「皆様方、大変です!」
そう言ってハルマスの司令室に突然現れたのは、鳩羽の魔法使いでした。どこかから全速力で駆けてきたように、肩で息をしています。
司令室にいた一同は目を丸くしました。
「どうしたんだよ、んなにあわてて?」
「鳩羽さんは紫ちゃんと病院に行ったはずだろ?」
ゼンやメールが尋ねると、魔法使いは首を振りました。
「ロムド城の隊長から急な連絡があったので、急いで飛んできたのです──!」
鳩羽の魔法使いは白の部隊に所属しているので、隊長の白の魔法使いの心話を受け取れるのです。赤の部隊の河童が赤の魔法使いの声を聞くことができるのと同じです。
「白さんがなんて?」
とフルートに訊かれて、鳩羽の魔法使いは話し続けました。
「西の街道のラトス付近でサータマンの疾風部隊が目撃されました。その数は不明ですが、街道を通過せずに荒野を東へ疾走していったそうです!」
「街道を通過しなかった!?」
フルートは驚いて声が大きくなりました。
「はい、街道の要所には魔法軍団がおりましたが、誰も疾風部隊は目撃しておりません。どうやら完全に街道を避けて疾走しているようです!」
鳩羽の報告にフルートが青ざめたので、ゼンが不思議がりました。
「なんでそんなに焦るんだよ? 馬なら街道じゃなく荒野を走るほうが速いくらいだし、まして疾風部隊なら荒野だって平気で走るぞ。んなに驚くことじゃねえだろう」
すると、同じく厳しい顔つきになったオリバンが言いました。
「そうではない。いくら疾風部隊でも補給なしで走り続けることはできん。特に水は重要だ。荒野は水を手に入れるのが困難な地域だから、敵は水路がある街道を侵攻してくるはずなのだ」
その地域の特性を利用して、ロムドに攻め込んだセイロスの軍勢を街道の途中で撃退したのが、一年前の二人の軍師の戦いです。
フルートは青い顔で考え込みました。
「そう、だから今回も西から来る敵は街道を通ってくるとばかり思っていたんだ。でも、敵は街道を通らない……。どういう方法かわからないけれど、街道沿いで補給しなくても進軍できるようになったんだ」
それに応えるように、鳩羽の魔法使いがまた言いました。
「白の隊長からの伝言です。魔法軍団は正規軍と共に街道で敵を食い止める作戦だったが、裏をかかれたらしい。疾風部隊の後にはサータマン連合軍の本隊がやってくるが、街道を通らなければ、かなりのスピードで進軍するだろう。西からの襲撃が予想より早い可能性があるので、充分注意してほしい──以上です」
「ありがとう。わかりました」
とフルートは答えると、そのままさらに深く考え込んでしまいました。拳を口元にあてたまま、何も言わなくなります。
「ワン、途中で補給しなくても進軍できるなんて、どうやっているんだろう?」
「魔法のしわざのような気がするわね。ポポロ、どう?」
犬たちに尋ねられて、ポポロも考え込みました。
「そうね……事前に別空間に食料や水や飼い葉を準備しておいて、そこから取り出すようにすればいいと思うけど……」
すると、鳩羽が驚いて反論しました。
「失礼だが、それほど大量の物質を異空間から出し入れするのは、相当な高等魔法です! 我が魔法軍団でも、隊長たち四大魔法使いでなければ使えません。西から来る敵にも魔法使いはいるでしょうが、そこまでの魔法の使い手がいるとは聞いたことがありません」
たちまちポポロは涙ぐみ、ごめんなさい……とメールの後ろに隠れてしまいました。
メールが溜息をついて言います。
「そう決めつけることでもないさ。敵の中にセイロスがいれば、そんなことくらい軽々できるはずなんだから。前回あたいたちに水断ちされてえらく苦労したから、今回はしっかり準備してきたんだろ」
それは大いに考えられることだったので、全員は、なるほど、と納得しました。
「とすると、やっぱり西からの敵の中にセイロスがいるのか」
とセシルは言って、地図に置くために数個の木片を取り上げました。ロムド国の西部の、街道から外れた場所に黒い木片を置き、さらにもっと西の方に大きな黒い木片を、その上に黒い石を置きます。小さい木片はサータマン軍の疾風部隊、大きな木片はサータマンやルボラスの連合軍の本隊、黒い石はセイロスを表しています。
