一方、ロムド王の執務室の前では、キースとトウガリが剣を握って立っていました。王の親衛隊の兵士たちも通路に散って周囲を警戒しています。
そこへ扉を開けてリーンズ宰相と魔法使いの男性が出てきました。魔法使いは枯葉色の長衣を着ています。
「先ほど城に強い衝撃が走って、深緑の隊長の障壁が一時的に失われました。今はまた障壁が復旧しましたが、その間に敵が侵入したかもしれません」
と枯葉色の魔法使いに言われて、キースは肩をすくめました。
「そうらしいね。せっかく教えに来てくれたのになんだけど、実はもうわかっていたんだ。アリアンが教えてくれたからね。城に侵入した敵は二、三十人。城の衛兵や魔法使いが防いで戦っているよ」
魔法使いは、なるほど、と苦笑すると、リーンズ宰相へ言いました。
「私は中で陛下や王妃様をお守りすることにいたします。ここで一緒に戦うと、キース殿の魔法と私の魔法がぶつかって大変なことになりますので」
と執務室に引き返していきます。
宰相のほうは神経質に周囲を見回しながら、キースとトウガリに言いました。
「敵が陛下を狙ってここへやってきては大変です。陛下に地下室へ避難するよう進言したのですが、聞き入れていただけませんでした。ここより安全だと思ったのですが」
「地下室には大勢が避難しています。城の人間だけじゃなく、城下町からも大勢来ていますからね。陛下は彼らを危険に巻き込みたくないのでしょう」
とトウガリが言うと、キースも言いました。
「ぼくたちとしても、大勢いると守るのがかえって大変になるから、陛下にはここにいていただくほうがありがたいんだ。ぼくたちが敵を近づけないから、宰相殿も中にいてください」
「いやいや、及ばずながら私も陛下をお守りいたします」
と宰相が持っていた剣を構えたので、トウガリとキースは呆れてしまいました。
「こんなことを申し上げては大変申し訳ないんですが、宰相殿は剣がお使いになれるんですか? 俺がこの城に来てからずいぶんになりますが、宰相殿が戦っているところは一度も拝見したことがありませんよ」
「それに宰相殿は防具も身につけていないじゃないですか。いいから、この場はぼくたちに任せて。陛下たちのおそばにいてください」
いやしかし……とリーンズ宰相は抵抗しましたが、キースたちは聞き入れませんでした。宰相はロムド王よりひとつ年下の六十九歳です。ワルラ将軍のようにずっと第一線にいた軍人なら、高齢になっても戦えますが、宰相が実際の戦闘の役に立つとはとても思えなかったのです。
「こんなところで宰相殿に命を落とされたら、陛下に申し訳がたちませんよ。中にいてください」
と宰相を執務室に無理やり押し戻して扉を閉めてしまいます。
成り行きを心配そうに見守っていた親衛隊は、安心した顔になりました。やはり宰相が戦うのはとても無理だと考えていたのです。改めて全員が剣を握り直して警戒します。
城の外から敵味方が戦う声や音は伝わってきますが、戦闘がこちらへ近づいてくる気配はありません──。
やがて、キースが耳を澄ましてから言いました。
「アリアンから連絡だ。城に侵入した敵は大半が討ち取られたらしい。まだ数名が戦っているけど、間もなく決着がつきそうだと言っているよ」
「それはいい知らせだ」
とトウガリは言いましたが、警戒は解きませんでした。キース自身も抜いていた剣を収めようとはしません。敵は闇の魔法を使っています。こちらが優勢でも油断はできなかったのです。
すると、通路の曲がり角の向こうから急に騒がしい声が聞こえてきました。
「グーリー! グーリー! もっと速く飛ぶんだゾ!」
「あっちだヨ! いや、こっちだヨ! 逃げるヨ、早く!」
キースとトウガリはぎょっとしました。まずい、と顔を見合わせて駆け出します。騒いでいるのはゾとヨです。こっちへ来れば、小猿のはずの二匹が人のことばを話す様子を、親衛隊に見られてしまいます。
ところが、彼らが駆けつける前に、グーリーに乗ったゾとヨが曲がり角から飛び出してきました。キースたちを見るなり飛び降りてしがみついてきます。
「あれ、あれ、あれだゾ!」
「逃げてくヨ! 早く捕まえるんだヨ!」
「捕まえるって何を?」
キースが思わず聞き返すと、二匹はわめき続けました。
「あれだゾ! すごく速いゾ!」
「見えないのかヨ!? 天井だヨ!」
そのことばに、キースたちだけでなく、驚いていた親衛隊までが、はっと天井を振り仰ぎました。
とたんに目に飛び込んできたのは、天井すれすれを飛んでいく黒い鷹でした。そのすぐ先の天井を黒いものがすごい速さで移動していきます。まるで巨大な黒い蜘蛛(くも)が天井を這っているようです。
「敵だ!」
とキースは叫んで、なんだあれは!? と考えました。彼は闇の国の王子です。闇の敵が近づいてくれば絶対気がつく自信があったのに、ゾやヨたちが追ってきた敵は、闇の気配をまったくさせていなかったのです。
すると、キースにしがみついていたゾが言いました。
