ハルマスの砦の南側に広がるリーリス湖で、海の王女のペルラは息を呑んでいました。
彼女はシードッグに変身したシィに乗って湖の真ん中に浮いています。その目の前の水面が激しく色と明るさを変えていたのです。
「ねえ、ねえ、ペルラ! 湖が明るくなったり暗くなったり、何が起きているの!?」
シィも驚いて尋ねてきます。
「湖の防御網よ」
とペルラは答えて、湖の中に沈めてある魔法の網を見つめました。湖を東西に横切るように張り渡してあって、両端はハルマスの防塁の柵に続いています。それが突然まぶしい銀色に輝き、すぐに暗くなり始めたのです。
「シィには見えないかもしれないけど、この網には光の防御魔法が常に流れてるわ。さっき、急にそれが弱くなったと思ったら、いきなり銀色に光って、また弱ってきたのよ」
「どうして? 何が起きているの?」
とシィがまた尋ねました。原因はわからなくても何かを感じ取っているのでしょう。水面からのぞく網を不安そうに眺めます。
「この魔法の色には見覚えがあるわ。レオンよ。彼が防御網に自分の魔法を流し込んだんだわ」
「どうして?」
「わからない。でも、さっきからシルフィードたちが騒いでいるの。砦のほうで何か起きているんだわ──」
ペルラはそう言うと、シィの頭の上に立ち直して空へ手を伸ばしました。湖の上を渡って行く風の精霊へ呼びかけます。
「ここへ来て、シルフィード! 何が起きているか教えてちょうだい!」
すると、風の中に透き通った人のようなものが姿を現しました。風と共にやってきて、ペルラの青い髪を揺らしながら通り過ぎていきます。うん、うん……とペルラはうなずいてから、またシィに言います。
「思ったとおりよ。闇の大軍が砦に近づいているわ。東と北に現れているみたいね」
「だからレオンが魔法で防御を強めたの? でも、じゃあ、なんでそれが弱くなっていくの?」
水面に顔をのぞかせている網の上部は細いロープのようですが、水面の波に呑まれて見え隠れするようになっていました。光がますます弱まって、見えにくくなってきたのです。
「わからないわ。でも、絶対いい状況じゃないわよね。待ってて。シルフィードに調べてもらうから」
とペルラは言って、また風の精霊に呼びかけました。レオンを見つけて、彼が何をしているのか確かめてちょうだい、と頼みます。
とたんに、ぱたりと風がやみました。
水面にさざ波を立てていた風がなくなったので、湖が鏡のように静まっていきます。
しん、と静寂が訪れ、代わりにどこか遠くから雄叫びや竜の鳴き声が聞こえてきます──。
「シルフィードが逃げちゃったわ」
とペルラは目を丸くしました。こんなことは初めてです。
「そっちへ行くのは嫌だ、って言われたのよ。レオンは──レオンたちはすごい敵と戦っているんだわ。闇王か、セイロスか……。きっとそうよ! あたしたちも行かなくちゃ!」
ペルラの青い瞳がいきなり強く燃え出しました。敵がどれほど強くてもひるまず立ち向かおうとするのですから、彼女もやはり海の戦士です。驚くシィに言います。
「行くのよ、シィ! あたしたちも参戦よ!」
「で、でも、ペルラ、どこへ!? それにあたしは水の中しか泳げないのよ! あなただって海の魔法しか使えないんだから──キャン!」
頭を思い切り蹴られて、シードッグは悲鳴を上げました。
ペルラが怒って言います。
「シィは犬になれば陸を走れるじゃない! あたしだって陸でも魔法は使えるわよ! ただ水を離れると少し弱くなるだけだわ!」
「だ、だって、敵は闇王なんでしょう? セイロスなんでしょう? 無理よ、ペルラ!」
シィは半泣きになって引き止めました。自分ではなくペルラを守りたい一心でしたが、ペルラは思いとどまりませんでした。
「いいわ、怖いならシィはここにいなさい! あたしだけで行くから!」
と言い捨て、湖に飛び込んで岸へ泳ぎ出します。
「ペルラ──!」
シィが泣きながら後を追いかけます。
すると、ペルラが急に水の中で停まりました。立ち止まったのではありません。泳ごうとするのに、突然前へ進めなくなったのです。
「なに? 何よ、これ!?」
驚いているところへシィが追いつきましたが、彼女も同じように前進できなくなってしまいました。湖の水が壁のように行く手に立ちふさがっています。
さらに水がぐるりとペルラとシィを囲んで迫ってきたので、彼女たちは焦りました。
「あたしに乗って! 早く!」
とシィに言われてペルラはあわててシードッグの頭に這い上がりました。シィは全力で泳いで堅い水から逃れようとしますが、かないませんでした。まるで巨大な手につかまれたように、周囲を水に取り巻かれて動けなくなってしまいます。
「シィ!」
ペルラは湖へ魔法を撃ち出しましたが、水に跳ね返されてしまいました。シィは脱出できません。
ペルラは両手を高く差し上げると、呪文を唱え始めました。
「イー・ライ・リリー……!」
湖に竜巻を起こして、束縛を振り払おうというのです。上空に黒雲が湧き起こって風が吹き出します──。
が、彼女は呪文を完成させられませんでした。突然声が出なくなったのです。頭上の雲が散って青空に戻ってしまいます。
必死で敵の姿を探すペルラとシィに、どこからか声が聞こえてきました。
「騒々しい。なにごとだ」
彼女たちから離れた水面が盛り上がって、湖の中から何かが飛び出してきました──。