「テト国でガウス侯と戦ったときにも、こんなことがあったのを思い出したんだよ」
作戦本部の司令室で、フルートは仲間たちへ言いました。
まだ朝も早かったので、東の戦場の味方はハルマスに戻ってきていませんでした。集まったのは昨夜の作戦会議と同じ顔ぶれでしたが、今朝はトーマ王子も加わっていました。ついでにメーレーン王女まで隣に座っています。オリバンたちがいくら説得しても、トーマ王子がどんなに頼んでも、「お邪魔にはなりませんから」と言い張って外へ出て行こうとしなかったのです。おかげでオリバンはまた不機嫌でした。
「こんなこととは、闇の敵がいっせいに退却していったことだな? 私もセシルもユギルもテトの戦いには参戦したが、そんな場面はなかったぞ」
オリバンの言い方が少しそっけなかったので、セシルが気にして後を続けました。
「確かにあの時も激戦の連続だったな。フェリボではガウス川を船で下ってきた敵を防いだし、ガウス侯がテト川の岸壁を壊して王都を守る流れを変えたときには、ゴーレムも繰り出して城壁を破壊しようとしたから、大変な戦いになった。でも、結局フルートやポポロたちが敵を撃退したんだ。敵が自分から退却したわけではなかっただろう?」
フルートは首を振り返しました。
「戦闘中のことじゃなくて、その間にガウス侯の城や城下町で住人が姿を消していたことなんだ。今回のことはあれに似てるんだよ」
うん? と全員はいっせいに首をひねってしまいました。フルートの推理が飛躍しすぎているように思えたのです。河童やトーマ王子やメーレーン姫はテト国での戦い自体知らなかったので、きょとんとしています。
「ねえさぁ、やっぱり意味が全然わかんないよ。ガウス侯の城や町の事件ってのは、結局デビルドラゴンのせいだったんだろ? てことは、今回の退却もデビルドラゴン──ってか、セイロスのせいだったって言いたいのかい?」
「それは考えられるが、当然と言えば当然だ。何か作戦があっての退却だったのだろうし、作戦を考えるのはセイロスだ」
とオリバンがまた言いました。やっぱり少し不機嫌です。
フルートは、ああ、と前髪をかきました。
「ごめん、推理がちょっと先走った。ぼくが気がついたことを順を追って説明するから、しばらく聞いていてくれるかな──」
と前置きして話しだそうとすると、そこへ急に新たな声がしました。
「ぼくも聞かせてもらっていいかな。それと報告したいことがあるんだ」
部屋に現れたのはレオンでした。前日、イベンセに力を吸い取られて弱ってしまったレオンですが、今朝はもう元気になっているように見えました。
「おう、もう大丈夫なのか?」
「ワン、ビーラーは?」
とゼンやポチが尋ねると、レオンは肩をすくめ返しました。
「まだ本調子じゃないが、簡単な魔法なら使える程度には回復したよ。ビーラーのほうはもう少し安静だから、病院でペルラに診てもらってる。でも、あいつももう大丈夫さ」
よかった、と勇者の一行は安堵しました。
「報告したいことってのは何?」
とルルが尋ねます。
すると、レオンは急に表情を引き締めました。
「ついさっき、マロ先生から連絡があったんだ。先生たちは大陸の各地で、町や村を襲う闇の怪物を退治していたんだが、敵がいきなり姿を消したというんだ。どこの場所でもそうだったらしい」
この情報には部屋の全員が驚きました。
「怪物も消えたというのか!?」
「ひょっとして、こちらで敵が消えたのと同じ頃の話だろうか?」
とオリバンやセシルに聞き返されて、レオンは答えました。
「考え合わせてみると、どうもそうらしいな。マロ先生たちは怪物を探し回ったけれど、どこにも見つからなかったんだ。これ以上することはないから、まもなくこのハルマスに戻ると言っていたよ」
レオンの話にフルートがうなずきました。他の者たちは驚いていますが、フルートだけは納得した顔をしていたのです。全員の注目を浴びて、また話し始めます──。
「今回のことはイベンセの作戦じゃない。闇の軍勢は数では圧倒的に優位だったし、戦局もまだ負けるような状況じゃなかった。ハルマスの中に侵入することにも成功していたんだからな。渦王がハルマスの防壁を守ってくれていたけれど、内側から門を開放されたら、敵はハルマスになだれ込んできただろう。決して負けが込んできて逃げたわけじゃないんだ」
「連中は無理矢理退却させられたんだろう? だからイベンセが悔しがってたんだからよ」
とゼンが口を挟んで「黙って聞きなよ!」とメールに叱られました。
「疑問があったら遠慮なく訊いてくれていいよ──。確かに、イベンセは怒っていた。ただ、それは無理矢理退却させられたからじゃないと思うんだよ。たぶん、彼女は部下を奪われてしまったんだ」
部下を奪われた? と一同は聞き返してしまいました。
「誰にだ? イベンセはあれでも闇王なのだぞ?」
とオリバンが尋ねます。
「そう。闇王は絶対的な闇の力を持っている。でも、その闇王から部下を奪える人物が、ひとりだけいるんだ」
「セイロスか。それはそうだが、なんのためだ? イベンセに命令をしてハルマスを攻めさせていたのはセイロスなのだぞ」
やっぱり納得がいかないオリバンや仲間たちに、フルートは丁寧に話し続けました。
「ガウス侯のときのことを思い出してほしいんだよ。ガウス城や城下町の住人というのは、つまりガウス侯の部下だ。それが突然ひとり残らず消えてしまった。一気に消えたわけじゃなかったけれど、侯が出陣してからみるみる減っていって、最終的には誰もいなくなったんだ。それは何故だっただろう?」
