「……ん……さん……えさん、ねえさん!」
遠くから雑音のように聞こえていた音が声になり、ことばに変わって、ようやく占神はそちらへ意識を向けました。
夢から覚めたようにまばたきをして頭を振り、とたんに酷い頭痛に襲われて顔をしかめます。
「ねえさん! 姉さんったら!」
声は彼女を呼び続けています。
占神は顔をしかめたまま応えました。
「そんなに大声で呼ぶんじゃないよ。頭に響くじゃないか」
すると、声は呼ぶのをやめました。恨みがましい調子になって言います。
「姉さんったら、相変わらず占いに集中すると何も聞こえなくなっちゃうんだからさ。今朝からずっと呼んでたのに、気がつかなかっただろう?」
声の主は占神の双子の妹のシナでした。隣国のエスタ城から心話で話しかけているのです。
占神は溜息をついて目の前の床に並べた棒を眺めました。棒は薄く削った竹で、墨でユラサイ文字が書き込まれていました。彼女の占いの道具ですが、長年使い込まれて全体が飴色に変わっています。それ以外にも、他の者には意味がわからない、色とりどりの紙などがあります。
占神はシナに言いました。
「ここのところずっと、セイロスの居所を探していたんだよ。光の占者たちが誰も見つけられないと言うから、あたしになら見つけられるんじゃないかと思ってね」
「邪魔しちやったね。見つけられそうだったのかい?」
神妙な調子になった妹に、占神は、いいや、と答えました。
「それがまったくだめなのさ。あれほどの闇を抱えているんだから、どこにいたって周囲に闇の気配を放つはずなのに、それがまったく見えないんだよね。まるでこの世から姿を消してるみたいさ。こんなことってあるんだろうかね?」
「本当に姿をくらましてるんじゃないの? 奴の正体は闇の竜なんだから、この世から姿を消すのもお手のものだろ」
「それならそれで、場が動いた気配や跡が残るはずだろう? それも見当たらないんだよ」
と占神はまた溜息をつきます。
占いは途中で中断されると、また初めからになります。占神は床に座ったまま、身をかがめて床の棒や色紙を集めていきました。
黒髪をきっちり結い上げ、細い体に黄色い服を着て同じ色の宝石を鎖に下げた彼女は、生まれつき自分の脚で立つことができません。一方、妹のシナは、見た目は占神そっくりだし占いもできますが、脚に障害はありません。その代わり、占いの力は姉の占神のほうが強いのです。立って歩く力とひきかえに、天が別の力を与えたのでしょう。
「それで? あたしに用があったんだろう? どうしたんだい?」
と占神は尋ねました。やっと頭痛が治まってきたので、声がちょっと穏やかになっています。
とたんにシナが真剣な表情になったのが、遠く離れても伝わってきました。
「姉さん、そっちは本当に大丈夫なのかい? ずっと胸騒ぎがしていて、日に日に強くなっていくんだよ」
「どんな予感がするんだい?」
と占神は聞き返しました。シナは姉のように鋭く占うことはできませんが、占いに道具を必要としないので、広く浅く占うことができます。その力で、つい先日もポポロがハルマスからさらわれたことを把握したのです。
「うまく言えないんだよ──」
とシナは言いました。結った髪をかきむしったのが感じられます。
「見極めようとしてもはっきり見えないんだ。だけど、こう、胸の奥がざわざわしてきて、嫌な予感がしてしかたないんだよ。こんなのは子どものとき以来さ」
占神は眉をひそめました。
「確かにそんなことがあったね、子どもの頃に。なんのときだっけ?」
「姉さんの車椅子が突風にあおられて山から転げ落ちたときだよ! あのとき姉さんは大怪我したじゃないか!」
どうしてそんな大変なことを忘れてるのさ!? と怒る妹に、占神は苦笑しました。
「あたしが占神の修行に入る直前だったね。あの後そりゃいろんなことがあったから忘れてたんだよ……。そうそう、思い出してきた。山で村祭りがあったんだけど、あんたは、嫌な予感がするから行くな、と言ってたんだよね。でも、あたしは耳を貸さなかった」
「そうさ。自分が何も感じてないのをあたしにわかるはずがない、って言ってさ」
何十年も前の出来事を思い出して、シナの口調がまた恨めしげになります。
占神はまた苦笑しました。
「あの頃はあたしもまだ幼かったんだよ。占い師には自分自身を占えない者が多い。占神もそうなんだけど、あの頃は知らなかったからね。いや、知りたくなかったと言うべきかな。意固地になって山の上の祭りに行って、麓まで転がり落ちたんだから、まったく世話ないよね。あのおかげで修行に行くのが一年遅れたんだった」
良い思い出ではないはずでしたが、占神は懐かしむように言っていました。自分や妹がまだ少女だった時代を思い出の中にたどります。
