フルートが目の前で毛むくじゃらの黒蜘蛛になったので、執務室の人々は驚きました。
「勇者殿が怪物に取り憑かれた!」
とリーンズ宰相が叫び、メノア王妃は悲鳴を上げます。
すると、枯葉色の魔法使いが言いました。
「違います、敵が勇者殿に化けていたのです! おそらくこれがサータマン王です!」
「サータマン王!?」
とロムド王は怪物を見ました。脚は四本しかありませんが、全身長い黒い毛におおわれ、いかにも蜘蛛のような格好で床に這いつくばっています。そこに異国の王の姿を探しても、見つけることはできません。
ところが、黒蜘蛛は人のことばで話し出しました。
「そうだ。わしだ、ロムド王。お互い王座についてずいぶんになるが、やっと出会えたな。貴様の首をもらい受けに来たぞ」
先ほどまではフルートの声で話していましたが、今は老いた男の声になっています。
親衛隊員はすぐさまロムド王の周囲の守りを固めました。枯葉色の魔法使いも杖を突きつけますが、蜘蛛は動じませんでした。
「貴様らにわしが止められると思うのか。異教の愚か者どもめ!」
とたんに蜘蛛の体の下から黒い光がいくつも飛び出し、人々に命中していきました。屈強の兵士たちがあっけなく倒れ、魔法使いも障壁で防ごうとして、防ぎきれずに吹き飛ばされてしまいます。
リーンズ宰相がそこに巻き込まれました。魔法使いと一緒に床にたたきつけられて動けなくなります。
「リーンズ!」
思わず声を上げたロムド王に蜘蛛が迫ってきたので、メノア王妃がまた悲鳴を上げました。ロムド王は王妃と奥へ下がりながら言いました。
「何故そんな姿になった、サータマン王。闇に取り憑かれて人の姿を失ってしまったのか」
すると、蜘蛛は立ち止まって言いました。
「いいや。これはわしが手に入れた新しい力だ。この力があれば、貴様の軍隊も魔法使いも恐るるにたらず。世界はわしのものだ!」
愚かな、とロムド王はつぶやき、よく響く声でまた言いました。
「サータマン王よ、わしはロムドという一国の王に過ぎない。わしを殺したところで、世界を征服することなどできるはずはないのだぞ」
「抜かせ、ロムド王! 貴様が諸国の要(かなめ)なのはわかっている! 貴様を倒せば貴様らの同盟はなし崩しだ! 貴様の首を衆目にさらした後、他の王を全員殺し、貴様の子飼いの勇者も倒して、大陸中に我がサータマンの城を築いてやる!」
サータマン王は今でも金の石の勇者たちをロムド王の家来だと思い込んでいます。
大蜘蛛がじりっとまた近づいてきたので、ロムド王とメノア王妃はさらに後ずさり、ついに奥の壁に突き当たってしまいました。もうそれ以上下がることができません。
「逃げ場はなくなったな、ロムド王。安心しろ。貴様を殺したら、貴様の妃はわしがちゃんとかわいがってやる」
下卑た笑い声が響きます。
そのとき、背後から蜘蛛へ魔法が飛んできました。吹き飛ばされた枯葉色の魔法使いが、怪我を押して攻撃してきたのです。
蜘蛛はあっという間に天井へ駆け上がって魔法をかわすと、黒い光を放ちました。枯葉色の魔法使いが胸を撃ち抜かれてまた倒れます。
部屋の中で立っているのはロムド王と王妃の二人だけでした。他の者は息も絶えだえになって床に横たわっています。魔法使いはもう息もしていません。
大蜘蛛は天井から床に落ちてきました。
「そうだな。最後くらいは貴様にサータマン王の姿をきちんと見せてやろう。黄泉の国への手土産にな」
と言いながら二本脚で立ち上がります。
その全身から黒い毛が消えていって、人間の姿が現れました。豪華な服を着て、頭や手足にはきらびやかな防具を着けていますが、痩せこけた体の見るからに貧相な老人でした。落ちくぼんだ眼窩(がんか)の奥で目をらんらんと光らせて笑います。
「どうだ、わしの偉大な姿を目に焼き付けたか。わしは世界の王になる男だ。世界にあるものは、金も物も人も、すべてわしのものなのだ──!」
