「隊長から報告! 敵の本隊がこっちさ大移動を始めただ!」
河童が赤の魔法使いの心話を伝えたので、作戦本部の司令室に緊張が走りました。
「敵の数は四万ぐれぇ! 怪物はだいたいやっづげだがら、ほとんどが闇の兵士どもだで!」
四万の闇の軍勢──と司令室の一同は息を呑みました。今ハルマスにいる味方の倍以上の数です。
「いくら飛竜部隊やユラサイの術師でも、そんな数の敵は防げないぞ!」
とセシルが言いました。ハルマスの東側に出撃している飛竜は三百頭近くいますが、飛竜に乗って敵を攻撃する術師は五十名足らずしかいなかったのです。
「青の魔法使いと赤の魔法使いはどうしているのだ!?」
とオリバンが厳しい声で尋ねたので、河童は必死に答えました。
「隊長だぢは敵の将軍と一騎討ちしてるだ! 聖守護獣で! 隊長だぢには本隊を停めらんにだよ!」
「赤さんも青さんも聖守護獣を呼んだんだね──」
とメールが言いました。聖守護獣は四大魔法使いたちの切り札です。それを出すほど激しく将軍と戦っているのでした。
河童は聞き耳を立てるように一瞬黙ってから、また声を上げました。
「隊長からまだ報告! 目の前の戦闘に集中すっがら、しばらく連絡でぎねえそうです!」
戦闘が激しくなりすぎて、心話で報告する余裕がなくなったのです。河童が黙り込むと司令室もしんと静まりかえりました。魔法使いと将軍の激戦も、怒濤のように押し寄せてくる四万の敵も、作戦本部からは直接感じることができません。司令室の窓の外に広がる空は、この状況が嘘のように青く晴れ渡っています。
「ワン、ポポロにも敵の様子が見えないんですか?」
とポチが尋ねました。ポポロから他の者たちと同じ困惑の匂いがしていたからです。
彼女はたちまち涙ぐみました。
「今回は最初からなのよ……闇の軍勢は元々透視できないんだけど、戦場の様子もよく見えないの。まるで砂嵐かなにかに包まれてるみたいにかすんでしまってるのよ……」
「敵が戦場の透視を邪魔しているんだ」
とフルートは言い、すぐに占者を振り向きました。
「ユギルさんは? ユギルさんにも敵の動きは見えませんか?」
銀髪の青年は先ほどからテーブルの地図を眺めていました。地図の上には敵味方を表す黒と白の木片が置かれています。
「敵は強力な魔力で存在を隠しておりますので、わたくしにも敵の居場所を見ることは困難でございます」
と銀髪の占者は答えましたが、一同ががっかりする前に白い木片を取り上げて続けました。
「ですが、わたくしにはまだ味方の動きが見えております。次に戦闘が激しくなるのはここ。竜子帝に率いられた飛竜部隊が激戦に突入いたします」
と飛竜部隊のマークがついた木片を地図に置き直します。木片が最初にあった位置よりハルマス寄りだったので、一同はまた顔色を変えました。
「竜子帝たちが敵に押されるってことかよ……」
とゼンが唸ります。
「竜子帝たちだけで防げますか?」
とフルートはまたユギルに尋ねました。今、ハルマスの戦力は本来の半分ほどになっています。闇の森へ敵の掃討に出た妖怪軍団や魔法軍団、エスタ軍やメイ軍がまだ戻ってきていなかったからです。
「いかに闇に強い術師たちでも、この数では多勢に無勢でございます。ただ、味方が近くまでやってきております」
味方? と一同は聞き返しました。すぐにポポロが声を上げます。
「天空の貴族たちですね! マロ先生たちが来てくれたんだわ──!」
ところがユギルは首を振りました。味方は天空軍ではなかったのです。代わりに新たに白い木片を取り上げ、敵の後ろ、つまり東側に置きます。木片にロムド軍のマークが記されていたので、全員は驚きました。
「我が軍だったか──! ようやく戦場にたどり着くのだな。だが、何故こんなに時間がかかったのだ?」