けれども、すぐに彼女も真顔になりました。
「あの時と同じような胸騒ぎがするって言うんだね? とすると、あたしに何かが起きるってことか」
「だから、そっちは大丈夫か、って訊いてるんだよ!」
とシナがじれったそうに言います。
占神は集めた竹の棒をまた床にばらまきました。その重なり具合や向きや文字を読みながら言います。
「西から敵の兵隊が近づいているね。ロムド王は防戦準備を整えている。街道の要所に兵隊や魔法使いを送り込んだんだ。ああ、南のハルマスではいよいよ戦闘が始まってる。同盟軍が闇の軍勢と激しく戦っているね。ロムド城から援軍を送り出す準備も──」
そこまで言って、占神は怪訝そうな顔になりました。じっと棒を見つめてから、おもむろに細かく切った紙を取り上げ、ぱらぱらと落とします。色とりどりの紙が占い棒の上に重なります。
「なんだか城の中の将たちがおかしな動きをしているね。全員じゃぁないけど、これじゃまるで……」
「まるで!?」
とシナが身を乗り出してきました。
「まるで、ロムド城が敵から攻められるように見えるよ──。そういう守りだ」
「敵って、どこからの?」
「西からの敵が途中の町や都を落としながらハルマスへ向かうっていうことだろうか……ああ、いや、違うね。そういうことじゃないようだ。でも、とにかくロムド城とディーラの都に襲撃の予兆が出ている。あんたが感じてる胸騒ぎは、これかもしれないね」
と占神は言って、さらに占いの結果を読み続けました。
「ロムド城の一番占者は……今はハルマスかい。あたしが何日も夢中で占ってる間に、ずいぶん状況が変わってたようだね。彼が城にいないとなると、本当にまずいかもしれないね」
「大丈夫なの、姉さん?」
とシナが心配しました。いくら案じても、彼女自身は遠く離れたエスタ国にいます。姉を助けに駆けつけるには距離がありすぎました。
「わからないね。なにしろ、占神だって自分のことは占えないんだからさ。ただ、今度はあんたの予感を信じるよ。危険を回避するにはどうしたらいいか考えてみよう」
と占神は答えてから、ちょっと笑いました。妹の気遣いが嬉しかったのです。
彼女が修行を終えて占神として竜仙境に戻ってきたとき、妹のシナは故郷を飛び出していなくなっていました。生まれたときから一緒に育ってきた双子なのに、姉のほうが占神に選ばれたことに嫉妬したのです。
シナはそのまま十数年も音信不通でしたが、あるとき突然「エスタ王のお抱え占者になった」と占神へ連絡をよこしました。
「そのうち姉さんのところに金の石の勇者って子どもたちが行くかもしれないよ。とんでもない子たちだからね。姉さんでも油断しないでかかったほうがいいよ」
そんなことも言ってきました。シナはエスタ国で敵として金の石の勇者の一行に出会い、散々な目に遭わされて改心して、エスタ国王に仕えるまでになったのです。そうして初めて、姉に対する嫉妬や占神に選ばれなかったことの逆恨みを解いたのでした。
「見た目にだまされて、あの子たちの実力が見抜けなかったんだから、あたしはやっぱり占者としては二流さ。占神になれなくて当然だったんだよね」
とシナは言って、それ以来、姉とまた交流するようになりました。実際に会う機会はまだありませんでしたが、いつでもこうして心話で話し合うことができます。今では、片方の具合が悪くなればもう一方にその不調が伝わるくらい、魂も近い場所にいます──。
「何がおかしいのさ、姉さん?」
占神が笑っているので、シナが不思議そうに尋ねてきました。
「いや、勇者の坊やたちのおかげで、あたしたちもずいぶん助けられたなぁって、改めて思ってたのさ……。恩返しはしなくちゃいけないよね。ロムド城やこの都は、あの子たちにとっては第二の故郷みたいな場所だ。ここに何か起きるというなら、守ってやらなくちゃね」
「それはいいけど、姉さんも気をつけとくれよ。実際に何か起きたら、姉さんは自分じゃ逃げられないんだから」
「ありがとう。気をつけるよ」
と占神は素直に感謝すると、また占い棒へ目を向けました。そのまま占いに没頭していったので、シナは静かに心話を切って離れていきました。元々誰もいなかった部屋の中が、しんと静かになります。
やがて、占神は身を起こすと、部屋の外へ呼びかけました。
「じいや──!」
「なんじゃ占神」
小柄な人物がすぐに部屋に入ってきました。占神のそばで彼女の世話をしている老人で、その正体は先代の占神でした。占いの力を持っているので、呼ばれることがわかって待っていたタイミングでした。
「頼みたいことがあるんだ。誰にも知られないように、こっそりやってほしいんだけどさ」
と占神は老人へ話し始めました──。