サータマン国とルボラス国、それにサータマンの属国からなる連合軍は、恐怖に似た驚きに襲われていました。
彼らはロムド国目ざして進軍していて、ミコン山脈の西端を越えている最中でした。端といっても険しい山々がそびえるミコンです。十万を超す大軍勢が越えて行くのは非常に困難で、全軍が山を越えるまでにはたっぷり一ヵ月以上かかるだろうと思われていました。さらにそこから敵の本拠地まで東進しなくてはいけないのですから、戦闘に突入するまでに三ヵ月はかかるはずでした。
ところが、ある朝目を覚ましてみると、彼らは山の中から見知らぬ平原に移っていました。周囲に一面広がっているのはまだ青い麦畑で、その向こうに丘があり、丘の上に壁に囲まれた街がありました。街の中央にそびえていたのは異国の城です。
何事が起きたのかわからなくて騒然とする軍勢に、前方から伝令が駆けてきて、サータマン王の勅令をふれ回りました。
「我が軍はグル神の奇跡ではるかなる距離を飛び越えた! 行く手に見えているのはロムド国の王都ディーラだ! 異教徒の都を全軍で包囲して壊滅させるぞ!」
連合軍にはそれぞれの国の司令官がいましたが、この状況は彼らにもあまりに突然で、サータマン王からの命令を吟味する余裕がありませんでした。ミコン山脈を越えたところで戦略を話し合うつもりでいたので、ロムド国のどこをどう攻めるか、まだ具体的に決まっていなかったのです。ロムドの王都を攻めるというサータマン王の命令が、たちまち全軍の目標になってしまいます。
「ここがロムド国か」
「これだけ広い麦畑があるとは噂通り豊かな国らしいな」
「それじゃあ、あの都には宝がどっさりあるんだな?」
「おう、あるに決まってる。なにしろロムド国の都なんだからな。城の中には金銀財宝が唸っているぞ」
「女も大勢いるよな。ロムドの女は色の白い別嬪(べっぴん)さんだ」
司令官や幹部はともかく、一般の兵士たちの認識はその程度でした。中央大陸で急成長を続けるロムド国は他国の羨望(せんぼう)の的だったので、ディーラを攻め落として分け前にあずかろうと誰もが意気込みます。
そこへまた伝令が駆けてきて、進軍開始の命令を伝えました。全軍は東へ移動を始め、王都を守っていた軍勢と衝突すると、たちまち戦闘が始まりました──。
連合軍の先頭近くでは兵士たち以上にサータマン王が張り切っていました。象の背中の桟敷(さじき)から声を張り上げて、次々命令を下しています。
「東西南北どこからでもいい! 総攻撃を仕掛けて門を破れ! 都に突入したら、忌まわしい異教の寺院をすべて破壊して、異教徒どもを片端から始末して回るんだ! 城下町を制圧したらロムド城へ攻め上がるぞ!」
王のそばにいた伝令たちがまた命令をたずさえて走っていき、入れ替わりに新しい伝令たちがやってきて控えます。
さらに戦場からは戦況を伝える伝令がやってきました。
「陛下にご報告します! 敵は各方面の門を守って激しく抵抗しております! 敵軍には強力な魔法使いも混じっております! ロムドの魔法軍団と思われます!」
ロムドの魔法軍団の強さは連合軍にもよく知れていたので、軍勢は兵士たちは動揺しました。敵と戦闘中の部隊は遠目にも浮き足立っているのがわかります。
サータマン王はまた声を張り上げました。
「異教徒の魔法使いなど恐れるな! わしたちにはグル神がついているんだ! 神の御力を信じて、恐れず突撃して打ち破れ!」
戦況をまったく顧みず、ただ数と気合いで押し切ろうとする無謀な作戦です。
けれども、王の側近たちは異を唱えることができませんでした。彼らはミコンの山中からディーラの近くまで、何百キロもの距離を飛び越えてきました。本当にグル神の奇跡が起きたとしか思えなかったので、その神が守っているのだと言われれば、そうかもしれない、と信じるしかなかったのです。
伝令がまた走り、ディーラの周囲の至る所で戦闘が激しさを増します──。
象の上の華やかな桟敷で、サータマン王は自分の胸に手を当てました。そのままにんまり笑いますが、それを見た者はいませんでした。前日まで桟敷には酌をする美女もいたのですが、この日は王がひとりだけで乗っていたのです。
王は手の下の胸へ話しかけました。
「聞こえたな? 敵は魔法軍団を繰り出してきたぞ。連中をたたきのめさなくてはならん」
ひとりごとのような王の話に返ってくる声はありません。
けれども、サータマン王は得意げに笑いながら話し続けました。
「約束だ。またおまえの力を使うぞ。敵を驚かせ恐れおののかせる。そして、門を破壊して都と城を制圧するのだ」
やっぱり返事はありません。
王は少しの間、前方で繰り広げられている戦闘を眺めました。連合軍の兵士は彼の命令通り勇敢に敵と戦っていますが、敵の中から飛んでくる魔法が兵士を吹き飛ばし、進軍を阻んでいました。連合軍のほうには魔法使いがいないので、魔法を食らえば一方的に倒れるしかありません。すぐに新しい兵士が後方から攻め上がりますが、自軍の損害は増えていきます。
「ただ倒すだけではつまらん。敵にも味方にも、わしたちのすばらしい奇跡の力を見せつけなくては」
とサータマン王はまたつぶやき、すぐに、よし、とうなずきました。
「派手に行くぞ。にっくきロムド王が仰天して卒倒するくらいにな──」
サータマン王は宝石のついた兜をかぶり、きらびやかな籠手やすね当てを付けていましたが、何故か胸当ては着用していませんでした。上半身は普段着のままです。上衣の前を開くと、でっぷり太った王の胸や腹が現れますが、その胸の真ん中に穴が空いていました。握りこぶしが二つすっぽり入るくらいの大穴ですが、王は血も流していなければ痛みを感じている様子もありませんでした。背中は服におおわれているのですが、それを脱がせてみれば、背中に穴は貫通していないのです。
「わしはにっくきロムドの魔法使いに飛竜部隊を全滅させられた! だから、もっと強力な部隊を作って襲撃してやろう! 飛象部隊だ! 空からディーラを破壊してやる!」
王の宣言と共に胸の穴から黒い光がいくつも飛び出して空に駆け上がりました。連合軍のあちこちへ飛ぶと弧を描いて落ちてきて、その場所にいた戦象に命中します。
すると象の体に翼が生えてきました。大きな象よりもっと巨大な翼です。象は猛烈な風を巻き起こしながら羽ばたくと、ふわりと空に舞い上がりました。背中の象使いや兵士たちが仰天して大騒ぎしますが、象はさらに空高く昇っていきます。
サータマン王が乗った象も翼が生えて空に飛び上がっていました。こちらの象使いも混乱して頭を抱えていましたが、サータマン王は当然のように言いました。
「何を騒いでいる! グル神がまたわしたちに奇跡をお与えくださったのだぞ! 敵の魔法も恐れることはない! おまえたちは神に守られた飛象部隊だ! 空から攻撃して忌まわしい敵の都を破壊しろ!」
空飛ぶ象はすぐにディーラへ飛んでいきました。象使いたちが落ち着きを取り戻して象を操り始めたのです。巨大な象たちが空を突進していきます。
「そうだ、壊せ。あの男の都など徹底的に破壊してやれ」
とサータマン王がまたほくそ笑みます。
ディーラの都はまた空からの攻撃にさらされようとしていました──。