一方、ハルマスの砦から偵察に出た青の魔法使いと赤の魔法使いは、こぶが連なるような丘陵地帯の彼方に敵を見つけていました。
小高い丘に立って眺めながら青の魔法使いが言いました。
「あれですな。怪物も闇の兵士もいる。谷間が真っ黒だ」
「敵は兵士だけでも五万あまりいるぞ。怪物はその倍以上だ。大変な数だな」
と赤の魔法使いが猫の目を光らせて言いました。実際には南大陸のムヴア語で話しているのですが、青の魔法使いにはこう聞こえているのです。
ふむ、と武僧の魔法使いは太い腕を組みました。
「敵はまだ動き出していません。あそこを襲撃すれば、大打撃を与えられるかもしれませんぞ」
「俺たち二人で殴り込みか? 無謀だな」
とムヴアの魔法使いはあっさり却下しました。いくらロムドの四大魔法使いと呼ばれる彼らでも、あれだけの闇の兵士や怪物は相手にしきれません。
武僧もすぐにその案は引っ込めて、また敵を眺めました。
「闇王はまだ見当たりませんな。上空にいるのは腕が四本……いや、六本かな? 将軍ですか?」
「そうだな。二人いるぞ」
とムヴアの魔法使いは言いました。闇の軍勢は強力な闇魔法をまとっていて透視を跳ね返しますが、彼の猫の目は通常の人間より視力がいいので、遠くの敵もはっきり見ることができたのです。
「四天王の生き残りですか。闇王もいるのかもしれないが、将軍を最前線に出しているからには後方でしょうな。怪物にはどんなものがいますか?」
「ありとあらゆる闇の怪物だな。大きさは案外普通だ。地中を進軍してくるのに、巨大な怪物は通せなかったんだろう」
「とはいえ、闇王や将軍は怪物を召喚できるし、あのランジュールも加担しているんですから、戦闘が始まったら馬鹿でかい怪物も繰り出してくるでしょうな。厄介な話だ」
と武僧は溜息をつきます。
その後も、彼らは丘の上から偵察を続けました。時折、翼のあるトアが哨戒のために近くまで飛んできましたが、彼らも光の障壁で身を守っていたので、闇の兵に気づかれることはありませんでした。
敵がさらに増えていく様子を見守りながら、二人の魔法使いはまた話し出しました。
「そういえば、魔法軍団の増員は当面取りやめる、と白が言ってきましたぞ」
「ロムド城から二十五名ほどよこす計画だっただろう。急にどうしたんだ?」
「明確な理由はわからんのですが、ディーラの守備も固めておきたいようです。魔法軍団には西の街道の警備に当たらせるとか」
「敵だって馬鹿じゃない。こっちが守備を固めている場所は避けて、街道から外れてしまうだろう」
「かもしれませんな。だが、そのくらいのことは白も承知の上だ。何か考えがあってのことでしょうから、私たちはそれに従うだけですよ」
諦めたように言う武僧を、ムヴアの魔法使いは猫の目で見上げました。何かを言いかけて考え直し、話題を変えます。
「おまえたちはまだ結婚しないのか?」
出し抜けの質問に武僧は目を丸くしました。
「結婚? 誰と誰の?」
「もちろん、おまえと白のだ」
武僧はますます目を見張りました。
「やぶから棒になんですか? そりゃ、私は白が好きですが、それは赤だって同じでしょう。おまけに、向こうは私たちのことなどなんとも──」
とたんに相手は猫の目を光らせてにらんできました。
「気がついていないとでも思っているのか!? おまえたちが好き合っていることくらい、俺にも深緑にもとっくにばれているんだ! これ以上隠すな!」
武僧は驚き、空とぼけようとして失敗しました。思わず顔を赤らめてしまったのです。
すると、ムヴアの魔法使いはすぐに怒りを収めて肩をすくめました。
「俺を気にしているなら、もうその必要はない。俺は結婚するぞ。アマニと約束したんだ」
「おお、いよいよアマニ殿と! それはめでたい!」
と武僧は自分のことのように喜び、すぐにまた言い返しました。
「めでたい話ですが、それと私たちの結婚の話は関係がないでしょう。そもそも白は神に自分の人生を捧げた女神官だ。神官は結婚できない決まりですからな」
「知っている。だが、決まりは絶対ではないはずだ。諦めるには早い。諦められるほど軽い想いでもないだろう」
