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第28巻「闇の竜の戦い」

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128.イリーヌ

 カルドラ国の港街セイマの、港から数えて八番目の通りに居酒屋がありました。「イリーヌ亭」という看板が風に揺れています。

 まだ日が高かったので、店は開いていませんでした。黒っぽいドレスの中年の女性が、奥のカウンターにひとりで座っているだけです。彼女がこの店の主人のイリーヌでした。長いキセルで煙草をふかしては、煙が揺らめく様をぼんやり眺めています。

 すると、ガタン、と急に入り口の扉が鳴ったので、彼女は跳ね起きました。

「あんた!?」

 と期待を込めて振り向きますが、入り口には誰もいませんでした。扉も閉まったままです。

 外では看板がばたばたと音をたてていました。海から吹く風が強い日だったのです。扉が鳴ったのも風のしわざのようでした。

 イリーヌは溜息をついてまた椅子に座りました。ぷかりと一服してから、煙と一緒に愚痴を吐き出します。

「ほんとにあの人ったら、今頃どこでどうしているんだろ。あの坊やたちがロムド城に戻ったと聞いたとたん、手伝ってくるって言って出ていって、それきり手紙のひとつも寄こさないんだからさ……」

 店の片隅には、彼女の夫の剣が立てかけてありました。不用心だからお守り代わりに置いていく、と残していったのです。

「あれを持っていきゃ良かったんだよ。使い慣れた剣だったんだからさ。どこかで調達するって言ったって、慣れた剣ほどいい武器なんてないはずなんだ。不用心なのはあんたのほうだよ」

 と彼女はひとりごとを言い続けました。文句は心配な気持ちの表れです。

 窓の外では風が唸り、看板を揺らし続けていました。

 店の扉はもう二度と鳴りませんでした──。

2022年5月30日
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