とオリバンがいぶかりました。ワルラ将軍に率いられたロムド軍は、敵の出現に真っ先にハルマスを飛び出したはずだったのです。
ロムド軍が置かれた場所を見て、フルートが言います。
「ワルラ将軍は、敵が地中から現れたから、その背後に回って青さんや赤さんたちと挟み撃ちにするつもりだったんだ。でも、その前に敵が大移動を始めたから、後を追ってきたんだな」
「さようでございますね。敵は大勢ですが、ロムド軍と飛竜部隊に挟み撃ちにされて、進みが鈍るようでございます」
とユギルが戦闘の先の動きを読みます。
フルートは地図を見ながら考え、すぐに司令室の外へ言いました。
「ハルマスに在中しているユラサイの属国軍に伝令! ただちに竜子帝たちの援護に出撃! 東からの闇の軍勢を迎え討つんだ!」
「了解!」
司令室のすぐ外で待機していた伝令が、命令を伝えるために走っていきました。
「ユラサイの属国軍ってどのくらいいるの?」
とルルが尋ねたので、ポチが答えました。
「ワン、およそ一万五千だって、竜子帝が言ってたよ」
相当の人数ですが、竜子帝たちやロムド軍と併せても敵の数にはとても及びません。無事に敵を撃退できるんだろうか、と誰もが考え、フルートの表情を伺いますが、フルートは黙ったままでした。司令室にいる強力な仲間たちに「ぼくたちも出撃しよう」とは言いません──。
すると、そこへいきなりレオンが現れました。白い雄犬のビーラーも足元にいます。
「噂をすれば、か。やっと天空軍が到着したんだな?」
とゼンが安堵すると、レオンは首を振りました。癖で丸い眼鏡を押し上げて言います。
「そのことで報告に来たんだ。マロ先生から連絡があった。中央大陸の各地にまた大量の怪物が出現して、町や村を襲い始めた。前回とまったく同じだ。抵抗する力がない一般の人間が襲われている。マロ先生たちはそれを無視してハルマスに駆けつけるわけにいかなくて、怪物と戦っている。とにかく数が多いから、全部を退治するまでにはまだ時間がかかりそうなんだ」
一同はまたびっくりしました。
「どうして今頃また怪物が来るのさ!?」
「そんなのこの前全部やっつけたはずでしょう!?」
「これも闇王のしわざだよ。ここに天空軍を駆けつけさせないようにしているんだ──」
とフルートは言って唇をかみました。天空軍の貴族たちはそれぞれが戦人形を連れているので、闇の怪物との戦いもそれほど大変ではないはずですが、数が多ければそれだけ手間取ります。一見地味でも、光の同盟軍の戦力を削ぐには有効な手立てだったのです。
「襲われてる住人に、こっちの戦闘のほうが大事だから自分たちで怪物と戦え、って言うわけにはいかないよねぇ」
とメールがぼやいて、馬鹿なことを! とセシルに叱られました。
メールは口を尖らせました。
「海の民ならそれで納得するんだよ。海の軍勢は一番大事な戦場に戦いに行くんだって、みんな知ってるからさ。でも、人間はそういうわけにはいかない気がするんだよね」
ユギルがそれにうなずきました。
「一度天空の貴族に助けられた住人は、次もまたきっと助けてくれるだろうと考えます。それなのに天空の貴族が別の戦場に走れば、住人は裏切られたと感じて貴族を憎むことでございましょう。それが同盟軍としての指示だとわかれば、同盟軍をも恨むかもしれません。人は往々にして、最初から何もしてくれなかった者よりも、一度助けて二度目に助けてくれなかった者のほうを、強く憎むようになるのでございます」
メールはますますふくれっ面になりました。
「それ、人は、じゃなく、人間はって言ってくんないかな。あたいたち海の民は違うんだからさ」
「ドワーフも違うぞ。んなことで恩人を恨んだりしねえ。勝手に期待して勝手に裏切られたと思って憎むなんてのは、いかにも人間らしいぜ」
