戦闘が突然終了した夜、フルートはハルマスの作戦本部で緊急の作戦会議が開きました。
といっても、敵を攻めるための会議ではありません。闇の軍勢が戦闘の真っ最中に前触れもなく姿を消したので、その行方と目的について話し合おうとしたのです。
「それじゃ、ハルマスの中に侵入した敵も突然姿を消したんですね?」
とフルートに訊かれて、オリバンはうなずきました。
「そうだ。将軍は私たちで倒したが、闇の兵士はまだ大勢いた。おそらく三百から四百はいただろう。それが戦っているさなかにいきなりいなくなったのだ」
「どうやらフルートたちと同じタイミングで退却したみたいだな。まだ勝負はついていなかったのだから、不自然な行動だ」
とセシルも言いました。なんとも腑(ふ)に落ちない、という顔をしています。
そこへメールとルル、ゼンとポチが次々司令室に入ってきました。
「レオンの様子を見に病院に行ってきたよ。レオンもビーラーもだいぶ元気になってた。まだ鳩羽さんに安静を言い渡されてたけどね」
「レオンたちは大部屋じゃなくて個室だったんだけど、ペルラが付き添ってたわ。あの二人、なんだかいい感じだったわよ」
「俺たちは湖で渦王と会ってきたぜ。あっちはあっちで大変だったみてえだ」
「ワン、防壁に沿って南下したジブが、湖からハルマスに侵入しようとしていたんですよ。二万もの大軍だったから、渦王が海の戦士たちと必死に防いでいたんだけど、戦闘中にいきなり退却していったそうです」
「湖でも同じ事が起きていたのか──」
とフルートは考え込んでしまいました。やはり、どう考えても唐突で不自然な敵の行動でした。目的が読めません。
「竜子帝たちはまだ戻ってきてねえんだな?」
ゼンが司令室の中を見回して言ったので、オリバンが答えました。
「竜子帝からは先ほど連絡が入った。敵と激戦になっていたが、ワルラ将軍の部隊や東で戦っていた飛竜部隊が駆けつけ、さらにハルマスから出撃したユラサイの属国軍も駆けつけたので、敵を完全に制圧できたそうだ。ここの敵は退却ではなく全滅だ」
「ワン、ワルラ将軍たちが援軍に駆けつけたから勝てたんですね。ユギルさんが占ったとおりになったんだ」
とポチが言うと、ユギルは司令室の片隅から首を振り返しました。
「先に敵の動きを読んだとき、わたくしには敵が竜子帝とワルラ将軍の部隊に挟まれて行軍が遅くなるとしか見えませんでした。そこへユラサイの属国軍を送り込んだのは、勇者殿でいらっしゃいます。その一手が敵を全滅へ追い込んだのでございます」
「それはみんなの協力の成果です」
とフルートは言ってから、仲間たちに続けました。
「竜子帝たちは今夜はハルマスに戻ってこない。飛竜たちが疲れてしまっているし夜間の飛行は危険だから、今夜は野営をして明日の朝帰投するそうだ。ワルラ将軍たちやユラサイの属国軍も、明るくなってから帰ってくると言ってるよ」
「人間は夜目が利かねえもんな。しかたねえか」
とゼンが言いました。見た目はどんなに人間に近くても、中身は限りなくドワーフのゼンです。
ルルが言いました。
「それじゃ、作戦会議に参加できるのは、ここにいる人たちだけなのね? 青さんや赤さんのほうの戦いはどうなったの? 西へ行ったトーマ王子とザカラス軍は?」
とたんにオリバンとセシルが顔を見合わせました。気のせいか、オリバンは急に不機嫌に、セシルは困惑の表情になったように見えます。一行が不思議に思っていると、ユギルが言いました。
「トーマ王子は、ハルマスの上空で隕石の爆発したのをご覧になって、ハルマスに危機が迫っているとお気づきになりました。ザカラス軍を率いて引き返してきて、この作戦本部とメーレーン様を敵からお守りくださったのです」
「トーマ王子が!?」
と一行は驚きました。フルートも初めて聞いた話だったので目を丸くしましたが、すぐに納得した顔になりました。
「そういえば、トーマ王子にはラクさんが自分の作った呪符を渡すと言っていたっけ。それを使って戦ってくれたのか」
「へぇ。やるじゃねえか」
「じゃあトーマ王子も今この作戦本部にいるんだね? どうして会議に混ざんないのさ?」
「ワン、それにどうしてオリバンは不機嫌なんですか?」
口々に言う勇者の一行に、セシルはますます困惑した顔になりました。オリバンはいっそう仏頂面になります。
「別に不機嫌などではない」
今度は勇者の一行が顔を見合わせました。人の感情の匂いを嗅ぎ分けられるポチが言っているのですから、間違いないはずなのですが──。
ユギルがまた穏やかに言いました。
「メーレーン様がトーマ王子をお放しにならないのでございます。敵が本部に侵入して大変危険な状況になっていたようでございます。衛兵が二人殺され、メーレーン様を守ろうとしたアマニ様も重傷を負いました。トーマ王子が駆けつけなければ、メーレーン様もアマニ様も今頃はこの世においでにならなかったでしょう。殿下はそれを悔やんでおいでなのです」
「当然だ! 私はこのハルマスにいたというのに、むざむざ妹を殺されるところだったのだぞ! 不甲斐ないではないか!」
とオリバンがどなるように言い返します。
ところが、ポチは首をひねりました。
「ワン、それだけですか? なんだかオリバンからは嫉妬の匂いもするんですけれど」
