フルートたちが青の魔法使いと北の門に着いたとき、そこにはもうオリバンとセシルが来ていて、到着したばかりの馬車を出迎えていました。馬車の扉が開いて、小柄な人物が現れます。
とたんに、ふわりと薔薇色がなびきました。風がドレスの裾を揺らしたのです。
「メーレーン姫!?」
フルートたちは思わず大声を上げました。馬車から出てきたのはロムド王の末の娘のメーレーン王女だったのです。
あまりに意外な応援に思わず青の魔法使いを振り向くと、彼も鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていました。
「おいでになったのはメーレーン様だけですか? 白の話では……」
「お兄様! お義姉さま!」
メーレーン王女はオリバンやセシルに嬉しそうな声を上げて馬車を降りて来ました。その足元を一匹のぶち犬がすり抜けて、先に降りてきます。王女がかわいがっている犬のルーピーでした。馬車の前に腰を下ろして主人を待ちます。
オリバンは王女の手を取って馬車から降ろしながら言いました。
「本当に来たのだな。知らせを受け取ったときには耳を疑ったぞ」
久しぶりの妹との再会でしたが、その顔に笑みはありません。
「この砦は戦闘の最前線ですよ。非常に危険な場所だと止められなかったのですか?」
とセシルも心配そうに言います。
「はい、父上にも母上にも他の方たちにも、皆様からたくさん止められましたわ。でも、メーレーンはどうしてもハルマスにお手伝いに来たかったのです」
とメーレーン王女は言いました。自分のことを名前で言うのがこの姫の口癖です。
「いや、マジで危ねえって」
「もうすぐここに闇の軍勢が攻めてくるんだよ」
とゼンとメールが言うと、姫はぱっと顔を輝かせて両手を打ち合わせました。
「勇者の皆様方! またお目にかかれてメーレーンは幸せですわ! ポチとルルも! とても元気そうでよろしゅうございました!」
王女が挨拶もそこそこに犬たちにかがみ込んでしまったので、ゼンたちは呆れてしまいました。
「ったく。相変わらずなお姫様だぜ」
「戦争や人間より、犬のことのほうが大事なんだもんね」
すると、犬を撫でていた王女が顔を上げて言いました。
「それは違いますわ。メーレーンだって、戦争はとても大変なことだとわかっております。だから、少しでも皆様のお力になりたくて、父上にお願いをしてやってまいりました」
王女にしては真剣な顔と声でしたが、薔薇色のドレスで身を包み、プラチナブロンドの巻き毛をたらした王女は、戦場にはあまりにかわいらしくか弱く見えました。
お力って……と一同は困惑してしまいます。
すると、開いたままになっていた馬車の出口に、もうひとりの人物が姿を現しました。小柄なメーレーン姫よりもっと小柄な人物です。風に赤い長衣の裾がはためきます。
青の魔法使いが大声を上げました。
「やはり来ていたんですな、赤! メーレーン様だけかと思いましたぞ!」
黒いつややかな肌に猫のような瞳の小男は、赤い長衣のフードを少し引き上げて武僧を見上げました。
「ン、ダ。ウノ、イデ、タ。メーレーン、テ、タ」
赤の魔法使いが話すことばは南大陸のムヴア語です。
「なるほど、そういうことでしたか」
と武僧は納得しましたが、他の人々には意味がわかりませんでした。いつもならポチが通訳してくれるのですが、メーレーン姫がポチとルルにまた話しかけていたので、ポチにもその余裕はありません。一同がますます困惑していると、赤の魔法使いが降りた後の馬車から、三人目の声がしました。
「陛下の命令でやってきたんだ、ってモージャは言ったんだよ。姫様はそれにくっついて来たんだ」
話しながら出てきたのは、赤の魔法使いと同じくらい小柄な女性でした。黒いつややかな肌に縮れた長い髪、ロムド城の侍女の服を着ています。
