「ふぅ、やっと張れたか……」
と白の魔法使いは溜息をつきました。
ロムド城の南の守りの塔の最上階です。彼女が杖のように握る護具からは、強い白い光が天井を抜けて吹き上がっていました。深緑の魔法使いが撃ち出す深緑の光と一緒に上空で広がって、王都を守る障壁になっているのです。
護具を作動させるのに思いがけず苦労したのは、敵の妨害のせいでした。今も普段は感じないような抵抗を護具から感じています。
すると、北の塔から深緑の魔法使いの声が飛んできました。
「大変じゃぞ! 障壁が都を完全に包んでおらん!」
なに!? と女神官は驚きました。護具から離れるわけにはいかないので、窓を振り向いて外へ目をこらすと、白い光の幕が空に広がっているのが見えました。彼女が守っている側の障壁は白いのです。
ただ、それは街壁の上のあたりでとぎれていました。本来なら街壁のすぐ外側の地面までおおって、都をすっぽり包み込むのですが、天井のように都の上空しかおおっていません。
「これも敵の妨害のせいか! 深緑、もっと出力を上げられるか!?」
「無理じゃ! これ以上力を送り込んだら、負荷で護具が壊れそうじゃ!」
「だが、このままでは敵の攻撃を防げないぞ──!」
女神官は歯ぎしりして外へ目をこらし続けました。完全に障壁が張れていないので、街壁のすぐ外で起きている戦闘の音がはっきり伝わってきました。魔法軍団の攻撃の音も、象の鳴き声も聞こえてきます。
と、門のある方向から、ぱっと白い煙のようなものが上がりました。続いて、ずぅん、と地響きが伝わってきます。象がまた門に体当たりをしたのです。
都には角笛の音も鳴り響いていました。敵が都を包囲して攻撃を始めたときから、繰り返し吹き鳴らされて、都の住人に避難を呼びかけていたのです。城下からは大勢が丈夫な石造りの屋敷や建物の地下室に避難する音も聞こえてきます。
「敵を都に入れるな! 門や街壁を守れ!」
女神官は外で戦っている部下たちに命じました。了解の返事は返ってきますが、誰もが魔法で守られた戦象に苦戦しているようでした。ずぅん。また街壁が体当たりを受けた地響きがして、白い砂埃が湧き上がります。
とたんに女神官はよろめきました。護具から反動があって倒れそうになったのです。あわてて踏ん張ってまた外を見ます。
「南の門の上の障壁がちょいと壊されたわい! 直せそうか、白!?」
と老人が尋ねてきました。透視ができない彼女の代わりに、障壁全体の様子を見ているのです。
「やってみよう」
と彼女は護具に力を込めましたが、そこへ空飛ぶ絨毯がやってきて、塔の窓の外に留まりました。乗っていた銀鼠(ぎんねず)と灰鼠(はいねず)の姉弟が言います。
「白様! 象が一頭、障壁を壊して都に入り込みました!」
「ぼくたちが撃退します!」
確かに、南の門の付近に大きな生き物が見えていました。翼を生やした象です。門に内側から攻撃を仕掛けているようです。
「頼む!」
と女神官は答えました。どうにか障壁の穴をふさぎますが、それだけで息が上がってきました。どうやら護具に対してかなり強力な妨害魔法が送り込まれているようです──。
「隊長たちはどうして完全に障壁を張らないのかな? あれじゃ象が入り込んでもしかたないぞ」
敵の象へ空飛ぶ絨毯を向かわせながら、灰鼠は首を傾げていました。象が壊した障壁はまた元に戻りましたが、障壁が天井のように都をおおっているだけなので、街壁と障壁の間に一メートルほどの隙間ができていたのです。象がくぐるには狭い隙間ですが、他の場所より弱いので、体当たりを繰り返されると城壁や障壁が壊れてしまいます。
「あんた、白様のお顔を見なかったの? 汗びっしょりだったじゃない。張らないんじゃなくて張れないのよ、きっと。妨害されてるんだわ」
と姉の銀鼠は答えて杖を構えました。敵の象はもう目の前だったのです。
「家がすぐ近くに密集してる。攻撃は姉さんに任せるよ。防御のほうは引き受けたから」
