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第28巻「闇の竜の戦い」

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第40章 道化と王妃

116.トウガリ

 王都ディーラの中心にそびえるロムド城。

 絨毯が敷き詰められた長い通路を、背の高い痩せた人物が歩いていました。赤と黄と緑の派手な衣装を着て、一目見れば忘れられない奇抜な化粧をした男──道化のトウガリです。

 道化の仕事は滑稽な芸や口上で人々を笑わせることですが、このときの彼は険しい顔をしてひと言も口をきこうとしませんでした。もっとも、それを気に留めるような者もいません。

 城の外では敵の襲撃を知らせる角笛が鳴り響き、城内の人々は一目散に城の地下へ向かっていました。ロムド城の下には魔法使いたちが作った巨大な地下室があって、非常時の避難所になっているのです。避難所には城下町の住民も避難してくるので、城の玄関や通路は大混雑で、衛兵や召使いが総出で対応に当たっていました。道化が険しい顔で黙々と歩いていても、誰もそれを気にする余裕はなかったのです。

 トウガリも城の地下室を目ざしていましたが、混雑を避けて城の奥の階段へ向かっていました。城内の高貴な人たちだけが使う階段ですが、トウガリは王妃付の道化なので、通行することを許されています。やがて混雑が遠ざかって人気(ひとけ)がなくなります。

 すると、どこからともなくひょっこりと二匹の小猿が現れました。赤毛の猿に化けた双子のゴブリンのゾとヨです。トウガリの足元に駆け寄って言います。

「やっとトウガリを見つけたゾ。ずいぶん探したんだゾ」

「地下室が人間でいっぱいだヨ。みんな怖がってるから、オレたちで芸を見せるといいと思うんだヨ」

 彼らはこのところトウガリと一緒に芸をして、城の人々を楽しませていました。戦争の気配が日に日に強まって、誰もが不安になっていたので、道化と小猿の軽妙な芸が気晴らしに喜ばれていたのです。

 トウガリは足を止めて小猿たちを見下ろし、ひょろりとした体を折り曲げて二匹の頭を撫でました。

「いい子だな、おまえたちは──。だが、すまん。俺はこれからやらなくちゃならないことがあるんだ。陛下から直々に仰せつかったことがあるからな」

「王様から? どんな用事だゾ?」

「用事が終わったら地下室で芸をするのかヨ?」

 無邪気に聞き返す二匹にトウガリは目を細めました。いっそう優しく撫でながら答えます。

「芸はもう終わりなんだ。今までよくがんばってくれたな。偉かったぞ」

 二匹はきょとんとしました。

「芸はもう終わりなのかヨ? どうしてだヨ?」

「みんな地下室で怖がってるゾ。オレたちの芸を見たら絶対喜ぶんだゾ」

 トウガリは道化の化粧の下で顔を歪めました。ぽんぽん、と二匹の頭を軽くたたいて身を起こします。

「俺はこれから城の外に行かなくちゃいけないんだよ。おまえたちはキースとアリアンのところへ戻れ。敵が都の外を包囲しているからな。絶対捕まったり怪我をしたりするんじゃないぞ」

 ゾとヨは目を丸くしました。

「外は危ないのかヨ?」

「危ないのに、どうしてトウガリは外に行くんだゾ?」

 トウガリはそれには答えませんでした。身をひるがえすように二匹から離れると、通路から階段に入って駆け下ります──。

 

 地下室はすでに大勢の避難者でいっぱいでしたが、トウガリが下りてきた階段に近い一角にはついたてがあって、その陰が小さな個室のようになっていました。メノア王妃が侍女に囲まれて椅子に座っています。

 別の階段からまだまだ避難者がやってくるので、地下室の中はかなり騒々しい状態でした。避難者に居場所を割り当てるために担当の兵士が声を張り上げ、下男や下女が毛布や軽食を配っています。

 メノア王妃はそんな人たちを邪魔しないように、ひっそりと座っていました。侍女たちは皆青ざめて震えていますが、王妃はいつもとあまり変わりないようでした。金髪を結い上げ、えんじ色のドレスで座っている彼女の姿は落ち着いていて、とても美しく見えます。

 トウガリは小走りで王妃の前へ行くと、大袈裟なしぐさでお辞儀をして話し出しました。

「我が君メノア王妃様はいつも輝かんばかりの麗しさ。薄暗い地下室の中でもメノア様のおいでになる場所は春の光のように光り輝いていらっしゃるので、このトウガリめも一目でおいでになる場所が──」

