「オリバン、おどろがロムド城を呑み込みそうだ、とポポロが言ってきた」
とフルートが剣を構えながら言うと、背中合わせで剣を構えていたオリバンが応えました。
「こいつは外からでは倒せん。早く決着をつけねば」
そこはおどろの体内でした。周囲は真っ黒い闇の泥ですが、彼らのまわりには金色の空間がありました。フルートの胸で輝く金の石が聖なる光を広げて、おどろが近寄れないようにしているのです。ただ、それは直径が二メートルほどのささやかな空間でした。背中合わせになった二人の剣先にはもう泥の壁があります。
その壁が盛り上がって人の姿になりました。でっぷり太った体にきらびやかな服を着込んだ老人──サータマン王です。オリバンが聖なる剣で切り払うと、一瞬で泥に戻って消えていきます。
「サータマン王が太っている」
とフルートが言うと、オリバンがまた応えました。
「サータマン王は大食漢でとても太っている、ともっぱらの噂だった。それがあんな貧相な姿になっていたから、逆に驚いたのだ。闇に取り憑かれたからだろうな」
「すでに内側から闇に食われていたのか──」
と言って、フルートは新たに泥から現れたサータマン王を切り裂きました。フルートが握っているのは光炎の剣ですが、もうためらいはありませんでした。サータマン王が一瞬で蒸発していきます。
けれども、消しても消しても、すぐにまたサータマン王が現れてきました。フルートたちが倒している間にも出現するので、やがて周囲は何人ものサータマン王でいっぱいになってしまいます。
「貴様らを食ウぞ、ロムド王の青二才ドモ!」
「ワシは決して貴様ラを逃ガさん!」
「そのうちに貴様らハ疲れ果てル。そうしたラ、貴様らはワシの餌食ダ!」
「骨モ皮も残サず食ってヤル!」
シシシシ、とサータマン王がいっせいに歯をむいて笑いました。耳障りな笑い声が響きます。
フルートはオリバンに言いました。
「おどろは内側に獲物を抱えている間は動けないけれど、ぼくたちが食われたら、とたんに動き出す。そうしたら本当にロムド城はおどろに呑み込まれるし、陛下たちも襲われる」
「馬鹿者、そんなことはわかっている! 食われてなどやるものか!」
とオリバンは言い返しましたが、実際には少々不利な状況でした。いくら切っても消してもサータマン王は復活してくるし、闇の泥もいっこうに消えていかないのです。このままではそのうちに本当に疲れ果てて力尽きそうでした。
フルートは少しためらってから、彼らを守っている光へ呼びかけました。
「金の石──」
精霊の少年はすぐに現れました。腰に手を当ててフルートを見上げます。
「こうしている間にも、奴はぼくの力を食い続けている。このままでは、君たちが力尽きる前にぼくの守りがなくなるぞ。そうなれば君たちは終わりだ」
ためらっている場合ではないだろう、と言わんばかりの口調でした。
フルートは小さく溜息をつきました。
「わかってるよ。やろう」
フルートはこの状況でもまだセイロスに金の石を押し当てるチャンスを狙い続けていたのです。そのためには金の石の力を温存しなくてはいけないので、金の石でおどろを撃退することをためらっていたのでした。
彼らの周囲は数え切れないほどのサータマン王でいっぱいになっていました。口々に何かを言っていますが、騒音になってしまって内容まではわかりません。でっぷり太った王の胸は豪華な服でおおわれていました。その下にセイロスに続くトンネルがあるのかどうか、見て取ることはできません。
フルートは大きく息を吸うと、また呼びました。
「願い石!」
精霊の女性もたちまち姿を現しました。普段めったに感情を出さない顔に嫌悪の表情を浮かべて言います。
「何故いつまでもこんな場所にいる。この程度の規模のおどろなら苦労はしないはずだ。さっさと片付けないか」
こちらもフルートを責める口調でした。フルートが返事をする前に肩をつかんで言います。
「早くおどろを消しされ、守護の」
「ぼくに命じるな。それができるのはフルートだけだ」
と金の石の精霊が怒って言い返します。
さあ! と二人の精霊に迫られて、フルートはまた溜息をつきました。これで今はセイロスと対峙することができなくなります。仕切り直さなくてはいけないのですが、いたしかたありません。
フルートは言いました。
「光れ、金の石! おどろを焼き尽くして、闇に囚われたサータマン王の魂を解放するんだ!」
この期に及んでサータマン王の魂の救済を願うフルートに、オリバンが呆れた顔になります。
フルートの胸で金の石が輝き出しました。強く強く強く──目のくらむような光が広がっていって、おどろを蒸発させていきます。
同時に悲鳴があがりました。サータマン王の声です。サータマン王の姿は次々と弾け、ねじれて消えていく泥の中からは無数の声が湧き上がりました。金の光はさらに強く光って、悲鳴も消し去っていきます──。
やがて、周囲からおどろが完全に消え、あたりが明るくなりました。
執務室は壁が抜けて隣の部屋とつながっていて、その奥に勇者の仲間たちとセシルとユギル、それに数名の親衛隊員と枯葉色の魔法使いが集まっていました。全員が強すぎる光から顔をそむけて目を守っていましたが、光が収まったので振り向き、戻ってきた二人を見て歓声を上げました。
「フルート!!」
「オリバン!」
全員が駆け寄ってきますが、フルートが急にかがみ込んだので驚きました。
「どうした!?」
「ワン、大丈夫ですか!?」