「いいわ。いつもどおりね」
二人はそう話し合うと、空飛ぶ絨毯で象の真上へ飛びました。背中に乗っていた敵兵が気づいて弓矢を向けますが、それより早く銀鼠が杖を振りました。
「おでましを、アーラーン! 敵をディーラから追い払ってください!」
とたんに杖から炎がほとばしって空を駆け、象に激突しました。敵兵や象使いが火に包まれて叫びながら落ちていきます。
象も翼に火がついて暴れました。翼を打ちはためかせても火が消えないのですごい勢いで地上へ降りていきます。その先に泉が水をたたえる広場があったのですが、手前に民家が軒を並べていました。象が飛び降りれば建物が壊れるだけでなく、火が燃え移って火事になるかもしれません。
「アーラーン、都を守ってくれ!」
と今度は灰鼠が杖を振ると、炎がいっそう大きくなって象の全身を包んでしまいました。そのまま巨大な狐の形になると、空中を飛んで障壁をすり抜け、街壁の外へ象を放り出してしまいます。彼らが信じるアーラーンは元祖グル教の火の神で、狐の姿をしているのです。
「見なさい。いくら強力な闇魔法だって、あたしたち元祖グルの魔法は防げないんだから、象だってかなわないのよ」
と銀鼠は得意そうに言いました。言っている相手は弟ではなく、この戦場のどこかにいるサータマン王でした。一応彼らの出身国の王ですが、彼らはそうは思っていません。
「姉さん、今度は西の門のほうで象が入り込んだぞ!」
と灰鼠が気づいて、彼らは西へ飛びました。火の狐がまた敵を追い払うために空を駆けます──。
「銀鼠と灰鼠ががんばってくれとるの」
都の様子を見渡しながら、深緑の魔法使いはつぶやきました。
敵の闇魔法で透視は妨害されていますが、真実を見抜く彼の目は並外れて強力なので、妨害に負けずに見ることができます。若干景色がかすんでいますが、たいしたことはありません。
老人は南の塔にいる白の魔法使いも見ていました。こちらは仲間同士の心話を使った目なので、敵の妨害は受けていません。女神官が汗を流しながら護具を握っているのが、はっきり見えています。
「象が白の管轄ばかり攻撃しとるからな」
と老人はまたつぶやきました。女神官に聞こえては影響があるかもしれないので、ひとりごとです。
白の魔法使いの魔力は魔法軍団随一です。四大魔法使いの中でも彼女は一番の使い手で、深緑の魔法使いはもちろん、青の魔法使いや赤の魔法使いも彼女にはとてもかないません。三人が束になって、やっと彼女に匹敵する程度です。
けれども、彼女は女性でした。魔法使いの世界は実力主義なので、魔力さえ強ければ男も女も関係ないのですが、生まれついての体力の差だけはどうしようもありませんでした。女性は体力的に男性に劣るので、その分、戦闘の持久力も短くなってしまうのです。深緑の魔法使いなら二、三日昼夜ぶっ通しで障壁を張っていても平気ですが、彼女はそういうわけにはいかないのでした。
「だからこそ、わしらが白の補助をするんじゃが」
と言って老人は顔を曇らせました。今ここにいる四大魔法使いは彼と白の魔法使いだけです。青の魔法使いと赤の魔法使いは戦闘を終えてハルマスに戻ったばかりで、かなり消耗しているので、とてもディーラに駆けつけられる状況ではありません。ディーラは彼と白の魔法使いの二人で守るしかないのです。
そのとき、女神官がまた大きくよろめきました。空飛ぶ象がまた彼女の障壁に体当たりをして壊したのです。老人は、はっとしましたが、彼女はすぐに踏ん張り、唇を引き締めて護具をにらみつけました。ひときわ明るい光が天に駆け上り、破壊された障壁をすぐに復元させます。そこから入り込もうとしていた象は、障壁に胴を挟まれて動けなくなり、飛んできた銀鼠と灰鼠に火だるまにされました。
「あまり長引かせないようにせんとな……」
女神官が流れ落ちる汗を拭ったのを見て、老人はまたつぶやきました──。