞと動き出しました。

 いえ、それは岩ではありませんでした。人です。伸び放題に伸びた灰色の髪とひげが絡み合って、まるで石でできた木の根のように見えます。

 その人物は空にいる一同を見上げました。伸びた髪とひげがおおいかぶさっていて、顔はまったく見えませんが、それでも自分たちを見上げたのだと、レオンたちにはわかりました。

「あれは……?」

 一同は異様な人物を見下ろしました。レオンはこの人をどこかで見かけたような気がして、急いで記憶のページをめくり始めます。

 一方ランジュールはすぐに灰色の人物へ舞い降りていきました。

「ちょぉっと、キミだぁれぇ!? 眼鏡くんたちのお友だちぃ!? ボクのクロちゃんのお仕事を邪魔しないでほしいんだけどなぁ!」

 と顔を突き出して迫りますが、とたんに両手で鼻を押さえて飛び上がりました。

「うわ! くっさぁぁ!!! キミ、猛烈に匂うよぉ! ものすごく臭いぃ!!!」

 幽霊にも耐えきれないくらいの匂いだったのでしょう。ランジュールの肩の上で、大蜘蛛のアーラも前脚を顔に押しつけています。

 それを聞いて、レオンははっとしました。ある人物を思い出したのです。

 すると、驚いたように見下ろしていた鳩羽の魔法使いも、思い当たった顔になりました。

「もしかしてあれは──」

 二人とも決して大きな声ではなかったのですが、灰色の人物は彼らを見上げました。

「ほい、わしを知ってるからには、わしの知り合いさんか、の?」

 こちらも全然大きな声ではないのに、レオンたちにはっきり聞こえました。まるで吹き抜けていく風のような、捉えどころのない老人の声です。

「時の翁(おう)だ……」

 レオンは伝説の人物の名を言って、呆気にとられてしまいました。

2022年8月24日
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