メーレーン王女がハルマスの砦に行った翌日、ディーラのロムド城では道化のトウガリが王の執務室に呼ばれていました。
一目見れば絶対忘れられない奇抜な化粧をしたトウガリは、赤と黄と緑の派手な衣装を身につけ、両肩に小猿のゾとヨを乗せていました。部屋にいたロムド王とリーンズ宰相へ大袈裟なお辞儀をして口上を始めます。
「偉大なる賢王にして我らがロムド国の太陽であられる国王陛下にますますご健勝のこととお喜び申し上げます。このたびは陛下の御前にて芸を披露しろというお呼び出しをいただき、このトウガリめはあまりの光栄に喜び打ち震えております。ご多忙な陛下のこと日頃からの新郎はいかばかりかと存じますが、わたくしたちの芸をご覧になって日々の憂いを払い活力を得ていただければ幸せ至極と思い、猿たちと共に張り切って陛下をお喜ばせしようと──」
トウガリが流れるような口上を長々と言っている間に、宰相は部屋にいた警備兵を外の廊下に出しました。宰相が扉をぱたんと閉じると、道化はたちまち口上をやめ、口調もがらりと変えて話し出しました。
「お呼び出し感謝します、陛下。こちらから陛下に面会をお願いしようと思っていました」
丁寧ですが、王を相手にややぶっきらぼうな言い方です。
ゾとヨがトウガリの鈴つき帽子を引っ張って話しかけました。
「オレたち、王様に芸をして見せないのかヨ?」
「みんな、オレたちの芸を見て喜んでるゾ。王様にも見てもらったほうがいいんだゾ」
赤毛の小猿に化けていますが、二匹の正体は闇の国から逃げてきた双子のゴブリンでした。普段は猿らしくことばを話さずにいますが、正体を知っている人たちの前ではこうして平気で話します。
ロムド王は穏やかに笑ってゾとヨに言いました。
「そなたたちが城の中で楽しい芸を披露して、大勢を楽しませていることは聞いている。度重なる闇の敵との戦いで、誰もが不安でぴりぴりしているときだ。皆の心を和ませているそなたたちの働きはすばらしい。隣の部屋に褒美を準備しておいたから、リーンズに案内してもらうがいい」
ご褒美! と小猿に化けたゴブリンは飛び上がりました。たちまち床に降りると、リーンズ宰相の服の裾に取りつきます。
「ねえねえ、ご褒美ってなんだゾ!?」
「食べられるものかヨ!? 遊ぶものかヨ!?」
「食べ物ですよ。外国から届いた珍しくておいしい果物です」
と宰相が答えたので、二匹はキャーッと歓声を上げました。宰相を引っ張るようにして隣の部屋へ向かいます。
それを苦笑いで見送ってから、トウガリはまたロムド王に話しかけました。
「陛下、メーレーン様が慰問のためにハルマスに行ってしまわれたので、メノア様が大変心配しておいでです。闇王の軍勢がイシアードにあって、これからハルマスに攻めてくるという情報も聞いております。私も、メーレーン様がハルマスにいるのは、あまりに危険だと思います。どうか、私にハルマスに行くようにご命令ください。メーレーン様を説得して連れ戻してまいります」
派手な身なりの道化をしていますが、彼の正体は王妃のメノアを守る間者でした。メーレーン王女のことも生まれたときから守り続けています。
そんな彼を見下ろして、ロムド王は言いました。
「わしもメーレーンがハルマスへ行くと言い出したときには非常に驚いた。メーレーンはこれまで城からほとんど出ることがなかったし、危険なことに飛び込んでいくような子どもでもなかったからな。だが、あれの決心は固かったのだ」
王が考え込んだので、トウガリも少し考えてから、また言いました。
「ひょっとすると、フルートたちの影響かもしれません。姫様はザカラス城に拉致(らち)されて彼らに助けられてから、少し、いや、だいぶ変わられました。おそらく彼らに影響を受けたのだろうと思います。ハルマスにはフルートたちがいるので、彼らにも一緒に説得してもらいましょう」
けれども、ロムド王は首を振りました。
「ハルマスにはユギルもいる。ユギルがメーレーンの滞在を許したからには、おそらく大丈夫なのだろう。それこそ、ハルマスには勇者の一行もオリバンもセシルもユギルもいる」
「確かに青の魔法使い殿や赤の魔法使い殿もあちらにいますし、ユラサイ国の帝も飛竜部隊と共にいますが……しかし……」
相変わらず心配する道化間者を、ロムド王はじっと見つめました。ひょろりと細長い体で騎士のようにひざまずく彼は、奇抜な化粧の下で真剣な顔をしていました。王妃と王女を守るために、彼は人知れず力を尽くしてきたのです。
「トウガリ」
と王は改めて呼んで言いました。
「そなたに命じる。これから後、わしに万が一のことがあったら、そなたはメノアを連れて城を逃げるのだ」
トウガリは仰天しました。
「何をおっしゃいますか、陛下!? 万が一とは縁起でも──!」
けれども、王は話をさえぎって言い続けました。
「そなたも承知の通り、この国にはザカラス国から嫁いできたメノアを今でも敵視している者たちがいる。今はわしが健在でいるから、彼らも手出しはしてこないし、よからぬ動きが起きればそなたがいち早く対処するから、大事には至っていない。だが、わしがいなくなれば、彼らは遠慮することなくメノアを害そうとするだろう。よいな、わしに何ごとかあったら、そなたはメノアを連れてこの城から逃れるのだ。メノアが承知しなかったら、さらって逃げろ」
トウガリは息が止まりそうになりました。厚化粧をしているのに、それでもはっきりわかるくらい顔を赤くします。
彼が服の下に隠しているペンダントには、メノア王妃の肖像画が収めてありました。彼が生涯かけて愛し守ろうとしている存在です。主人と家来の身分違いの恋。そんなことばも意味を失うほど、長く密かに想い続けてきたのです。
ロムド王はそんな彼の想いを知っています。知ったうえで、メノア王妃の護衛として彼を王妃付の道化にしたのです。ただ、それを改まって言われることはありませんでした。こんなふうに、そそのかされるように言われることなど……。
トウガリは顔色を変え、いぶかしく王を見つめ返しました。
「陛下、どうかなさいましたか? 何か気がかりがあるのですか?」
ロムド王は微笑して歩き出しました。部屋の出口に向かいながら言います。
「わしはつい先日七十歳になった。わしはもう若くはないが、メノアはまだ三十七だ。この先も生きて幸せにならなければならぬ。わしが先立った後を頼める者はそなたしかいない、ということだ。よいか、頼んだぞ」
陛下!! とトウガリは引き止めようとしましたが、それより早く王は部屋の扉を開けてしまいました。外には衛兵たちが控えていて、現れた王にいっせいに敬礼をします。トウガリも声を呑んで道化のお辞儀をするしかありませんでした。
そんな彼を振り向いて、王は明るく言いました。
「そなたに来てもらってまことに良かった。おかげで気が晴れたぞ、トウガリ」
そのまま王は護衛を連れて通路へ出て行きました。ゾやヨと隣の部屋に行ったリーンズ宰相はまだ戻ってきません。
片手を大袈裟に広げ額を床にこすりつけるほど深々とお辞儀をしながら、トウガリは遠ざかる王の足音を聞いていました。
「陛下、何を……」
尋ねるようにつぶやきますが、それに答えてくれる人はいませんでした。