 流れるように話し出したトウガリを、王妃はいきなりさえぎりました。

「良かった、トウガリも無事でしたわね! 姿が見当たらないから心配しました」

 主君に本気で心配されていたとわかって、トウガリはことばを続けられなくなりました。赤面しても道化の厚化粧が隠してくれるのですが、それでも感激を見破られそうで、またお辞儀をして表情を隠します。

「恐れ入ります、王妃様。実は国王陛下から王妃様へのご伝言を預かっておりました。王妃様に今すぐ執務室へおいでいただきたいそうでございます」

「まあ、陛下が? わかりました。すぐ参りますわ」

 とメノア王妃は即座に立ち上がりました。

 普通ならば、こんな状況で陛下が私になんの御用でしょう、と不思議がったり、せっかく避難したばかりだというのに、と文句を言ったりするところですが、メノア王妃はそんなことは絶対に言いません。人を疑うことをしない女性なのです。

 侍女たちが王妃に付き添って立ち上がろうとしたので、トウガリはまた言いました。

「陛下は王妃様おひとりをお呼びです。皆様方はここでお待ちください。大丈夫、このトウガリめがおりますし、上では親衛隊が待ってくださっていますからね」

 侍女たちは、前者ではなく後者に安心して、ついていくのをやめました。トウガリと一緒に階段へ向かう王妃を、お辞儀で見送ります──。

 

 階段を上がって上の階に出ても、親衛隊は待っていませんでした。この付近の避難はあらかたすんでいたので、通りかかる人もほとんどなくて、あたりはがらんとしています。けれどもメノア王妃は何も言いませんでした。王の執務室へ行くのとは違う通路を通っても、やはり王妃は黙ってトウガリについてきます。

 トウガリの心臓はどんどん早鳴っていきました。同時に胸が潰れそうな想いに襲われます。彼は自分の主人をだまそうとしているのです。

 とうとう城の裏口にたどり着くと、彼は王妃を振り向きました。王を探してきょろきょろしている王妃へひざまずいて言います。

「メノア様、陛下はここにはおいでになりません。陛下は執務室です。そこへこのトウガリめをお呼びになって、これをお預けになったのです」

 彼は一通の手紙を王妃へ渡しました。折りたたんで国王の封印をした手紙には、隣国ザカラス国王の名前が書かれています。

 メノア王妃は目を見張りました。

「これはアイルお兄様への手紙ですか? 何故これをトウガリに?」

「陛下は、この手紙をメノア王妃様に運んでほしい、とおっしゃったのです。ディーラの都は敵に包囲されたが、敵の妨害で外へ助けを求めることができない。アイル王にはすでに多くの援軍を送ってもらっているが、この状況から都や城を救うには、アイル王に援軍の増員をお願いするしかない。それをメノア王妃に頼みたい。そのように陛下はおっしゃっておいでした──」

 それは嘘でした。

 いえ、トウガリがロムド王から呼び出されたのは本当です。ただ、王が彼に命じたのは別のことだったのです。

 トウガリは主人の顔を見ずに立ち上がると、裏口の近くに隠してあったフード付きマントを取り出しました。

「時間がありません。これをお召しください。みすぼらしいマントですが、その豪華なお衣装を隠してくれます。裏には馬車も用意してあります。幸いなことに、現在敵は都の北の門から撤退しているようです。そこから抜けだしたら、途中の町で旅にふさわしい格好に着替えて、ザカラス城を目ざしましょう──」

 これもまた一部が嘘でした。行き先はザカラス城などではありません。

 王妃は呆然としているようでした。手紙を見つめたまま立ちつくしています。それはロムド王から託された手紙ではなく、トウガリが事前に準備しておいたものでしたが、王の封印は本物だし、宛名の文字もできる限り王の筆跡に似せておいたので、封を切って中を見られない限り、偽物と見破られる心配はありませんでした。

 王妃が動こうとしなかったので、失礼いたします、とトウガリはマントを持って近づきました。相変わらず主人の顔をまともに見ることができなくて、伏し目がちにマントを着せかけようとします。