願い石の力はまたフルートの体の内側を焼いていきました。体がばらばらになりそうな激しい痛みに襲われて、立っていられなくなったのです。
「大丈夫──大丈夫だよ」
と脂汗を流しながら仲間たちに応えます。
ポポロは青ざめ、泣きそうになりながら言いました。
「フルートはしばらく金の石が使えないわ。願い石の応援はもっとだめよ……」
「大丈夫よ。今のでサータマン王やおどろは完全に消えちゃったんだもの。セイロスももう感じられないわ。今回はこれで良かったのよ」
とルルが安心させるように言います。
「オリバンは? 怪我はなかったか?」
とセシルが尋ねました。口調は男のようでも、婚約者を心配する気持ちが声ににじんでいます。
「何事もない。フルートの金の石が守ってくれていたからな」
とオリバンは言って聖なる剣を鞘に収めます。
そのとき──
ユギルがまた声を上げました。
「お伏せください、殿下!」
オリバンは即座にその場に伏せました。状況を確かめたわけではありません。ユギルの声に反射的に動いたのです。腕にはセシルも抱えています。
倒れた二人の上を黒いものが飛び過ぎていきました。べしゃりと先の壁にぶつかってへばりつき、ふるふると震えながらふくれていきます。
「おどろ!」
と一同はまた驚きました。金の石は願い石の力を借りても、おどろを完全には消せなかったのです。わずかに残った闇の泥がふくれあがって、たちまち人くらいの大きさになっていきました。中からまたサータマン王の声が聞こえてきます。
「貴様はあの男の息子だな──。まず貴様から殺してやろう! 跡継ぎを失ったあいつが泣きわめく様を鑑賞してやる──!」
おどろが人の形になり、サータマン王の姿になりました。痩せこけた老人ではなく、おどろの中で見たようなでっぷり太った姿です。手にした三日月形の刀をオリバンへ振り下ろしてきます。
オリバンはセシルを抱いたまま床を転がって避けました。サータマン王が後を追って切りつけてくるので、さらに転がってかわします。
「しつこい奴!」
ルルが変身して風の刃で切りつけようとしましたが、サータマン王に触れないうちに跳ね返されてしまいました。闇の障壁が張られていたのです。
メールも花虎をけしかけますが、やはり障壁に返されてしまいました。
「管狐!」
セシルに呼ばれて五匹の小狐が飛び出し、合体して大狐になりました。しつこく切りつけてくるサータマン王に襲いかかろうとします。
とたんにまたユギルが叫びました。
「いけません!」
管狐が声に反応して停まりました。その目の前でサータマン王の肩が黒く変わって伸び、泥の触手で大狐を捕らえようとします。
「戻れ!」
とセシルがまた命じたので、大狐は小狐に戻ってセシルの腰の筒に飛び込みました。狐を捕らえそこねた闇の泥が戻ってサータマン王の肩になります。
親衛隊員と枯葉色の魔法使いはオリバンたちを助けようとしましたが、闇の障壁を越えられませんでした。一同の目の前でオリバンたちが壁際に追つめられていきます。
唸りを上げて振り下ろされてきた刀を、オリバンとセシルは左右に分かれてかわしました。刀がオリバンを追ってまた振り上げられます。
「ゼン──!」
メールは思わず助けを求め、ゼンは光の矢を放ちました。矢は闇の障壁に穴を開けて飛び、刀に命中しました。幅広の刃に穴を空けますが、刀全体を消すことはできませんでした。穴もあっという間にふさがってしまいます。
「こんちくしょう!」
刀がついにオリバンに振り下ろされたので、ゼンがわめきます──。
バシン!
たたきつけるような音と共に障壁がはじけ飛びました。
衝撃でサータマン王自身もよろめき、その拍子に刀の狙いが狂いました。壁に突き刺さって、壁板をタペストリーごと消し去ります。
障壁を消滅させたのはフルートでした。ついさっきまで体がばらばらになりそうな痛みに苦しんでいたのに、今は光炎の剣を構えて走っています。
「させないぞ、サータマン王! オリバンは次のロムド王だ──!」
サータマン王の背中からまた黒い泥の触手が飛びましたが、フルートは切り払いました。ジュン、と蒸発の音を立てて触手が消えます。
「無礼な小僧どもが!」
サータマン王が刀をフルートに向けました。人の姿のサータマン王がフルートを向きますが、フルートはもうためらいませんでした。飛び上がり、サータマン王の頭上から切りつけます。
その迫力にサータマン王は思わず後ずさりました。フルートの剣がきらびやかな兜を真っ二つにしますが、サータマン王自身は剣をかわしていました。割れた兜が火を噴いて燃えだしたので、怯える表情になって身をひるがえします。
「逃げるな!」
フルートは後を追ってまた切りつけようとしました。かすれば相手を焼き尽くす光炎の剣を、サータマン王へ振り下ろそうとします。
すると、サータマン王の背中から剣の切っ先が飛び出しました。王の前方にいたオリバンが、剣で王の胸を突き刺したのです。オリバンが使っているのは聖なる剣でした。リーン、と涼やかな音が響いてサータマン王がのけぞります。
「やはり効いたな、サータマン王!」
とオリバンは言って剣を引き抜きました。返す刃でサータマン王の首をはねます。
サータマン王の頭部は空中を飛びながら闇の泥になり、崩れて消えていきました。体のほうも、どうと床に倒れると溶けるようにしぼんでいきます。後に残ったのは、きらびやかな衣装と防具だけでした。倒れた人の形で床に落ちています。
サータマン王は今度こそ完全に消滅したのでした──。