ユギルがそれをのぞき込んで、すぐに失望した顔になりました。地図の木片や石でセイロスの居場所が明らかになるのでは、と期待したのですが、だめだったのです。代わりに地図上に味方の動きが見えたので、そこへ白い木片を置いていきます。
「陛下が迎撃のために正規軍を出動させました。ただし、敵が街道から来るものと思って、西の街道を進んでおります。魔法軍団はおふれを持って街道の各地に飛びましたが、白殿の命令で再びロムド城に戻っております」
それを聞いてフルートは我に返りました。少しの間、地図を見つめてから、ユギルの肩先に浮いている白い石へ言います。
「陛下、そこにいらっしゃいますか?」
「いるぞ。話は聞こえている」
とロムド王の声が石から聞こえてきました。それで部屋の一同は遠見の石がロムド城とつながっていたことを思い出しました。
ロムド王が話し続けました。
「敵を迎え討つために出陣した軍の指揮官はゴーラントス卿だ。だが、こちらにも敵が街道を通っていないという情報は届いている。魔法使いと共に荒野の敵を見つけ出して迎撃するよう、追って命じたところだ」
「それがいいと思います。こちらでも西の守りを厚くします。東で戦闘が起きていますが、戦力にはまだ余裕があるので、命がけで敵を防がなくても大丈夫だと、ゴーリスに伝えてください」
フルートとしては大真面目で言ったのですが、ロムド王は面白いことを聞いたように声を上げて笑いました。
「それをゴーラントス卿に伝えたなら、『馬鹿者、弟子が師匠の心配などするな!』と怒り出すのではないかな? だが、承知した。ゴーラントス卿に、無理な迎撃はしないよう伝えよう」
「よろしくお願いします」
とフルートが言うと、ロムド王の声は聞こえなくなりました。どうやら先方ではおしゃべり石の力を起動させたり停めたりすることができるようです。
「正規軍も荒野に出るのだな」
とオリバンは言って、西の街道にあった白い木片を街道の南へ動かしました。疾風部隊の木片が街道の南側に置かれていたからです。
「こちらはこうします」
とフルートはハルマスの砦を描いた別の地図から白い木片をいくつも取り上げて、広域の地図のハルマスの西側へ次々置いていきました。ハルマスの西に幾重もの防衛線ができます。
「最前線はオーダが率いているエスタの辺境部隊に頼もう。その後ろはトーマ王子のザカラス軍だ」
とフルートが言ったので、メールが首をひねりました。
「ザカラス軍はともかく、オーダが最前線って大丈夫なのかい?」
普段かなりちゃらんぽらんに見えるオーダなので、それも当然の心配でしたが、フルートは落ち着いていました。
「オーダが最適なんだよ。オーダたちは傭兵だから、絶対に無謀な突撃なんかはしない。でも、手柄を立てないと給料が上がらないと言っていたから、戦果は上げたい。そうなれば、一番被害の少ないやり方で敵を停めようとするはずだからな」
「ああ、そういや、飛竜部隊の戦いんときにも、セイロスに味方したダントスとかいう貴族の基地を、オーダたちが壊滅させたんだったな。あの後、オーダは褒美を四倍よこせと連発してたもんな」
とゼンが思い出して言います。
白と黒の木片をいくつも置いた地図は、まるでチェスの盤上のようになってきていました。フルートが疾風部隊の黒い木片を南東の方角へ進めながら言います。
「敵の目的はハルマスなんだから、疾風部隊はこう動くはずだ。ゴーリスが率いる正規軍の動きはこう──途中で疾風部隊と遭遇して戦闘になるかもしれないし、疾風部隊の速度に追いつかなくて後方に回るかもしれない。でも、それならそれでありがたいんだ。オーダたちの辺境部隊とゴーリスの部隊で疾風部隊を挟み撃ちにできるからな」
「各個撃破か。基本中の基本だな」
とオリバンが言いました。皮肉や批判ではありません。戦闘というのは、規模の大小にかかわらず、基本的な戦法をきちんと踏まえて戦うことが大事なのだ、と百戦錬磨の皇太子は身にしみて知っていたのです。敵味方があっと驚くような奇抜な作戦も、ときにはありますが、それは基本を忠実に実行するからこそ効果を発揮するのでした。