 すると、王妃の手が動いて、柔らかく彼を押しとどめました。

「私はザカラスへは参りません」

 静かですが、きっぱりとそう言います。

 トウガリは驚いて顔を上げ、意外なほど強いまなざしに会ってたじろぎました。王妃は決心する顔をしていたのです。

「いくら陛下のご命令でも、私はそれには従えません。兄上は陛下にとても恩を感じて感謝していらっしゃいます。私が書状を運ばなくても、陛下からのお願いであれば、兄上はすぐに新しい援軍を送ってくださるでしょう。私ではなく、別の者が書状を運べば良いのです」

 トウガリはあわてました。都を取り囲む敵を突破して脱出することを恐れるとか、城を離れるのを不安がるとか、そういう抵抗に遭うことは想定していましたが、まさか王妃が陛下の命令に逆らうとは考えてもいなかったのです。

「国王陛下のご命令ですよ、メノア様」

 と強く言ってみますが、王妃の決心は変わりませんでした。

「たとえ陛下がなんとおっしゃっても、聞けないものは聞けません。敵に都を囲まれ攻め込まれようとしている状況で、妃が陛下を置いて城を離れるなんて、そんなことは絶対にできません。私は陛下のおそばにいます」

 そう言って本当に王のところへ行こうとしたので、トウガリは必死で引き止めました。

「お待ちください、メノア様! 陛下はメノア様に行ってほしいと本当にお望みなんです! 今、城を脱出しなければ、すぐにまた敵が攻め寄せて脱出できなくなります! お願いです、一緒においでください──!」

 それでも王妃が行こうとするので、トウガリはとっさに手を伸ばしました。王妃の左手首を捕まえてしまいます。

 王妃は、はっと振り向きました。トウガリも自分の行動に自分で面食らいます。主人の手をつかんで引き止めるような無礼な真似は、これまで一度もしたことがなかったのです。

 すると、王妃が顔を赤らめました。トウガリにつかまれた自分の手を、次にトウガリ自身の顔を見つめます。

 トウガリはどきりとしました。そのまま心臓が早鳴って停まらなくなります。頬を真っ赤に染めた王妃の顔は、まるで恥ずかしがっている少女のようでした。それでいて、彼の手を振りほどこうともしないのです。まるで、まるで──

 

 そのとき、王妃の体が急に力を失いました。そのまま崩れるように倒れてきたので、とっさにトウガリが抱き留めます。

「メノア様! メノア様──!?」

 仰天して呼びかけますが、王妃は目を覚ましませんでした。トウガリの腕の中で王妃の体が力なく揺れます。

 気持ちが高ぶって卒倒されたのだろうか、それとも……!? とトウガリが混乱していると、後ろから誰かに話しかけられました。

「大丈夫だよ。行かれたら困るようだったから、魔法で引き留めただけだから」

 それはキースでした。甘い顔立ちの闇の王子は、いつものように青と白の聖騎士団の服を着て、通路の壁にもたれています。

 うろたえるトウガリに、キースは話し続けました。

「ゾとヨが戻ってきて、君がこれから城の外へ出て行くらしい、と教えてくれたからね。それなら手伝ったほうがいいんじゃないかと思って追いかけてきたら、この場面に遭遇したんだ。ザカラス城に救援を求めに行きたいのかい? でも、北の門にもまた敵が迫ってきてるぞ。ザカラスまでの道中にもきっと敵がいるだろう。王妃様を行かせるのは危険じゃないのか?」

 トウガリは思わず返事に詰まりました。そんなことはわかりきっていたのです。

「陛下のご命令なんだ。行かなくちゃいかん」

 ぶっきらぼうな口調で答えると、キースは、すっと片手を動かしました。その手の中に王妃が持っていた手紙が現れます。

「これをザカラス城に届けるからか? でも、これは陛下の手紙じゃないだろう。うまく作っているが、君が準備した偽物だ。これで王妃様を誘い出して、どこへ連れていこうとしているんだ? 都が包囲されて危険だから、大事な王妃様を逃がそうとしてるのかい?」

 キースの質問は鋭いのですが、トウガリを責めるような響きはありませんでした。それがトウガリをいっそう苦しくします。

 彼はまた繰り返しました。

「陛下のご命令なんだよ……本当にそうなんだ」

 キースは目を丸くしました。

「陛下が王妃様を逃がそうとしているのか? でも、敵はまだ都に攻め込めないでいるじゃないか。この状況でどうして? むしろ危険だろう」

 トウガリはためらい、とうとう本当のことを言いました。

「陛下から直々に頼まれたんだ。自分にもしものことがあったら、メノア様をロムドから逃がせと──。この国には今でもザカラス出身のメノア様を敵視する者たちがいる。陛下に万が一のことがあれば、メノア様も危険になるからと言われて……。もう三週間も前のことだ」