親身になって言う仲間に、武僧はとうとう苦笑いしてしまいました。
「心配してもらえるというのは、ありがたいものですな……。本当のことを言えば、白に言ってもらったことがあるのです。すべての戦いが終わってロムドに平和が訪れたら、私の妻になってもいい、と。だが、それは実現しない夢だと思っているのですよ」
「何故だ?」
「白が魔法軍団の長の役目から解放される日など来ないからです。どんなに平和な時代が来たとしても、いずれまた難問が襲いかかり、新たな敵が現れるのは必定。そのときロムドに白がいなければ、魔法軍団は実力を発揮できなくなる。私にも赤にも深緑にも、白の替わりは務まらんですからな──。白は結婚すれば女神官ではいられなくなるし、魔法も使えなくなってしまう。そんなことはとても許されんでしょう」
ムヴアの魔法使いは大きな溜息をつきました。納得していないのです。また反論しようとすると、武僧はさえぎって言いました。
「この話はこのくらいで終わりにしましょう。大きな戦の前に結婚の話をするのは、縁起が良くないそうですからな。ゼン殿がそう言っていました」
「そうなのか? 俺たちムヴアの民は逆だ。独り身の男は大きな戦の前には結婚式を挙げるぞ」
「ほう、それはまたどうして……? 万が一のときに思い残すことがないようにするためですか?」
「それも逆だ。ムヴアでは、結婚した女が夫に先立たれると、非常に苦労して生きることになる。結婚したばかりの妻をそんな目に遭わせないように、夫は石にかじりついてでも戦場から生きて帰ろうとするんだ。俺もアマニにせっつかれたんだが、時間も余裕もなかったから、戦が終わったら結婚式をすることで妥協してもらった」
「なるほど、戦から生きて帰るためですか。それも一理ありますな」
と武僧は言いましたが、それ以上この話題には触れようとしませんでした。
ムヴアの魔法使いはまた小さな肩をすくめました──。
そこへハルマスの砦の方角から飛竜の群れがやってきました。風を切りながら飛んできて、彼らの上空で旋回を始めます。
「ユラサイの飛竜部隊ですな」
「俺たちを探している」
そこで彼らは自分たちを隠していた障壁を消しました。すぐに飛竜部隊が気づいて降りて来ます。全部で二十四頭いて、それぞれ背中に兵士と術師を乗せていました。
先頭の飛竜から飛び降りた隊長が、魔法使いたちの前に膝をついて言いました。
「金の石の勇者殿のご命令で出撃してまいりました。青の魔法使い殿の指示に従えと言われております。ご指示を願います」
「勇者殿の──?」
と武僧が驚くと、ムヴアの魔法使いはにやりとしました。
「どうやら、このまま攻撃しろということのようだな。ユラサイの術師が一緒なら、敵に目にもの見せられるぞ」
彼の話すことはユラサイ人たちには理解できません。
武僧はうなずき、敵がこちらへ動き出したのを見て言いました。
「向こうもこちらに気づいたようだ。では、派手にまいりましょう。我々の役目は敵を撃破してハルマスに近づけないこと。よろしく頼みますぞ」
「承知!」
と隊長は言って、また自分の飛竜に飛び乗りました。部下たちに指示を伝えると、いっせいに丘を駆け下って、ふわりとまた空に舞い上がります。
後を追って魔法使いたちも空に飛び上がりました。敵に向かって飛んでいきます。
すると、ムヴアの魔法使いが武僧に言いました。
「大きな戦いになりそうだ。白のために生きて帰れよ」
相手が大真面目だったので、武僧はなんとも言えない表情になりました。
「赤こそ、アマニのためにがんばってくださいよ。だが、どうもやっぱりこの話題はまずい気がしますな。お互い命は大事にまいりましょう」
丘の向こうから敵の大群が押し寄せていました。前面に出て走ってくるのは、数え切れないほどの闇の怪物です。
飛竜部隊の兵士と術師たちに、青の魔法使いは命じました。
「突撃! 敵に最大限のダメージを与えますぞ!」
おぉぉぉ!!!!
飛竜部隊が鬨(とき)の声を上げて闇の軍勢へ向かいます。
ディーラで市民が賑やかに祝った花祭りの三日後。
ハルマスの東の丘陵地帯で、光と闇の戦いは最後の火蓋を切ったのでした──。