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第28巻「闇の竜の戦い」

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第36章 気がかり

104.気がかり

 「だから、わらわはこれがグルールのしわざではないかと思うのじゃ」

 大人の女性の声にそう話しかけられて、フルートは、はっとしました。一瞬違和感が頭をよぎります。

 けれども、女性の声はフルートのとまどいなどおかまいなしでした。

「フルートはそうは思わぬか? グルールは野心家じゃ。どこかに身を潜めて、ずっと復活の機会を狙っていたのであろう。今が好機と仕掛けてきたのに違いない」

 話していたのは、テト国のアキリー女王でした。ふくよかな体を豪華な刺繍の衣装で包み、肘掛けのある椅子に座ってフルートを見上げています。

 えぇと……とフルートは考えました。

 ぼくはいつからアクと話していたんだっけ? アクはいつの間にハルマスに来たんだろう? 激戦が終わってぼくが寝ている間だっけ……?

 思い出そうとしても、なんだかうまく思い出せませんでした。頭の芯がぼうっとしていて、考えもまとまりません。

 すると、女王の椅子の後ろにセシルがやってきて話しかけました。

「アキリー女王、フルートは闇の軍勢と戦ってまだ疲れが抜けきっていないのだ。話はまた後にしてもらっていいだろうか?」

「おお、そうであったか。それは気づかなくてすまなんだな」

 と女王はすぐに納得して立ち上がりました。長短の上着やブラウスを重ねた下に膨らんだズボンをはき、頭には冠のような帽子をかぶっています。

 いえ、ぼくはもう大丈夫です、とフルートは言いました。──言ったつもりだったのですが、女王には聞こえていませんでした。セシルと話しながら出て行こうとします。

 フルートはあわてて呼び止めました。

「グルール・ガウスがなんだって、アク? ガウス侯は賢者たちの戦いのときに死んでしまったはずだろう──?」

 すると、女王が立ち止まって振り向きました。聡明な目でフルートをじっと見ながら言います。

「わらわには、少しだけだが、先読みの力があるのじゃ。わらわの夢にグルールが現れた。そして、自分が仕掛けた罠を見破ってみろ、できるものか、と嘲笑ったのじゃ」

「ガウス侯が仕掛けた罠? だけど、ガウス侯は死んでしまったんだよ? それなのに、どうやって──」

 けれども、女王はフルートと話すのをやめてしまいました。またセシルと話しながら歩いていきます。

「待って、アク!」

 大事な手がかりがそこにあるような気がして、フルートは後を追いました。呼び止めているのにアキリー女王もセシルもどんどん先へ行ってしまいます。……どこまで行っても部屋の出口にたどりつかないのですが、その不自然には気がつけません。

 小さくなっていく姿を追いかけて必死に走るうちに、フルートの足元から地面が消えました。体が宙に投げ出されます。

「ワン、危ない!」

 ポチの声が響きます──。

 

 とたんにフルートは目を覚ましました。

 迫ってくる床が目に飛び込んできたので、反射的に受け身を取ります。

 どさん、とフルートは床に落ちました。とっさに守ったので頭は打ちませんでしたが、全身をしたたかに打ってしまいました。体中に痛みが走り、すぐに消えていきます。

 ポチが目を丸くして駆け寄ってきました。

「ワン、大丈夫ですか? ゼンならともかく、フルートがベッドから落ちるなんて珍しいですね」

 ゼンがそばで聞いていたら「なんだと!?」と怒ったに違いありませんが、ゼンはいませんでした。そこはハルマスの作戦本部のフルートとゼンとポチの部屋の中。フルートは寝ぼけてベッドから転がり落ちてしまったのでした。

 フルートは顔を赤らめて起き上がりました。床に座り込んで体のあちこちを眺めましたが、怪我はしていませんでした。落ちたときに打ちつけた場所も、首にかけた金の石が癒やしてくれたのです。

「夢を見たんだよ。アクが出てきたんだ……」

 とフルートは言いました。目が覚めてからも、何故だか鮮やかに思い出せる夢でした。テト国の転覆を企んだグルール・ガウスが罠を仕掛けた、とアキリー女王は言ったのです。

 そんなはずはないよな、とフルートは溜息まじりに考えました。ガウス侯は賢者たちの戦いと呼ばれる戦闘の果てに、土石流に呑み込まれてしまったのです。そのまま押し流されて行方不明になりましたが、半年後、ガウス川のずっと下流に遺体が流れ着き、着ていたものや魔法の鑑定でガウス侯と確認されたのでした。今はガウス山の麓にある墓地で静かに眠っています──。

 