「お城の壁を虫みたいに這い上がっていたんだゾ! オレたちが見つけて追いかけたら、ものすごい速さで逃げ出したんだゾ!」
「変なんだヨ! あいつ、闇の怪物みたいなのに人間の匂いがするんだヨ!」
とヨもトウガリに言います。
「人間の──?」
キースたちがまた驚いている間に、グーリーが黒蜘蛛に追いつきました。鋭い爪で襲いかかると、蜘蛛は素早く天井から落ちました。真下に駆けつけていた親衛隊のひとりに飛びかかります。
とたんに骨が砕ける音が響いて、親衛隊員は床に倒れました。仲間の隊員が切りつけると、蜘蛛は素早く飛び退いて壁に飛びつき、後には原形を留めない遺体が残されます。
「怪物め!」
隊員がまた切りつけると、蜘蛛は今度は逃げませんでした。代わりに脚の一本が伸びて隊員の剣をつかみます。長い脚の先には人の手がありました。あっという間に剣を奪い取って親衛隊員を斬り殺します──。
「あいつ、本当に人間だ!」
とキースは言って駆け出しました。蜘蛛のように壁にへばりつく体に脚が四本しかないことに気がついたのです。よく見れば頭もありました。黒い長い毛に埋もれていますが、金銀宝石をちりばめた兜をかぶっています。
「あいつ、手や足にも金や銀や宝石の殻をつけてるんだゾ。だけど、体から黒い毛が伸びてて見えなくなってるんだゾ」
とゾが言いました。ゴブリンは財宝のある場所に敏感なのです。
「そんな豪華な防具を身につけてるってことは……」
とキースが言いかけたとき、アリアンが話しかけてきました。
「それの正体はサータマン王よ! 深緑さんがそう言ってるわ!」
「サータマン王!?」
とキースは思わず叫び、トウガリや親衛隊員もぎょっとしました。毛むくじゃらな黒い怪物を見つめてしまいます。
すると、怪物が壁からまた床に落ちました。二本脚で立ち上がったと思うと、みるみる毛が薄くなっていって、手足と頭に防具を着けたサータマン王になりました。宝石をちりばめたきらびやかな防具ですが、上半身には何故か防具を着けていません。
豪華な服を着た王の体はがりがりに痩せていました。兜の下の顔も頬がこけ落ちてガイコツのようです。
「妙だな。サータマン王はとても太っていると聞いていたのに……」
とトウガリは首をひねりましたが、それ以上考えることはできませんでした。奪った剣でサータマン王が斬りかかってきたからです。またひとり親衛隊員が切られて倒れます。
残りの親衛隊員はサータマン王を取り囲んで剣を向けました。逃げ道をふさいでいっせいに切りつけようとします。
ところが王はその場に伏せると、また黒い蜘蛛のような姿になりました。剣をかわし、人間とは思えない動きで飛び上がって天井にしがみつくと、人の声でどなります。
「わしはロムド王の首をいただきに来た! 邪魔する奴は皆殺しにするぞ!」
ハハハハ、と耳障りな笑い声が響きました。正気を失いかけている声です。
「あいつ、人間だけど闇にやられてるゾ!」
「怪物になり始めてるヨ! まともじゃないヨ!」
とゾとヨがキースに言いました。
「わかってる。どうやらどこかから闇の力を送り込まれているみたいだな。その影響で体が変わり始めているんだ」
天井に剣は届かないので、親衛隊員が槍で攻撃を始めていました。サータマン王は蜘蛛さながらの動きで天井を這い回ってかわします。
そこへグーリーが飛んできてサータマン王に襲いかかりました。蜘蛛のような王の背中にくちばしの一撃を加えようとすると、王の腹の下から黒い光が飛び出しました。よける間もなくグーリーに命中して吹き飛ばしてしまいます。
ゾとヨは悲鳴を上げましたが、床に落ちたグーリーはすぐに跳ね起きました。黒い鷹の姿がみるみるふくれあがって、体の前半分が鷲(わし)、後ろ半分がライオンの黒いグリフィンに変化してしまいます。攻撃を食らって、変身の魔法が解けてしまったのです。
キースはすぐに駆け寄りました。
「大丈夫か、グーリー!? 怪我はないか!?」
ギェェン!
グーリーはグリフィンの声で返事をしました。怪我はないようです。
黒い鷹が突然グリフィンに変わってしまったので、親衛隊員は仰天して立ちすくんでいました。まずいことになった、とキースは舌打ちしました。後々騒ぎにならないように、彼らの記憶を消さなくてならないのですが、今はその余裕がありません。
すると、天井からサータマン王が言いました。
「ロムド城に闇の怪物がいると噂には聞いていたが、本当のことだったらしいな。では、ありがたく使わせてもらおう。怪物、ここにいる連中をひとり残らず殺せ!」
王の体からまた黒い光がほとばしってグーリーを照らしました。
ギェ、ギェェェ……!!
グーリーは苦しそうに鳴いて頭を振り、抵抗するように翼を激しく打ち合わせました。やがて、その翼がぴたりと停まってしまいます。
「グーリー!?」
呼びかけたキースやゾとヨに、グリフィンは返事をしませんでした。赤く血走った目で周囲を見回すと、かちかちとくちばしを鳴らして、親衛隊に襲いかかったのでした──。