とゼンも言います。
自然の民の二人は相変わらず人間には辛辣です。
「それでも彼らをを見捨てるわけにはいかないんだよ。抵抗する方法がないんだから」
とフルートが言ったので、ゼンとメールは口を尖らせます。
と、ゼンが急に自分の首筋へ手を当てました。いきなりちくちくと危険を知らせ始めたのです。
レオンもはっとしたように顔を上げます。
「闇の気配が強くなってきた! 敵が現れるぞ!」
敵が!? と一同は地図の上の木片を見ました。東から押し寄せる敵が竜子帝たちを押し切ってハルマスに到達したのでは、と考えたのです。
ところが、フルートだけは司令室の窓を見ました。窓の外には、すぐ目の前に迫るように、砦の北の防壁がそびえています。
「やっぱり来た! 敵だ!」
「そんな、敵は東に──」
と言おうとしたセシルは、北の防壁に這い上がってくる黒い霧に気がつきました。土を積んだ防塁の上に生き物のように広がり、防塁の上の柵に沿って広がっていきます。
「なんだ、あれは!?」
とセシルは驚きましたが、司令室の他の者たちは何も言いませんでした。いぶかしむように、確かめるように、ひたひたと這い上がってくる黒い霧を眺めています。霧は流れながら寄り集まり、表面にこぶのような塊を作っていました。塊は小さな人や動物のようにも見えます。
「オリバン! フルート! どうした!?」
仲間が呆けているのでは、とセシルが焦っていると、ゼンやメールが顔をしかめました。
「畜生、見覚えがあるぞ」
「仮面の盗賊団とやり合ったとき、だっけ? 出たよね、あんなヤツ」
ポポロも青ざめてフルートの腕をつかんでいました。
「あれって……」
フルートがうなずきオリバンへ言いました。
「生きた霧の怪物の禍霧(かむ)だ。間違いない」
「あのやっかいな闇の霧か。闇王が送り込んできたな」
とオリバンも唸るように言います。
ユギルは黙ったまま窓の外を眺めていました。黒い霧は防塁は越えられても、その上に巡らした光の柵は越えられなくて、柵の外側にへばりついています。さざめくような声が分厚いガラスの窓越しに聞こえてきます。
「アソコに行けって言われたヨ」
「ウン、あそこに餌がアルって闇王サマが言ったんだよ」
「でも、このサクが邪魔だなぁ。コレ、光のサクだよ」
「光はキライだナァ」
声は黒い霧から聞こえていました。霧が寄り集まってできた小さな人や動物がしゃべり合っていたのです。小さな子どもが話し合っているようにも聞こえます。
「あれが禍霧か……。実物を見るのは初めてだな」
とレオンが言ったので、ビーラーが聞き返しました。
「霧の姿の怪物なんだな?」
「闇の国に生息する怪物だ。どんなものも霧の体に包み込んで、溶かして消化すると言われている」
「どんなものも? なんだか危なそうじゃないか。弱点はないのか?」
「闇の怪物だから光に弱い。だから光の柵を越えられないでいるんだ。焦ることはない。柵がある限り中には──」
ところが、話をさえぎるようにフルートが言いました。
「禍霧は力を与えられると光も食うようになる。北の防壁を突破しようとしているんだ」
「そんな馬鹿な、そんな話は聞いたことがないぞ! ぼくが読んだ本では禍霧は──」
けれども、彼らの目の前で、禍霧はおしゃべりをやめ、黒い霧に戻って光の柵に這い上がってきました。柵の先端を乗り越えて呑み込んでいきます。
「柵が食われてる!?」
とビーラーは驚きました。柵に張り巡らした蔓に流れる光の魔法が禍霧へ吸い取られていく様子が、彼やレオンの目には、はっきりと見えたのです。
「防壁を守らないと! 行くぞ!」
とフルートは叫び、仲間たちと一緒に司令室を飛び出していきました──。