「三週間? まだ全然敵が迫ってなかった頃のことじゃないか。どうして?」

「わからん。だが、陛下は本気だった。今日この状況になったとき、陛下は俺を執務室に呼んで、あのときの命令を実行しろ、とおっしゃったんだ。メノア様を頼む、とも……」

 言ってからトウガリは後悔しました。口に出すと、王が言っていた意味がいっそうはっきりしてしまったからです。厚化粧の下でまた真っ赤になってしまいます。

 キースは目を見張り、少し考えてから言いました。

「つまり、陛下は君に王妃様をあげるから、ロムドから連れて逃げてくれって言っているんだな?」

「おい!!」

 キースの言い方があまりにあけすけだったので、トウガリは思わず声を上げました。聞かれてしまったのではないか、とメノア王妃を見ますが、王妃は目を閉じたままぐったりとトウガリの腕にもたれていました。

「大丈夫、魔法で眠ったままだよ。でも、それにしても解せないな。陛下の言い方はまるでもうすぐ死ぬ人みたいじゃないか。どうしてそんなことがわかるんだ? ユギル殿だって今はハルマスに行っていて、城にはいないのに」

 とキースは言ってから、ああ、と指先で頬をかきました。

「そういや、ユギル殿は遠見の石を持っていっているんだったな。陛下とはそれでやりとりできるのか。陛下の身の上に起きることをユギル殿が知らせるのだって、簡単にできたんだ」

 トウガリは何も言いませんでしたが、彼もそうに違いないと確信していました。陛下にはこの戦いで命を落とすという予言が出ているのです。だからこそ、彼にメノア王妃を託してきたのです──。

 

「で? どうするんだい?」

 とキースに訊かれて、トウガリは我に返りました。とっさに返事をできずにいると、キースはまた続けました。

「君はずっと王妃様を想い続けてきたんだ。人にも王妃様にも気づかれないようにしながら、密かにずっとね。せっかくこんなチャンスが巡ってきたんだから、王妃様を連れて逃げていいと、ぼくは思うけどな」

 そのためならぼくも一肌脱ぐよ、と言われて、トウガリはますますうろたえました。どうして……と言うのがやっとです。

 キースはにやっと笑いました。

「恋は隠せば隠すほど匂うように花開く、ってね。君がずっと王妃様を愛していたのなんて、見てればわかったよ。ずいぶん忍耐強いもんだと感心もしていたけれどね。ぼくにはとても無理だ──。この日のために事前に準備もしておいたんだろう? どこへ逃げるつもりだったんだ? まさかザカラス城じゃないよな?」

「ザカラス城には行けない。陛下を裏切った罪で、俺もメノア様もアイル陛下に罰せられてしまうからな。ザカラスの北にザバター男爵という古い知り合いがいるんだ。彼なら俺たちをかくまってくれるだろう」

「なるほど、あてはあるんだ」

 とキースは納得したようにうなずくと、また尋ねました。

「で、本当に、どうしたいんだ? さっきも言ったとおり、城から脱出するなら手伝うぞ。敵がまた北の門に迫っているから、君たちが安全なところまで逃げるまで援護してあげよう──友だちには幸せになってほしいからな」

 と、さりげなく本音を言って、照れたように頬をかきます。

 トウガリは自分の腕の中を見ました。

 メノア王妃はまだ魔法で眠ったままでした。全体重をトウガリに預けているのですが、王妃の体は意外なほど軽くて華奢です。このまま抱きかかえて馬車に乗せるのは簡単なことでした。

 安全な場所まで逃げたところでキースに魔法を解いてもらえば……とトウガリは考えました。王妃ははじめは怒ったり嘆いたりすることでしょう。けれども、何故こんな真似をしたのか、陛下が何を考えて彼に託してきたのか、時間をかけて丁寧に説明すれば、いずれきっとわかってくれる気がしました。

 ロムドからもザカラスからも離れ、寄辺のない身になって二人きりで暮らすようになったら、彼が王妃に抱き続けてきた想いにも気づいてもらえるかもしれません……。

 魔法の眠りに落ちて目を閉じている王妃を、彼は黙って見つめました──。

2022年4月29日
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