巨大な緑の毛虫の出現に、砦の中は大騒ぎになりました。
全長が何十メートルもある大蛇のような虫が、地上で戦っていたものを下敷きにしてしまったのです。妖怪たちは寸前で脱出しましたが、人間の兵士たちは逃げ遅れて押し潰されました。敵の怪物もかなりの数が下敷きになりましたが、怪物は丈夫なので毛虫の下から自力で這い出してきます。
すると、その怪物たちが急に苦しみ出しました。地面を転げ回ってのたうち、やがて蒸発するように溶けていってしまいます。
砦の中はさらに大混乱になりました。
「そいつは毒を持ってるぞ!」
「刺されたら消滅させられる! 近寄るな!」
空に逃れた妖怪たちが地上の味方へ呼びかけます──。
レオンやビーラーも騒ぎに気づいて振り向きました。
「レオン、あれは──!」
「ああ、大毛虫のモジャーレンだ!」
ビーラーはたちまち風の毛を逆立てました。
「ど、どうしてあれがここに!? あれはパルバンにいた怪物じゃないか!」
彼らは囚われた宝の戦いのときに、異空間にある闇大陸の大荒野で、あの毛虫と戦ったことがあるのです。それがこちら側の世界に現れたので、わけがわからなくなってしまいます。
砦の中はいっそう混乱がひどくなっていました。天空軍や妖怪軍団、飛竜に乗ったユラサイの術師たちがモジャーレンを攻撃しますが、魔法はすべて受け流されてしまうのです。人間の兵士たちも矢や槍で攻撃を始めていましたが、武器も表面の毛で跳ね返されてしまいます。
「あれは普通の魔法や攻撃じゃ倒せない怪物だ! 手助けに行かないと!」
とビーラーが駆けつけようとすると、レオンが引き留めました。
「待て。あれが現れたってことは、ひょっとすると──」
そこまで言って、レオンは少し考え込み、すぐにまた言いました。
「砦に引き返してくれ。病院に行くんだ」
「病院?」
意外な行き先にビーラーは目を丸くしました──。
ハルマスの砦の中心部では、東西南北に走る通りに面して、石やレンガで作られた堅固な建物が軒を連ねていました。それらはすべて病院や医療に関する施設でした。ハルマスは元々医療都市にするために開発されていた場所なのです。
戦闘はこの付近でも起きていて、魔法軍団の魔法使いたちが怪物から病院を守っていました。大毛虫はその区画からも見えていましたが、彼らは隊長たちから病院を死守するよう命令されていたのです。戦いで負傷した味方が次々病院に運び込まれてくるので、治療の手伝いに回る魔法使いもいます。
魔法医の鳩羽の魔法使いも、病院の治療室で負傷者の手当に大忙しでした。怪物にかまれたり切り裂かれたりした怪我人が多いのですが、中にはかなり深刻な状態の患者もいて、紫の魔法使いの出番になっていました。彼女が小さな手を押し当てて呼びかけると、黄泉の門へ旅立ちかけていた魂がすぐに引き返してきます。命の火がかろうじて燃え続けているうちに、魔法医たちが怪我を癒やして患者を救うのです。
十何人目かの患者を死の旅から呼び戻したところで、紫の魔法使いは、ふぅっと溜息をつきました。汗で額に貼り付いた前髪を手でかきあげます。
すると、鳩羽の魔法使いが汗を拭く布を渡して言いました。
「紫は今日はずいぶん働いた。疲れただろう。奥の部屋でしばらく休むといいよ」
少女は確かに少し疲れた顔をしていましたが、そう言われて、かっと顔を赤くしました。
「あたしがいない間に死にそうな人が運ばれてきたらどうするのよ!? 大丈夫、まだまだ働けるわよ!」
いつもあたしを子ども扱いするんだから! と少女が文句を言い続けたので、鳩羽の魔法使いは苦笑しました。紫の魔法使いは本当にまだ八つの子どもなのです。
「そうは言うけれどね」
と少女を説得しようとしたところへ、いきなり風の犬が現れました。外から転移してきたのです。背中には眼鏡をかけた銀髪の少年を乗せています。
「誰!?」
「君は確か勇者殿の友人の──!」
今まであまり接触がなかった人物の登場に二人が驚いていると、レオンが言いました。
「紫色の君! 君は幽霊の専門家だったな!? 一緒に来てくれ!」
「あたし?」
と少女がまた驚きます。
「なんのために? 紫に何の用事だ?」
と鳩羽は二人の間に割って入りました。彼は少女の護衛なのです。
レオンはじれったそうに言いました。
「ランジュールは知っているな? 奴がハルマスの砦に現れている!」
紫色の長衣とリボンの少女は目を見張りました。
「そんなまさか──! あたしはハルマスのまわりに幽霊専用の障壁を張ったのよ!」
「砦の中にモジャーレンという大毛虫が現れている。あれは闇大陸のパルバンにいる怪物で、以前ランジュールが使っていたんだ。それに、砦を襲っているのもみんな怪物で、闇の兵士はひとりもいない。ハルマスを襲っているのは魔獣使いの幽霊のランジュールなんだ。奴を見つけてほしい!」
レオンに一気に言われて、少女は小さな拳を震わせました。
「もちろんよ! ハルマスに張った障壁は、あいつ専用に特に強力にしてあったのよ! それを破っただなんて、どうやって──。見つけ出して問い詰めてやるんだから!」
少女はすぐに目を閉じると、そのまましばらく黙り込みました。その様子を見て、鳩羽の魔法使いは別の魔法医を呼びました。
「すまないけど、この後を頼む。たぶん、ぼくたちは行かなくちゃいけないだろう」
すると、少女は目を開けました。治療室は四方を壁で囲まれていましたが、その一方を指さして言います。
「こっち! この方向からあいつの気配がするわ!」
「よし」
と答えたのは鳩羽の魔法使いでした。当然のように少女を肩に担ぎ上げると、レオンとビーラーに言います。
「ぼくたちが案内する。ついてきてくれ」
「頼む」
そんなやりとりを残して、彼らは病院から消えていきました。
引き継ぎを頼まれた魔法医が、驚いたように見送っていましたが、そこへまた怪我人が運び込まれてきたので、すぐに治療に大忙しになりました──。