これまで大勢が何度となく言ってきた台詞(せりふ)を、サータマン王も口にします。
痩せた胸にはぽっかりと大きな穴が空いていました。サータマン王が穴に自分の手を突っ込んだので、メノア王妃は思わず息を呑み、そこからひと振りの刀が出てきたので、また悲鳴を上げました。先ほど通路でも使っていたような、三日月形の刃の刀です。
「わしが直々に首をはねてやるんだ。光栄に思え、ロムド王」
とサータマン王は刀を振り下ろしてきました。後がないロムド王たちは避けることができません──。
すると、ロムド王が右腕を挙げました。左腕では王妃をかばっています。
ガシン、と固い音を立てて刀を受け止めたのは、まっすぐな刃のロングソードでした。剣を握っているのはロムド王です。先ほどリーンズ宰相が吹き飛ばされたときに、宰相の剣が足元に転がってきたので、隠し持っていたのでした。三日月刀と押し合いになります。
一分近くも押しつ押されつした後、ロムド王はついに三日月刀をそらしました。サータマン王が体勢を崩して前のめりになります。
反撃の絶好のチャンスでしたが、ロムド王は反撃しませんでした。いえ、できなかったのです。片腕だけの無理な体勢で剣と刀の押し合いをしたので、ロムド王は息切れを起こしていました。背中を丸め、膝に両手をついてあえいでいます。
体勢を立て直したサータマン王が刀を振り上げました。まだあえいでいるロムド王の首へ振り下ろそうとします。
そこへ突然メノア王妃が飛び出しました。サータマン王とロムド王の間に割って入ると、おおいかぶさるようにして夫を守ろうとします。
「メノア!?」
ロムド王が驚愕する中、サータマン王の刀が王妃の背中へ振り下ろされます──。
「セエカ!」
少女の声と共に三日月の刀が跳ね返って部屋の隅に飛ばされました。
サータマン王自身も跳ね飛ばされて床に転がります。
開け放しになった扉の向こう、通路の景色に縦に切れ目が入り、キースがカーテンを押し開けるようにそれを押さえていました。切れ目から次々飛び込んできたのは、金の石の勇者の一行と親衛隊員です。トウガリもひょろりとした体をかがめて執務室に飛び込んできます。
「トウガリ!」
メノア王妃は道化の無事な姿に歓声を上げ、彼の服が大きく切り裂かれて血に染まっているのを見て、また悲鳴を上げました。
「トウガリ、その怪我は──!?」
「大丈夫です、メノア様。これは敵の返り血です。トウガリめは怪我はしておりません」
とトウガリは王妃を安心させながら、王と王妃を急いで部屋の別の場所へ移動させました。新たに駆け込んできた親衛隊員が周囲を素早く固めて守ります。
勇者の一行はサータマン王を取り囲みました。フルートは剣を、ゼンは弓矢を向け、メールの花虎とポチとルルは牙をむいて身構えます。ポポロもまだ魔法の構えをとったままでいます。
サータマン王が起き上がろうとしたので、フルートは入り口のキースに言いました。
「いいぞ! もう一度閉じてくれ!」
「わかった」
キースは扉の景色の切れ目から手を離しました。カーテンが閉じていくように戻って行く景色の向こうに、黒焦げになった通路の床や壁の大穴が見えます。
すると、近くにいたらしいゾとヨの声がキィキィと聞こえてきました。
「なんで閉じちゃうんだゾ!? オレたちも中に行きたかったのに!」
「そうだヨそうだヨ! オレたちも王様と王妃様を助けたかったのに!」
「馬鹿だな。そんなことをしたら、ぼくたちは──」
景色の切れ目が完全にふさがって、キースが二匹をなだめる声が聞こえなくなりました。扉の向こうに見えるのは、焼け焦げも穴もない、普段通りの通路の景色です。
フルートは胸当ての上にペンダントを引き出していました。サータマン王へ剣を向けたまま強く呼びかけます。
「光れ、金の石! 今度こそサータマン王を倒すんだ!」
ペンダントの真ん中からまばゆい金の光があふれました──。