「後ろから来る本隊はどうするのさ? サータマンやルボラスや、他にもいろんな国の兵隊が集まってるんだから、人数も相当だろ?」
とメールが尋ねました。荒野の西にある敵の本隊の木片は、かなりの大きさです。
「そっちも何かの方法で分裂させて各個撃破したいな──。ただ、問題はセイロスだ。奴がこの中にいたら、そう簡単にはいかないだろう」
とフルートは答えて、木片の上の黒い石を見つめました。本当にそこにいるのかどうか、実際にはまだわからない存在です。
ユギルも黙って木片を眺めていました。フルートたちが地図上に作っているのは作戦図と呼ばれるものですが、ユギルにとってはそれも占いの場でした。疾風部隊もそれに続く敵の本隊も、実際の進路はフルートの予想よりもっと北寄りになる、と占いは告げています。街道を避けながら真東に進軍して、ほとんど無傷のままで王都ディーラへ襲いかかるのです。
けれども、ユギルはそれを口に出すことができませんでした。言えば最後、勇者の一行もオリバンやセシルも、ディーラを救うために出撃してしまいます。そして、その結果フルートとオリバンは命を落とすのです。
東からは闇王の軍勢がハルマスに接近していて、こちらも予断を許さない状況でした。勇者の一行がいなければ勝てない戦いです。真実が見えていても、ユギルにはそれを伝えることができません──。
すると、フルートがふと地図の北に目を向けました。敵の本隊と王都ディーラを見比べて言います。
「ディーラの守りも固めたほうがいいな。敵がハルマスに直行しないで、ディーラで略奪を働こうとするかもしれない」
けれども、オリバンはその案に賛同しませんでした。
「通常の敵であればその可能性もあるが、本隊はあのセイロスに率いられているのだぞ。奴はいつも素早く移動して本拠地をたたいてくる。街道さえ通過せずに急いでいるのだ。王都に回るとは考えにくい。戦力はできるだけハルマスに集中させておくべきだ」
「本隊にセイロスがいればね。でも、いないかもしれない。そうなれば、敵国でできるだけ宝を手に入れようと考える部隊だって出てくるだろう」
「私はフルートの考えに賛成だな、オリバン」
とセシルがフルートの側に回りました。
「サータマン軍はサータマン王に率いられている。あの王の欲深さは天下一品だ。しかも南大陸のルボラス国も共に行動している。私のメイ国はルボラスとも交易があったからよく知っているが、あの国はとにかく利益優先だ。この戦いに加わってきたのだって、参戦することで利益が得られると考えているからだ。行きがけの駄賃にディーラを襲撃して、ロムド城から財宝を盗もうとしたって、まったく不思議はない」
セシルにそんなふうに説得されて、オリバンも、ふぅむ、と考え込んでしまいました。
「いかにも金に汚い人間らしいよね」
「まったくだな」
とメールとゼンがうなずき合います。
フルートは地図を見ながら言いました。
「じゃあ、こうしよう。ハルマスからディーラへ兵力は割かない。その代わり、ディーラの周囲で待機している外国からの援軍に、ぼくたちに代わってディーラを守ってもらおう。きっとこっちに駆けつけようとしているはずだけど、ハルマスじゃなくディーラの南側──と西側で万一の襲撃に備えてもらうんだ」
ユギルは内心驚いていました。フルートに占いや先読みの力はありません。そんな能力はないはずなのに、可能性として、敵軍の本当の進路を読み当てて備えようとしているのです。
フルートがまた遠見の石に呼びかけると、ロムド王の声で承知の返事がありました。ディーラでも敵へ守りを固めることが決まります。
ひょっとしたら……とユギルは心の中で考えました。ひょっとしたら王都は敵の襲撃から身を守ることができるんじゃないだろうか。そうしたら陛下も命を落とさずにすむかもしれない……。
占者でありながら、自分の占いが外れることを、心の底から願ってしまっているユギルでした。