フルートたちは思わず歓声を上げました。
「アマニ!!」
「そっか、メーレーン姫が来たんならアマニも一緒だよね!」
アマニは赤の魔法使いの許嫁(いいなずけ)で、ロムド城でメーレーン王女の侍女をしているのです。フルートたちとも火の山の巨人の戦いのときから親交があります。
王女では話がうまくかみ合わないので、勇者の一行はアマニと話し始めました。
「さっきも言ったけどさ、本気でここは今危ないんだよ。もうすぐ闇王が軍勢を率いて攻めてくるんだ」
「闇王の軍勢は空を飛んで魔法を使うし、馬鹿でかい怪物も繰り出してきたりするからな。マジでやばいぞ」
「メーレーン姫のお気持ちは嬉しいけれど、できるだけ早くロムド城に戻ったほうがいい」
口々に言う一行に、アマニは小さな肩をすくめ返しました。
「それがだめなんだよねぇ。陛下も宰相も他の人たちも、みんなで姫様を止めたのに、姫様ったら絶対に譲らなくてさ。どうしてもハルマスに行って手伝いをするんだって言って聞かないんだよ」
それを聞いて、オリバンは妹に話しかけました。
「おまえのその心がけは立派だ。兄としておまえの勇気を誇らしく思う。だが、この砦には大勢の援軍が集まっているから、人手は足りているのだ。ここにおまえが手伝えるようなことはない。むしろ、おまえを守ろうとして、余計な戦力を割くことになってしまうだろう。おまえはここにいるべきではない」
普段ならもっと優しく妹に語りかけるオリバンでしたが、あえて厳しく伝えます。
姫は大きな灰色の目をもっと大きく見張り、立ち上がって兄に訴えました。
「メーレーンはなんでもいたします! 怪我をした方の手当のお手伝いも、兵士の皆様のお食事のお世話も──! それに、皆様に歌を歌って差し上げます!」
「歌?」
思いがけない提案にオリバンが聞き返すと、姫はいっそう真剣に言い続けました。
「はい。二年前、サータマンから飛竜がディーラに攻めてきたとき、メーレーンはお城に避難してきた方たちに歌を歌って差し上げました。飛竜を怖がって泣いたりしていた方たちが、メーレーンの歌を聴いて、勇気が出てきたと言ってくださったのです。メーレーンはハルマスでも皆様のために歌を歌います。戦う勇気が湧いてくるように。そして、皆様が敵に勝利できるように──」
オリバンは思わず天を振り仰いでしまいました。そのまま頭痛でもするように額を押さえます。
セシルのほうは、未来の義妹をどう説得したものだろう、と考えあぐねていました。普段ならとても素直な王女なのですが、このときには本当に、誰がなんと言ってもそれを受け入れそうになかったのです。
フルートも困惑していましたが、黙っているわけにはいかなくて、メーレーン姫に話しかけました。
「ええと、王女様、それじゃこうしましょう……。今、この砦には大勢の兵士や砦を守る人たちがいて、襲撃に備えて準備を進めています。でも、夜になればみんな食事に集まってくるし、食事の後は一日の疲れを癒やすために休みます。その食事のときに歌を聴かせてください。きっとみんな喜ぶと思います」
メーレーン姫はたちまちまた嬉しそうな顔になりました。手を打ち合わせて言います。
「はい、勇者様! メーレーンは皆様に歌をお聴かせしますわ! ロムドの歌だけでなく、ザカラスの歌も、エスタの歌も、テトの歌も神様を賛美する歌も……! 遠いユラサイ国の歌も、メーレーンは先生を招いて習ってきました。皆様のお国の歌を毎晩お聴かせいたしますわ!」
「い、いや、毎晩って……」
王女に適当に歌ってもらってディーラに戻ってもらおうと考えていたフルートは、思惑が外れてあわてました。
その隣でポポロは意外そうな顔をしていました。
「王女様はそんなにいろいろな歌を覚えていらっしゃったんですか? あちこちの国から集まってる人たちに聴かせるために?」