「むろん、デビルドラゴンのしわざだ。ガウス侯を竜の罠でそそのかして、家来や領民を奪っていったのだ」
「なんで奪っていったと思う? なんのために?」
とフルートは重ねて聞き返しました。謎かけのようなやりとりに、オリバンだけでなく、他の仲間たちも困惑し始めます。
ところが、レオンだけは考えながら言いました。
「ガウス侯というのは魔法使いではなかったんだろう? 川の流れを変えたり、ゴーレムを繰り出したりするのには相当な魔力が必要だ。ただの人間がそれだけの魔法を使おうとしたら、力を発動するための代償が必要になる。それに使われたんだろう」
え? と一同はまた声を上げ、次第に理解して背筋が寒くなりました。
「つまり、なにさ──ガウス侯の家来たちはみんなガウス侯の魔法に使われたってのかい? 生贄(いけにえ)みたいにさ!」
とメールが言うと、ポポロが青ざめながら首を振りました。
「生贄っていうのも、本来そういうものなのよ。自分の力が及ばないような魔法を使おうとして、自分に属するものを契約に差し出して魔力に変えようとすることなの」
「今回敵が消えたのがそれと同じだということは──」
とセシルに言われて、フルートはうなずきました。
「敵が消えたのは退却していったからじゃない。セイロスに奪われて、強力な魔法に変えられたんだ」
部屋の中は、しんと静かになってしまいました。全員がとまどうように互いの顔を見合わせます。
やがて口を開いたのはオリバンでした。
「やはり納得がいかん。セイロスは何故そんな真似をしなくてはならなかったのだ? 自軍の兵士を自ら減らすなど──」
「ワン、それにセイロスはデビルドラゴンなんだから、自分の力で魔法が使えるはずですよ」
とポチも言います。
フルートは静かに答えました。
「セイロスだって、どんな魔法でも使えるわけじゃないよ。力の一部を失っているわけだしね」
ポポロが、はっと息を呑みました。たちまち涙ぐんだ彼女をフルートが抱き寄せます。
「では、セイロスはどんな魔法を使ったんだ? 味方の兵士を犠牲にしてまで」
と尋ねたのはトーマ王子でした。それまでずっと黙って話を聞いていたのですが、とうとう我慢できなくなったのです。
「砦に入っだ敵はいきなり消えたげんぢょ、代わりの魔法攻撃は来なかっただよ?」
と河童も言います。
「セイロスはまったく別の場所で魔法を使ったんだと思う」
というのがフルートの答えでした。
「それが何だったのかは、まだわからない。でも、きっとかなり大がかりな魔法だ。それを見つけたいと思うんだよ」
それを聞いて、全員の目は自然とひとりの人物に集まっていきました。ひとりだけまだ意味のわからない顔をしていたメーレーン姫が、まわりの視線をたどっていって、ぱんと手を打ち合わせました。
「ああ、ユギルに頼みますのね! ユギルは占いでなんでもわかるんですもの。勇者様が知りたいことも見つけてくれますわね!」
無邪気なほどの信頼に、銀髪の占者は頭を垂れました。
「もったいないおことばでございます、メーレーン様。ご期待に応えたいのはやまやまなのでございますが、残念ながら、セイロスに関することは占うことができないのでございます。しかも、占いの場全体が敵の妨害を受けております。近場を占うことは可能なのですが、離れた場所で何が起きているのか、見ることができなくなっております」
その事実を聞くのは初めてだったので、一同はざわめきました。
「ユギルは占えなくなっているのか?」
「いったいいつから──?」
「ワン、自分から近いところは占えるんですね?」
「ひょっとして、それがセイロスの魔法なのかい?」
ユギルは頭を振りました。
「世界が占えなくなっているのに気づいたのは、昨夜でございます。敵のしたことに間違いはないのですが、それが勇者殿のおっしゃる魔法のしわざかどうかはわかりません」
フルートは天空の国の少年を見ました。
「どう思う、レオン?」
「そうだな……占いを妨害する魔法にはいくつか種類があるんだが、占者自身の予知能力を妨害するのが基本だ。だが、彼からは闇魔法にかかった痕跡がまったくないし、近場なら占うこともできるという。もっと大がかりな、世界全体にかけた魔法なのかもしれないな。それなら、その力に闇の軍勢を使ったと考えられないこともない」
レオンの答えにメールが呆れました。
「でも、そのために自分の手駒の軍勢や怪物を大勢潰したんだろ? どんくらいユギルさんを警戒してるってのさ!」
オリバンは腕組みしました。
「ユギルの占いを妨害して、自分の計画を見破られないようにしているのだろう。どこかで決戦に出る準備を整えているのだ」
「いよいよセイロスが決戦に出てくるのだな。どこから来るかわからない以上、ここで守りを固めて待ち構えるしかないということか──。だが、間もなく東から味方の部隊が大勢戻ってくる。ハルマスの戦力は回復するだろう」
とセシルが期待を込めて言います。
けれども、フルートはまた考え込んでいました。腕を組み、片手を口元に当てて、じっと宙を見つめています。まだ腑に落ちないことがあるのです。
やがて彼は思いついたように顔を上げました。
「ロムド城なら各地の情報も集まってくる。どこかでセイロスの作戦が把握されてるかもしれない。陛下に伺ってみよう。ユギルさん、遠見の石で陛下と話をさせてください」
フルートは占者にそう言いました──。