 そこへ扉を開けてゼンが戻ってきました。両手に食べ物を抱えています。

「お、フルートも起きてたな。腹減ったから台所から朝飯前をくすねてきたぞ。食おうぜ」

「ワン、朝飯前? 朝飯の間違いでしょう?」

 とポチが突っ込むと、ゼンはつまらなそうな顔をしました。

「馬鹿野郎、これっぽっちで朝飯になるか。朝飯を食う前の腹ごしらえだから、朝飯前でいいんだよ」

 と話しながらテーブルに食料を並べいていきます。焼きたてのパン、チーズ、果物……茹でたて熱々の腸詰めもあったので、ポチは尻尾を振って駆け寄りました。

 ところが、フルートがいつまでも立ち上がってこないので、ゼンは尋ねました。

「どうした? 調子でも悪いのか?」

「ワン、気になる夢を見たらしいんですよ。アクが出てきたって」

「アクが? それでどうして気になるんだよ?」

 とゼンがまた尋ねました。手際よくチーズと腸詰めと果物を切り分け、半分にしたパンの上にたっぷり載せていきます。さらに蜂蜜の小瓶を取り出して垂らし、塩少々と乾燥させた香草も振りかけたので、ポチが歓声を上げました。

「ワン、フルート早く! なんだかすごくおいしそうですよ!」

 急かされて、フルートはのろのろと立ち上がりました。まだ考え込みながらテーブルに来ます。

「なんだよ、そんなに気がかりな夢なのか? どんな悪夢だったんだよ?」

「いや、悪夢じゃなかったんだけどさ……」

 とフルートは言って、ゼンから山盛りのパンを受け取りました。が、やっぱりそのままぼんやり考え続けます。

 床に置かれた皿から腸詰めやパンをほおばっていたポチが、ごくんと呑み込んでから言いました。

「夢が気がかりだってよく言うけど、本当は、気がかりなことがあるからそれを夢に見るんですよ。夢だって心配事をそのまま見るわけじゃなくて──いや、そういうときもあるんだけど──気がかりが形を変えて夢に出てくるんだって、よく言われますからね」

「あん? なんだかよくわからねえな」

 とゼンは気のない返事をしました。もう食事のほうに夢中になっていたのです。

 気がかりが形を変えて夢に出てくる……とフルートは考え続けました。ついでにどっさり具が載ったパンをほおばりますが、味などほとんどわかりませんでした。ぼくの今の気がかりはなんだろう? と咀嚼(そしゃく)しながら自問自答します。

 もちろんそれは、突然退却していった闇の軍勢の行方と目的でした。勝ち戦になりそうだった戦闘を、いきなり中断して姿を消していったのは何故なのか。どんな作戦があったのか。それを命じたのは誰だったのか。一晩眠って疲れは抜けていましたが、やっぱり疑問は疑問のままです。

 アク、君が本当にここにいたら、どう推理する?

 聡明なことで有名なアキリー女王を思い出して、フルートは心で尋ねました。ユギルほどではありませんが、予知夢の力も持っている彼女です。本当に何か気がついてくれたかもしれません。

「だから、それはグルールのしわざだと言うているのじゃ」

 そんな女王の声が聞こえた気がします──。

 

 とたんにフルートは首をひねりました。何かが思考の糸に引っかかったのです。急いでそれをたぐり寄せ、考えながら口にします。

「ガウス侯はあの時に何をしたっけ? 賢者たちの戦いのときにさ」

 はぁ? とゼンとポチは同時に聞き返してしまいました。

「なんだよ、いきなり? んなこと、おまえもよく知ってるだろうが」

「ワン、ガウス侯はアクから王位を奪って自分がテトの王になろうとしましたよ。でも、どうしてそんな話を? もう二年近くも前のことなのに」

「それはそうなんだけど……今回と似たようなことが、あの時にもなかったか?」

「似たようなこと?」

 とゼンとポチはまた聞き返し、考えながら言いました。

「あの時もガウス侯の大軍が攻めてきて激戦になったよな。戦争なんて、いつどこで起きても、似たようなもんだぜ」

「ワン、違いますよ、ゼン。フルートは敵がいきなり退却していったことを言ってるんです。でも、ガウス侯の時にそんなことがありましたっけ?」

「いや、なかった──」

 と答えたのは、他ならないフルートでした。

「なかったんだけど、似たようなことがあった気がするんだ……敵が、人が、いきなり大勢いなくなるような……」

 それを聞いて、ゼンとポチはまた考えました。食事はまだ残っていましたが、彼らも食べるのを忘れてしまいます。

「ワン、そういえば、ガウス候を追って侯の城に向かっていたとき、領地から逃げ出してきた人たちに会いましたよね? 城や城下町から人が大勢消えていった、って言ってましたよ」

「んなことあったか?」

 ゼンはすぐには思い出せなくて首をひねりましたが、フルートは思い当たった顔になりました。

「あった。城下町の隣村から逃げ出した人たちだ。彼らは見えない悪魔がガウス城や城下町に現れて人を襲っているんだと思っていたけれど、実際には──」

 そこまで話して、フルートはいきなり立ち上がりました。

「そうだ、あれに似ていたんだ! だからイベンセも──!」

 ゼンたちは驚きました。

「どこがどう似てるんだよ? 意味がわかんねえぞ」

「ワン、イベンセがどうしたんですか?」

 けれども、フルートはそれには答えずに言い続けました。

「みんなに司令室に招集をかけてくれ! 作戦会議を開く! 敵が突然消えた理由はきっとこれだ!」

 わけがわからなくて呆気にとられる仲間たちをよそに、フルートはベッドの下から防具を取り出すと、素早く身につけ始めました──。

2022年3月9日
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