「はい! 毎日一生懸命練習してまいりました!」
とメーレーン姫は屈託なく答えます。
そこへ数頭の馬が慌ただしく駆けつけてきました。乗っていたのは供を従えたザカラス国のトーマ王子でした。王女を見るなり馬から飛び降りて駆け寄ります。
「本当にメーレーン姫だ! 知らせを受けたときには、何かの間違いかと思ったのに!」
「トーマ王子!」
と姫の方でも駆け寄っていきました。王子の両手をぎゅっと握りしめて、それは嬉しそうに言います。
「メーレーンはハルマスに参りました! ここで皆様のお手伝いをいたしますわ!」
王子のほうは、ためらう暇もなく姫に手を握られて、真っ赤になってしまいました。
「て、て、手伝いって……あ、危ないよ……。もうすぐここに、て、敵が攻めてくるんだ」
思わずしどろもどろになって、父のアイル王と同じような話し方になってしまいます。
「ええ、存じています。でも、メーレーンは皆様と一緒にいたいのです──。トーマ王子は、毎日くださるお便りの中で、戦いの様子もお知らせくださいましたわよね。お供のシン・ウェイと協力して、ユラサイの魔法で敵と戦われたのだと。メーレーンはそれを読んで本当に感動いたしました。トーマ王子がこんなにがんばっていらっしゃるなら、メーレーンだって何かをがんばって、お役に立たなくてはいけない、と思ったのです。ただ、メーレーンはお兄様やお義姉様のように剣を使うことも、勇者様たちのように皆様を守って戦うこともできません。もちろん魔法を使うことも。だから、皆様に勇気や元気が湧いてくるように、歌を歌って差し上げようと思いました。これならば、メーレーンにもできることですから」
トーマ王子の後ろでその様子を見ていたシン・ウェイは、へぇ、と心の中でつぶやきました。メーレーン王女は周囲にいる大勢にはもう目も向けていませんでした。ただ目の前にいるトーマ王子だけを見つめ、トーマ王子だけに熱心に話し続けているのです。大好きな犬さえ今は眼中にありませんでした。大きな瞳は王子を見つめて輝き、ふっくらした頬は薔薇色に染まっています。
「姫様ったら、また王子に近づきすぎ!」
と二人を引き離そうとしたアマニが、赤の魔法使いに引き止められました。メダ! と叱られます。
セシルは苦笑すると、まだ頭を抱えているオリバンに言いました。
「これは確かに、いくら言っても姫が聞き入れるはずはないな。本部の中に姫の部屋を準備してあげなくては」
「いやだが、それはあまりに危険だろう──」
事情をまったく呑み込めていないオリバンが、困惑して言い返します。
王女の足元ではルルとポチがこっそり話し合っていました。
「ねえ、王女様の本命ってそういうことなの?」
「ワン、言っていなかったっけ? ずっと前からだよ」
「やだ。そんなの聞いてないわよ」
メールもメーレーン王女とトーマ王子を眺めて言いました。
「さっき言ったこと、ちょっと訂正しようかな。情熱的で好きな人から離れたくないのは、海の民の女だけじゃなかったね」
「あたしはわかる気がするわ……。あたしだって離れたくないもの」
とポポロが言って、そっとフルートのほうを見ます。
そのフルートは、ゼンと話し合っていました。
「どうすんだよ? 本当に王女様をここに置くのか?」
「でも、あの感じだと絶対帰ってくれそうにないよね」
「危険すぎるだろうが。本当に大丈夫なのか?」
「うぅん……じゃあ、ユギルさんに聞いてみよう。ユギルさんがいいと言ったら、ハルマスにいてもいいことにするんだ」
「ああ、そりゃいいかもな」
彼らとしては、ユギルに占いで王女に帰るよう指示してもらいたかったのです。
ところが、その後、話を聞いたユギルが、「まあ、よろしいでしょう」と言って反対しなかったので、王女はそのままハルマスの砦に滞在することになってしまったのでした──。