オリバンはたちまち真っ赤になり、セシルはぷっと噴き出しました。フルートやゼンにはなんのことかわかりませんでしたが、少女たちはすぐに気がつきました。
「なぁんだ。オリバンったら、トーマ王子に妹を取られそうで腹を立ててたんだ」
メールが単刀直入に言ったので、ユギルさえ笑いをこらえる表情になります。
「やだ、メーレーン姫がトーマ王子を好きなのなんて、もうずっと前からわかってたことじゃない。ねえ、ポポロ?」
「ええ、オリバンも知ってるとばかり思っていたんだけど……」
ルルやポポロにもそんなふうに言われて、オリバンはますます憤慨しました。
「メーレーンはまだ十五歳だぞ!?」
「あたいたち海の民なら、もう立派な大人だよ。みんな十四で結婚して子どもを産むんだからさ」
とメールが平然と言い返します。
「おまえたちと人間を一緒にするな──!!」
オリバンがついにどなったので、セシルが見かねてなだめました。
「あまり大きな声を出すと下の階に響くぞ、オリバン。メーレーン姫もトーマ王子も目を覚ましてしまう」
「二人ともお休みなんですか?」
とフルートは聞き返しました。
「疲れ果てていたからな。メーレーン姫は怖い思いをしたし、トーマ王子のほうは慣れない術をたくさん使って消耗したようだ。今は二人ともよく寝ている」
セシルに説明にフルートはうなずきました。そういうことならばトーマ王子は抜きで作戦会議をするしかなさそうでした。
すると、入り口からくちばしのある青緑色の顔がのぞきました。
「あんのぉ……おらは中さへぇってもいいべか?」
頭に皿を載せた河童でした。もちろん、とフルートたちが言ったので、河童はオリバンの機嫌を気にしながら司令室に入ってきて頭を下げました。
「メーレーン姫様をおっかねえめに遭わせちまっだごと、おらにも責任があっがら、申し訳ねえと思っでます」
戦闘が始まったとき、河童はこの作戦本部の司令室にいたのです。
「それはあなたの責任ではない。あなたは本部の外に出て敵と戦っていたのだから」
とセシルはあわてて言って、オリバンを肘で促しました。
「むろんだ。あの時、ハルマスの中にいた魔法使いは、薄紅と河童の二人きりだった。たった二人で闇の敵と戦ってくれていたのだから、本部の中まで手が回らなかったのは当然だ。メーレーンも無事だったのだから、気にすることはない。よく戦ってくれた」
とオリバンがねぎらったので、河童もやっとほっとした顔になりました。改めて姿勢を正して言います。
「実は隊長と連絡がつきましただ──」
勇者の一行はたちまち河童を取り囲みました。
「赤さんと連絡がついたんだね!?」
「ずっと連絡がなかったじゃねえか! 無事だったんだな!」
「赤さんとだけ? 青さんは?」
「赤の隊長も青の隊長も無事だで。だげんぢょ、二人どもうんとくたびっち、今すぐには動かんにだ」
と河童が言うと、フルートはうなずきました。
「赤さんも青さんも、敵の将軍と一騎討ちするのに聖守護獣を呼んだ。戦いの後はしばらく動けなくなりますよね」
「そんだけでねえ。青の隊長は大怪我もしたみてぇだ。だげんぢょ、妖怪軍団と魔法軍団が船で駆けつけだがら、青の隊長も命拾いしだって話だで」
「ワン、青さんも危なかったんですね? 闇の森に行ってた部隊が助けてくれたんだ。よかった!」
とポチが言い、仲間たちもほっとします。
そこへオリバンとセシルも加わってきました。
「赤の魔法使いと青の魔法使いも激戦だったようだな。無事で本当に良かった」
「彼らのところでは勝負がついたのか? それともやっぱり敵が急に退却したんだろうか?」
「隊長だぢは敵の将軍二人と一騎討ちして倒しただ! みんなが乗っだ船も明日の朝にはここさ戻ってきますだ!」
と河童が自分のことのように胸を張って報告します。
フルートはまた考え込みました。
「敵には四天王と呼ばれる将軍がいて、そのうちの二人が生き残っていたけれど、赤さんや青さんと一騎討ちして二人とも倒された。さらに、新しい将軍が二人誕生したけれど、タペ将軍のほうはオリバンたちに倒された。残りはぼくたちと戦っていたダルダン将軍だけだが、奴は戦闘の最中に部下と一緒に姿を消してしまった──。少なくとも、将軍ひとりと部下たちが行方不明の状況だ」
「闇王のイベンセもだ。新しい作戦に移ったのだろう。問題はそれがどんな作戦なのか、ということだな」
とオリバンが言うと、フルートだけでなく、仲間たちまでが考え込んでしまいました。納得しきっていない雰囲気に、どうした? とセシルが尋ねます。
「なんかさぁ──作戦があって退却させたにしては、イベンセの様子がおかしかったんだよね」
とメールが言うと、仲間たちはいっせいにうなずきました。
「なんだか怒っているようだったわよね」
「畜生、ってどなっていたわ……」
「自分で退却させたんなら、あんなふうには怒らねえよな? 無理矢理退却させられたって感じだったぞ」
「ワン、勝ち戦になりそうだったのに退却させられて怒っていたんですよ、きっと」
オリバンやセシルは驚きました。
「勝ち戦から退却させられた?」
「誰に? それに、なんのために?」
「それがよくわかんないから悩んでるんだよねぇ」
そう言って、勇者の一行は深く考え込んでいるフルートを見つめました──。